Oct 01, 2021
ジャンヌの肖像画
レイアは、
「赤毛の若い女性」を見ている。
このひと、ジャンヌじゃなかったのね。
モディリアーニとその妻ジャンヌの話は、
映画にもなった有名なエピソード(注1)。
「1898年にモー地方に生まれたジャンヌ・エビュテルヌは、
中流階級のブルジョワの家庭ー父は会計士であったー
の出身で、パリ5区のアミヨ通りで両親と暮らしていた。
2歳年上の兄アンドレも画家だったこともあって、
若きジャンヌは、芸術で身を立てることに魅力を感じていた。
アカデミー・コラロッシの生徒として
モディリアーニの知己を得たジャンヌは、
この偉大な恋人に影のように寄り添い、
人生の苦楽を分かち合ったが、
その生活は常に彼女の家族によって支えられていた。
たとえば、南仏に滞在中の1918年の11月に
ジャンヌが娘を出産した時には
母が手助けにやってきて、居をともにしている。
パリに戻った時には、ズボロフスキーが
グランド・ショミエール通り8番地の
アパルトマンを貸してくれたが、
そこでの暮らしは数ヶ月で幕を閉じた。
1920年1月26日の未明に
モディリアーニがこの世を去ったその翌々日には
2番目の子供を身ごもっていたジャンヌが
自ら命を絶ったのである。」(注3)
レイアはカタログの解説を読んで、
ひととき、もの思いに沈んでいる。
隣に座っていたジャンが、
カタログの写真と解説文を目にして話しかけた。
その解説だと、二人が一緒に暮らしたのは、
ほぼ3年間ですね。
モディリアーニは、その間に、どのくらい
ジャンヌの肖像画を描いたのかなあ。
レイアはページをめくって、
「モディリアーニはジャンヌ・エビュテルヌの肖像画を
油彩で25点ほど描いている。
この数はどのモデルより抜きん出て多い。
次に多いベアトリス・へースティングでも、
およそ13点である。
しかし彼女たちは裸婦像として描かれたことはない。」(注3)
って、書いてあるよ。と応えた。
かなりの点数なんだね。
この展覧会には、一点しかないけど、
他の作品もみてみたい。
側で二人の会話を聞いていた
マンスフィールドさんが言った。
ジャンヌを描いた肖像画だったら。
「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ」(1917)
が有名ね。
「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」(1918)
も有名。どちらも美術展の目玉として、
カタログの表紙に使われたことがある。
卵形の顔に長い首。
瞳のないアーモンド型の目など、
ひとめでわかる特徴が共通してる。
「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」(1918)
も印象的。モノクロ写真の表情と見比べると、
面白いかも。
解説)
注1)「モンパルナスの灯」(1958)、「モディリアーニ 真実の愛」(2004)。
注2) 「モディリアーニ展」(2008)のカタログの、
「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ」の作品解説より。
注3) アサヒグラフ別冊美術特集 西欧編11「モディリアーニ」作品解説より。
絵画作品の画像は、手元の展覧会カタログや、
ポストカード、画集からの転載です。
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