Aug 23, 2007
中流の復興 小田実
「小田実」というお名前だけは若い日から存じ上げている。「べ平連」と言う言葉と共に。しかし、今日まで一冊も読まなかった。とうとうご逝去されたあとで、やっとこの著書を開きました。遅い出会いでした。やはり荒削りな文章に馴染めない感は拭えませんが、しかし小田実の言う(書く、ではないような。。。)言葉は、まっすぐに届きます。はっきりとした意思表示がありました。「語録」と言いたいような言葉が多く、それをここに挙げてみませう。(太字部分は引用です。)
『ただ、ベトナム戦争は勝ったけれども「惨勝」です。惨敗という言葉があるけれど、彼らの場合は「惨勝」、完全に惨めな勝利です。「惨勝」という言葉をつくったのは中国で、一九四五年の日中戦争で使われました。あの時の中国は勝ったけれども、日本に侵略されて、滅茶苦茶にやられた「惨勝」なんです。』
「戦争はやってはいけない。」というのは、考えてみるまでもなく、あたりまえの基本思想でありながら、何故人間は戦争の歴史を断つことができないのか?凡々たるわたくしの変わらぬ「人間の摩訶不思議」です。
八月になると、テレビは必ず「戦争番組」を企画する。やらないよりはいいが。。。偶然見たNHK番組では「憲法九条」の改定の是非について世代を問わずに、スタジオでの討論と街頭インタビューとを放映していました。「否」を主張する方々がほとんど戦争体験者であることは痛ましい限りでした。体験者にとっては「二度と戦争はやらない。」という約束は夢のようなことだったろうと思います。この「九条」の成立の背景が真っ白なものであったとしたら。。。
また街頭インタビューでは、貧しさから抜け出せないフリーターの若者が「是」を主張していました。これにはかつての「満蒙開拓団」の方々が重なりました。このような危険を孕んでいるのではないでしょうか?
『私は世界のいろいろな国に行くたびに、外国人、とくに差別されたり抑圧されたりしている外国人がその国をいかに受け止めているかが、一番大きな指標になると思って、オランダでも、肌の黒い人など、普通ならすぐに差別されたり抑圧されたりする対象となる外国人たちに聞いてみるのです。すると、多くの人が、この国が一番いい国じゃないかと、と言います。(中略)
理由は一つあります。まずオランダの人たちが、私の言う中流の暮らしの土台を形成していることにあります。経済的な問題を解決せずに政治的な問題をせっかちにやると、強制力を伴ってかつての社会主義のようにもなるけれど、普通に人間が中流の暮らしを形成していれば、生活にゆとりができて、その上で政治的な問題が解決できるようになるでしょう。』
ここにこの著書の「中流の復興」の意味が浮き彫りにされますね。小田実は平和産業で復興した日本が、軍事国家に向かってはならないと言っているのでしょうか?さらにオランダでは「尊厳死」への規制をゆるやかにしています。これも注目するべきところですね。
「あとがき」にかえて、と題された四十ページにもなる長い文章は、「恒久民族民衆法廷=PPT(二〇〇七年三月二十一日~二十五日、オランダ、ハーグ)」が調査したフィリピンの惨い状況の報告書です。ここには小田実の最期の叫びが聴こえます。本当に惨い。言葉を失います。これはわたくしにはとても書ききれるものではないと思いましたが、リベルさんのコメントを頂きましたので、やはり拙いながら加筆いたします。小田実はここにも重い「語録」を残していかれました。この言葉にわたくしの思いを託します。
『どの国家でも、その成長と発展は農民、漁民、労働者、先住民族、女性、そして彼らの勤勉な労働にある。しかしこのような民衆が極度の貧困、飢え、失業、土地およびすべての資源の喪失に直面するなら、暮らしそのものが脅かされ、社会が破壊されるため、発展は無意味である。これがフィリピン人の過酷な現実である。』
【付記】
