Aug 29, 2007

『こころの病を生きる』

 ひさしぶりに更新っす。レポートやってたもんで、ちょっと大変でした。この間、いろんなことは…なかったです(笑)ミスチルの『シフクノオト』を聴いていました。30代の憂鬱というか疲れと希望が歌われていて、いいなと思いました。中には、道徳的なテーマもあるのですがそんなに気になりません。でも、ミスチルの詩に感心しすぎると自分の詩が書けなくなりそうと思ったです。そこは、線を引いとこう。しかし、暑さには参ります。尋常ではありませんが、これもこれからの私たちの生活になっていくのでしょう。
 こないだ、佐野卓志・三好典彦『こころの病を生きる』を再読しました。買った当初はふーんって言う感じだったのだが、今回はすーっと入ってきました。佐野さんは統合失調症で、三好さんは佐野さんの主治医です。この本は往復書簡なので、難しくないです。二人で、病気と人生のことを、オープンに語り合っています。こんなにプライベートをさらしていいのとも思いますが、すごくいい雰囲気で、いいにくいこともしっかり話しているので、すばらしい。「共同研究」といっています。佐野さんは、当事者の作業所を作っていてPSWの資格もとっているので、憧れます。といってもすごく苦労があるんですよ。彼は、ネットで電気ショック療法の是非をめぐって、激しく議論して、疲労困憊し、一ヶ月寝たきりになってしまったというのが、現代的。そこをしっかりフォローしてアドバイスされている三好さんも立派だなあと思いました。人間関係やネットで調子を悪化させている方も多いと思いますから。これは、ひろく関心のある方にお勧めできます。調子の悪いときや再発についてよく触れられているので、そのときの対処について、病気の方やご家族、医師にも参考になるのではないでしょうか。もちろん、僕のようなほかの精神疾患の人にも参考になります。
 それで、精神科救急の計見さんの『脳と人間』という精神科の本を買ってしまいました。あと、いしいしんじさんの『ブランコ乗り』、丹生谷貴志『ドゥルーズ・映画・フーコー』も読もうと思っています。丹生谷さんは、独特の文体とダウナーな展開でくせのあるひとですが、ちょっと好きです。フーコーは『言葉と物』を読んだ記憶があるのですが、中味はほとんど覚えていません。エリボンのフーコー伝は好きです。フーコー自身の猫を抱いてスキンヘッドの写真がナイスでした。どうしても悪い人に思えないんですが気のせいかな。それにしても丹生谷さんの本もそうだけど読めるかな。書名はいかついですが、クリント・イーストウッドについて、けっこうみっちり書いています。詩のネタにならないかな。
 詩の〆切が近づいています。月末にふたつあります。しかし、なかなか書けません。過去のことではなく今のこと、これからのことについて書きたいと思うのですが難しいですね。
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Aug 19, 2007

「天国で見守っていましょう」

 某所の合評に参加。不調というか、書くことに迷いを感じながらも、何とか詩をひとつ提出できた。思ったより早く解散になったので、家で食事。24時間テレビがやっていた。不意にチャンネルを合わせてしまったのだ。特に、あのマラソンは苦手で、心が苦しい。見なければいいのだが、萩本欽一が走るので、坂上二郎さんが応援に来ていた。僕は萩本さんは苦手だが、二郎さんの風変わりな人柄がなんとなく好きなので、そこはじっと見た。脳梗塞で、数年前に倒れて、回復された後、NHKのスタジオパークという番組で見たことがある。そのときは、自然のあるところに移って暮らしておられるのを、少し滑舌が悪い気もしたが、快活に話しておられた。リハビリのことも話していて正直勉強になった。しかしである。
 萩本さんがスタートラインに立ち、いろんな人が応援に来る。最後に二郎さんが登場。しかし、二郎さんはこわばった顔で、「イヒヒ」と笑いつづけるのが精一杯なのだ。萩本さんが「なんかしゃべれよ」と2、3度つっこんでも、ほとんど話さない。
   とうとう、そのまま萩本さんがスタートすることになった。レポーターに「一緒に見守りましょう」と云われた二郎さんは、こういった。「天国で見守っていましょう」と。
 当然、レポーターは何言っているんですかとつっこんでいたが、二郎さんは相方のことが心配だったのではないだろうか。なんでこんなことをしなきゃいけないのという気持ちも僕はその発言に読み込んだ。二郎さんは死線をくぐっている。コンビと云っても老人二人である。色んな気持ちがあるだろう。それに奇妙な雰囲気。二郎さんの戸惑いや、悲しみや、まあ、単なるギャグかもしれないが、そんなものが伝わってきた。二郎さんを悲しませないでほしいと思った。そして、皮肉というか本音が言える二郎さんはやっぱりエライ人だと思った。
 その後、レポートを書かねばならないので、ビールを間に挟みながら勉強した。小澤勲『認知症とは何か』を読む。あまり、直に認知症の方に接していないので、レポートを書けるか心配というか忸怩たるものもある。しかし、小澤勲の本は、入門書としては非常に丁寧で、おまけに小説の話も出てくる。だから、売れているようだ。小澤勲さんをNHKで見たとき、何となく、自分の好きなタイプの人ではないと思った。小澤勲さんは、末期の癌を患っている。岩波の前著でそのことを書いてから、5年近くは経っているのではないだろうか。人間の生命はかなり不思議なものだと思う。
 そのあと、ラストサムライを見た。公開当時感動したが、今日は普通に見た。僕は恐い映画が好きなのかなあと思うが、どうも「あきらめずに戦う」姿に惚れていたようである。マラソンに感動する人と何がちがうのか少し悩んだ。あきらめずに戦うというのも、大事なことだが、がんばる老人を無理に作り上げるのは好きではない。ああいうのを見ると「好きなように生きる」ってそもそも難しいなあと思う。好きなようにというか自由に生きるというか。
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Aug 18, 2007

