Aug 16, 2007
女性詩史再考 新井豊美
女性詩の歴史について書かれたのは、おそらく新井豊美さんしかいらっしゃらないのではないだろうか?戦前戦後そして現代に至るまでの女性詩人の流れ、主張、表現の変化について、わかりやすく、しかも偏りなく書かれた貴重な著書です。
与謝野晶子からはじまり、今の若手詩人までの足跡を丹念に読み込み、社会における女性のあり方、あるいは抑圧と開放、そして開放後の拡散、しかしそこに見出される一本の流れを新井さんは静かな視線で丹念に追い続けたと思えます。そこには「女流詩人」から「女性詩人」への流れへと移行する「空白期」もありました。
山の動く日 与謝野晶子・「青鞜」
山の動く日きたる、
かく云へど、ひとこれを信ぜじ。
(中略)
すべて眠りし女、
今ぞ目覚めて動くなる。
焔について 永瀬清子
(前略)
年毎の落葉してしまう樹のように
一日のうちにすっかり身も心もちびてしまう私は
その時あたらしい千百の芽の燃えはじめるのを感じる。
その時私は自分の生の濁らぬ源流をみつめる。
その時いつも黄金色の詩がはばたいて私の中へ降りてくるのを感じる。
(後略)
怒るときと許すとき 茨木のり子
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらしている
(後略)
書き出したらきりがない。白石かず子、富岡多恵子、石垣りん、新川和江、吉原幸子そしてこの本の著者である新井豊美、etc、ここまでの詩人がわたくしにとっての先達詩人となるのでしょう。
女性・・・それは「産む性」である。言い換えれば「産まない選択肢もある性」でもある。この与えられた片側の性は、永瀬清子の「グレンデルの母」という詩語が見事に代弁していますので、今さら書くこともないでしょう。
この一冊は、一九九九年「現代詩手帖」の十二月号に書かれた「空虚から不透明の感覚へ」を中心として、二〇〇〇年以後の状況を書き加えたものです。ここには「女性詩」から、さらに「女性性への詩」という予感を残していました。
(二〇〇七年・思潮社・詩の森文庫E11)
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