これはわたくし個人の考え方ですが、わたくし個人としては「組織」というものが嫌いです。一つの運動を起すには個人の力では弱すぎて出来ないから、その個人の力を結集したら強い力となるのではないか?という理念は理解します。しかし「組織」となると、そこはもう階級社会となる。リーダーがいる、幹部がいる、兵隊がいる、その兵隊にも階級がつく。経済面でも「塩と水」だけでは闘うことはできない。組織のなかでの人間間の考え方のずれ、そして近親憎悪、異種人間への排除意識、見えないところでは男女間の諍いなどなど。あらゆる場面から腐敗がはじまる。これは文学の世界でも同じことです。あまり理解できていない「べ平連」や「PPT」などについて言っているのではない。身近に起きているささやかな運動組織にそのような状況を垣間見るからです。
わたくしは、ささやかながら「非戦」というコーナーを作った。これはわたくしの父母、祖父母への鎮魂のためです。そしてやがて子供達も読む。個人での行動はここまでです。それぞれ一人の人間が両親の歴史を小声で語り継ぐこと、これで充分ではないか?大きな運動ではない。ひたすら自らの足元を雪ぎ続けることでいい。
あああ。疲れた。慣れないことを書きました。(汗。汗。汗。。。)
(二〇〇七年六月・NHK出版・生活人新書224)
Aug 16, 2007
女性詩史再考 新井豊美
女性詩の歴史について書かれたのは、おそらく新井豊美さんしかいらっしゃらないのではないだろうか?戦前戦後そして現代に至るまでの女性詩人の流れ、主張、表現の変化について、わかりやすく、しかも偏りなく書かれた貴重な著書です。
与謝野晶子からはじまり、今の若手詩人までの足跡を丹念に読み込み、社会における女性のあり方、あるいは抑圧と開放、そして開放後の拡散、しかしそこに見出される一本の流れを新井さんは静かな視線で丹念に追い続けたと思えます。そこには「女流詩人」から「女性詩人」への流れへと移行する「空白期」もありました。
山の動く日 与謝野晶子・「青鞜」
山の動く日きたる、
かく云へど、ひとこれを信ぜじ。
(中略)
すべて眠りし女、
今ぞ目覚めて動くなる。
焔について 永瀬清子
(前略)
年毎の落葉してしまう樹のように
一日のうちにすっかり身も心もちびてしまう私は
その時あたらしい千百の芽の燃えはじめるのを感じる。
その時私は自分の生の濁らぬ源流をみつめる。
その時いつも黄金色の詩がはばたいて私の中へ降りてくるのを感じる。
(後略)
怒るときと許すとき 茨木のり子
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらしている
(後略)
書き出したらきりがない。白石かず子、富岡多恵子、石垣りん、新川和江、吉原幸子そしてこの本の著者である新井豊美、etc、ここまでの詩人がわたくしにとっての先達詩人となるのでしょう。
女性・・・それは「産む性」である。言い換えれば「産まない選択肢もある性」でもある。この与えられた片側の性は、永瀬清子の「グレンデルの母」という詩語が見事に代弁していますので、今さら書くこともないでしょう。
この一冊は、一九九九年「現代詩手帖」の十二月号に書かれた「空虚から不透明の感覚へ」を中心として、二〇〇〇年以後の状況を書き加えたものです。ここには「女性詩」から、さらに「女性性への詩」という予感を残していました。
(二〇〇七年・思潮社・詩の森文庫E11)
Aug 11, 2007
まどのそとの そのまたむこう モーリス・センダック
これはアメリカの絵本作家モーリス・センダック(作&絵)のものを、「わきあきこ」が翻訳したものです。前日に、大江健三郎の小説「取り替え子 チェンジリング」について書きましたが、そのなかで「古義人」の妻「千樫」が、示唆を受けた絵本として取り上げられているのは、多分この絵本でしょう。
父親は船に乗って遠くへ行っている。空ろな眼をした母親。赤ちゃんのおもりをする長女アイダ。ゴブリンに氷の赤ちゃんとすりかえられて、連れていかれてしまった赤ちゃんを、知恵と勇気をもって取り返すのもアイダだった。この無力な空ろな母親とアイダに「千樫」はあまりにも深いものを感じとってしまったのだと、痛ましい思いになる。
(一九八三年初版・二〇〇二年第九刷・福音館書店刊)
Aug 10, 2007
取り替え子・チェンジリング 大江健三郎