サーバーダウン

 きのう、おとといくらい、現代詩フォーラムが開けなくなっていた。今は復旧している。最近は、投稿しておらず、ログインしては眺めているという利用方法でした…Tさんの詩がけっこういいなと思いました。
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Aug 16, 2007

白梅学徒隊

  この酷暑の中で、久々に清掃の仕事に行った。汗が全身から、噴き出して、気分が悪くなるほどだった。口の中がねばねばして気持ち悪く、お茶を飲んでもなかなか治まらない。職員さんとこんなとき「炭酸が飲みたいよねー」と云っていた。帰り、CCレモンを買った。家でシャワーを浴びて、ごくごくと飲む。やっと、すっとした。この酷暑で、熱射病になったりして、亡くなったひとはいないかと心配になる。
 最近、夜ご飯を食べたらすぐ寝てしまい、なかなかレポートが進まず。一昨日は、デイケアでエアロビクス。夏バテしないように昨日は焼肉「平和」に食べに行った。敗戦記念日に「平和」とは、なんとも不思議である。横では、小人のようなおっちゃんやおばちゃんのグループがスープの味に文句をつけたりしていた。なのに、焼肉をタッパーかなんかに詰めて、おみやげにしていた。こんな暑いのに、焼いているとはいえ、腐ってしまわないのかと思う。まず、翌朝には腐っているので、晩、あれだけ食べたのに、さらにおみやげ?誰か待っているんだろうな。
 昨日、関西テレビのアンカーで、沖縄戦で6人が亡くなった白梅学徒隊の特集をやっていた。有名な「ひめゆり」とちがい、お参りするものもほとんどいないという。ひめゆりは有名だが、女子学徒隊は、他に6部隊あったと聞いた。白梅の死者の遺骨の引き取り手は無かった。どれが、自分の娘の骨かわからなかったからだ。だから慰霊塔のうらに遺骨がしまわれていたという。国もきちんとした追悼施設をつくらず、そうなっていたというのだ。それが、20数年前の出来事らしい。今でも自決した壕や、学徒隊が派遣されていた病院であった壕は残っている。最近、どちらかの壕の上に、公園が作られたという。なんと、壕の中に、工事で出た土砂を捨てていたという。弔われていない、大切にされていない死者の数は恐ろしいほど多いのだと、悲しくなった。
 白梅学徒隊は、女学校生で、16歳くらいの少女が大半だったという。看護の手が足りないので野戦病院に派遣された。病院といっても、岩場に掘られている壕であり、手術室にベットはひとつ。薬品も物資もほとんどなく、毎日、負傷兵が運び込まれ、手足を切断するような手術が行われていたという。女学生達は、負傷者の排泄の後始末や、世話に日夜追われた。ショックと疲労のため、ほとんどの女学生達は生理がなくなったという。そんなとき、病院は物資が底につき、病院としての機能が果たせなくなったので解散ということになった。女学生達は突如、戦場に放りだされることになった。彼女達は、逃げ惑う人たちに混じって、逃げるが、爆撃もある。海岸方面に逃げた人たちは命を失わなかったが、戦闘が最も激しかった国吉方面に逃げた数名が、壕に逃げ込んだところへアメリカ軍が侵攻し、日本兵と共に自決したという。(この辺り、教科書でも話題になっている記述の部分かもしれない)いろいろ、思うことはあるのだが、それはうまく言葉にならないので、聞いたことだけ、書きとめておく。
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Aug 12, 2007

金曜日でスクーリングを終えて

 夜ご飯を食べると、すぐ眠ってしまいます。夜中目が覚めて、お薬を飲んでいるような感じです。やはり疲れたのでしょうね。しかし、みなさまのご声援もあって、今年の分は無事終わりました。来年もスクーリングがある。実習もまだ日程は決まっていませんが、ひかえています。レポートも、二ヶ月に一回はあるし、今月の後半に期限のあるものもあります。大変ですが、スクーリングを受けたことで、何を勉強しなければならないかが、うすぼんやりとですが、見えた気もします。そんなに自信はないのですが。
 日々、労働現場は、福祉もそうですが、生き残りをかけて、サバイバルゲームが行われています。そんな中で、一生懸命生きる、自分の生活を大事にすることは当然だと思うのです。しかし、保育士の子と話していて、また教育現場等において、親御さんも、子どもの何%かも、他者を思いやることよりも、あるいはお互い様と思うよりも、自己中になっているような気もするのです。私も、自己中なのですが、別にいい子になるというわけではなく、社会はお互い様で出来ているということを忘れたくないです。すぐには、自分に還ってくるような、数量に換算できるようなものが、還ってくるわけではないのが社会です。もちろん、今の、社会の賃金格差は目に余るもので、是正していかなくてはなりませんが、お互い様ということを忘れたくないです。自分の生活を守るというだけでは私たちの社会はジリ貧になっていくように危惧を覚えています。
 今書いたようなことは勉強をしているときに、思ったことです。かつての職場で、「制度について勉強しなければならない」といっていた上司がいました。そのときは何のことかわからなかった。でも、この社会が、どのように成り立ち、どのような価値観や法の下に、社会が生成しているかを知らないと、ずいぶん悔しい思いをすると思うようになりました。なぜなら自分だけの問題ではないという感性が無くなって、なんとなく悲劇の人になってしまうのです。個々の運命と共にそういうことも感じておいた方がいいかなと思うようになりました。
 たとえば、今の社会は「できる」という基準で社会が作られ、そのように人を見るのです。労働現場がそうですが、労働現場でも、正社員のうつ病が増えているように、「できる」で人を見、残していった結果、大量のパートの人と、少数の正規で組み立てられ、パートが苦しむだけでなく、正規の人だって、少ない数で責任を持たされるようになったのです。誰もが苦しくなってあまりいいことはありません。
 私が、スクーリングを受講して不満だったのは、老人のことが圧倒的に多かったことです。人は誰しも年を取るし、高齢社会だし、介護保険はかなりがんばって作ったシステムなのですが、「できない」として排除されているのはそれだけではないと思いました。「できない」と括られている世界には、人間の成り立ちの不可思議をもうひとつの側面から見れる、深淵があると思います。
 当たり前とされていることが難しいのは、人間の老いの場面だけでなく、発達の過程や、様々な過程で繰り返し起こることです。精神障害福祉が立ち遅れているのは何も、差別だけでなく、人生の様々な過程で起こる難しさに目を向けてこなかった。人間存在をトータルに見ず、様々な形で輪切りし細分化し、消費の対象としてみてきたからではないかと思います。
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Aug 10, 2007

最終日

 やっと今日でスクーリング最終日です。でも、結構早かったなあ。この間忙しかったので、連絡等滞りがありましたらすいません。今日一日がんばります。一昨日は、以前の職場の後輩で、今は保育士としてがんばっているMくんと、ご飯食べました。楽しかったです。
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Aug 06, 2007

ちゃんと学生しています!