自死した映画監督の「吾良」がカセットテープに残した、主人公の作家「古義人」へのメッセージを聴くヘッドホンを「古義人」は「田亀」という昆虫の名前に例えていますが、これはともに少年期を過ごした村にいた、ごく見慣れたものだったのでしょう。なるほど旧式(?)ヘッドホンの形に似ています。わたくしはこれを昆虫であることさえ知らずに「デバガメのもじりですか?」と思ってしまい、なんとも奇妙な読み出しでした。すみませぬ。以後、「古義人」はすべてヘッドホンを「田亀」と呼んでいます。
確認のために、対談集「大江健三郎・再発見・・・二〇〇一年・集英社刊」のなかの、井上ひさし&小森陽一&大江健三郎の対談のなかで「田亀」を理解した次第です。「田亀」は「田鼈」とも表記されます。小森氏は「鼈=すっぽん」というところまで想像を拡大しています。実際に小説の中ではベルリンから帰国したばかりの「古義人」が、読者から送られてきた「鼈=すっぽん」とキッチンで大格闘する場面がありますが、大江健三郎にはそこまでの拡大した比喩ではなかったということでした。
そして「古義人」の「田亀」との対話は、ベルリンへの旅の前まで続きました。ベルリンからの帰国後は「吾良」の映画化されなかった「シナリオ」と「絵コンテ」に移っていきます。それは登場人物が「古義人」を中心とした、周囲の人間がモデルとなっています。
しかし途中から、なぜタイトルが「取り替え子・チェンジリング」なのか?という疑問(愚問?)になかなか答えが見出せないという焦燥感に陥りました。大江健三郎の小説は一見私小説のように見えますが、実はまったくの小説なのです。惑わされずに読まなければ、わたくしたちは大きな過ちをおかすことになります。さらに現実には、大江健三郎が障害者の父親であるということを前提として読むことも控える方が懸命な読者となるだろうと思います。彼はあくまでも小説家なのですからね。
最終章に入って、ようやくそのタイトルの意味が浮上します。「古義人」の妻「千樫」は「吾良」の妹です。「千樫」は「古義人」を父として「吾良」をふたたび我が子として産もうとしていたのだという思いがあったことに初めて気付くのでした。そのきっかけは「古義人」がベルリンから持ち帰った、彼がセミナーのテキストとして取り上げた「モーリス・センダック」の絵本と、みずからの少女期(母、「吾良」弟妹を含めた)にあまりにも深く重なったからでした。以下は引用です。
『古義人と結婚して最初の子供が生まれるのを待っている時、千樫が考えたことは――これもいまセンダックの絵本を読んだことで初めて妥当な表現を与えることができる。アイダのような勇敢さでふるまって――本来の吾良を取り返すと同じことをしよう、ということだった。私がお母様の代わりに、もう一度、あの美しい子供を生もう。(中略)しかし古義人は私の企てのなかで、どんな役割だったのだろう?そう考えて、千樫は答えを導くことができなかった。』
ここから「吾良」の自死は「古義人」から「千樫」の心の喪失の問題として移行してゆきます。これが「取り替え子・チェンジリング」なのです。これに加えて、ベルリンにいた時に書いた講義録のなかには、少年期の「古義人」の記憶が書かれています。それは医者すらも希望を失ったほどの状況から救いあげた彼の母の言葉がありました。
『――もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。
――・・・・・・けれどもその子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?
――いいえ、同じですよ、と母は言いました。あなたが私から生まれて、いままでに見たり聞いたりしたことを、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。』
読者としては、「古義人」と「千樫」との長いこころの道のりを歩いてきたような気持でした。小説家として生きること、その傍らに生きること。それ自体が至福であり、かつ受難ではないか?
(二〇〇〇年・講談社刊)