  昨日の韓国出身の李先生の『社会福祉原論』は、ユニークな授業であった。国家試験で最難関とも呼べる、この科目。李先生は、精緻なレジュメを作っていた。知識はいやでも、国家試験に向けて覚えなければならない。だから、李先生はそこは、後で勉強するであろうからと考えているのか、福祉理論や制度の背景にある、宗教や価値理念をとうとうと、マギー司郎のような口調で語っていた。キリスト教の「隣人愛」、仏教の「慈悲」、儒教の「仁」。知識を生かすものは、そのような見えない知恵や叡智であることを先生は語っていた。また、価値観同士の否定のしあいが、行き過ぎているといっていた。この意味で、先生はご自身が述べるように相対主義的である。その識見は、自然法思想を源泉としているようだ。「教養」もよく口にし、マックス・ウェーバー、トマス・モアと社会思想の古典を読むように進めていた。古典的な社会学徒であり、社会福祉思想家の中でも、日本で20世紀中盤に活躍した諸先生方に師事していたようだった。だからといって、難しい感じは、まったくしない。リラックスに謎の気孔を紹介する等、つめこみよりも、福祉の何たるかを楽しく教えようとしていて、気分良かった。そのあと、学生交流会に参加するが、すぐ酔っ払い、早々に帰った。無職には、仕事している皆様がまぶしい。
 今日は、『障害者福祉論』。障害者自立支援法に対する、バランスのとれた、危惧を述べていた。先生は、障害者福祉の分野で相談支援が日本では手薄だといっていたが、私もそう思う。参院厚生労働委員会「障害者自立支援法案に対する付帯決議」という資料をもらったが、政治家が、官僚がバカだから、悪政がまかりとおるといった批判は一面的であると思った。そうなのだが、真面目に仕事している人もいる。だがまさに支えあう社会がいかに構築されるか、実現段階でつまずいてばかりなのだ。なぜなのか。私は先生に反して、やはり、お上が現場の事をどれくらい知っているだろうかと不安である。短めのビデオを二本見せてくれたり、工夫されている。バリアフリーや障害について、語るとき、先生自身が足がお悪く、体験的な話で説得力があった。
 学生気分で思ったより、脳が活性化し調子がいい。お二人とも、ベテランの教員であり、そして元気である。必ずしも、考えが私と一致するわけではないが、私は色んな考えを聞き、頭が活性化している。今まで見た先生は、世界や日本の現状に強い危機感を持っていて、わりかた良心的であると思った。ちゃんと大学だと思った。
Posted at 22:14 in nikki | WriteBacks (1) | Edit

Aug 05, 2007

二日目へ突入

 昨日が一日目。開校式のあと、社会福祉援助技術論。話が抽象的で、理念的。さらに、授業の速度が速く、ノート取るのに必死。最後に小テストまであった。ぷぎゃー。今日は、どんなだろうか。社会福祉原論です。
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Aug 04, 2007

スタート

 今日から一週間、通信教育のスクーリング。どきどき。
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Aug 02, 2007

浴衣にお花

 そんなわけで、もはや8月。スクーリングが目前に迫り、じりじりする感じ。気力、体力が持つよう祈ろう。
 昨日は、家族の誕生日だった。留守電にメッセージを入れた。酔っ払っていたので、いい加減なコメントだったような気もする。留守電は難しい。言葉がつながらなくなるので、棒読みになる。棒読みだと変なので、がんばるとますます変になる。そして、誰に向けて話しているのかわからなくなったりする。
 昨日は飲んでいたのだが、窓際の席で駅の改札が見える店だった。改札を見ていると、やけに浴衣の女の子が多い。たしか、花火があったはず。それにしても、浴衣の着方がまずい人も多く、髪も浴衣にあっていなかったりする。さらに妙なのは、みんな、頭にお花をつけていること。みんなお花が頭に咲いている。流行なのか?みんな、事前に打ち合わせしたみたいにつけている。これも浴衣に似合わない。まれに、お花が頭に咲いていなくて、浴衣もくずれていないと(というか姿勢がいい)ほっとした。なぜか、今、吉田拓郎の”浴衣の君は~”だっけ、それが脳内音楽である。俺はいったいいくつなのか。
 最近ビールをジョッキ一杯飲むと、急に、頭の中が、ハッピーになり、ニヤニヤしてくる。前はこんな酔い方をしなかった。そんで、芋焼酎の水割りを飲むと、急に深閑とした気持ちになり、その後ぽかぽかしてくる。薬理作用はどうなってるのか興味がある。
 知人に『夕凪の街 桜の国』を読んでもらう。知人も中途半端といっていた。知人は恋がきちんと描けていればいいのにといっていた。どこを伝えたいか描きたいか焦点があいまいである。原爆を表現にするのは、難しい。帯にみなもと太郎が、多くの記録文学を凌ぐと云っているが、そうすると、『黒い雨』はどうなんだ?とか思ったりする僕はひねくれているのだろうか。映画の方が面白かったりして。
Posted at 09:52 in nikki | WriteBacks (2) | Edit
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