Jun 22, 2007
とりつくしま 東直子
東直子(一九六三年生まれ)はどうやら歌人のようです。エッセーも書く。小説はこれが二作目らしい。わたくしには初対面の方なのです。なぜ彼女の本を読もうかと思ったかは、偶然に埼玉テレビを見ていたら、「おすすめの本」の紹介番組で、この本を紹介していたからでした。紹介者も知らない人でした。ですから一冊読んでみてから、この番組のレベルみたいなものを測ってみようという、イジワル(^^)な気持からでした。
読みやすさと言う点では○。題材の面からみたら平凡で△。同じテーマで纏めた十編の短編集(プラス番外編一編)ですので、一編づつでは○や△というところ。テーマは、死んであの世に行った人には「とりつくしま係」があらわれて、もう一度現世に戻りたいのなら、命なきものにとりついて戻してあげようという展開です。
野球少年の息子を残して死んだ母親は「ロージン」に、若い夫を残して死んだ妻は「トリケラトプス」の絵がついたマグカップに、死んだ少年は青いジャングルジムに、書道家の若い女性は、密かに慕っていた師匠の白檀の扇子に、図書館の受付嬢にひそかに憧れていた中年男性は、受付嬢の胸に付ける名札に、母を残して死んだ娘は、母の補聴器に、妻を残して死んだ夫は妻の日記帳に、家族を残して急死した父親は、居間のマッサージ機に、一四歳で死んだ少女は好きだった先輩の恋人のリップクリームに、ここまでは、望んだものになれました。
十編目の死んだおばあさんは孫息子に買ってあげたカメラになったのですが、そのカメラは売られていて、中古カメラ店で、やさしいおじいさんに買われるという運命をたどる。民話のような番外編では、娘の死に際の願いを聞いて、母親は娘の髪をびわの木のそばに植えます。その髪は宿り草となって、びわの木にからみつき、びわの木は枯死します。びわの木は娘の恋する人の木でしたが、別の女性と結婚していました。びわの木の枯死とともに、その男性は突然死んで、宿り草も宿る木をなくして、二つはともに死ぬことになって、娘の願いは「とりつくしま係」の手を借りることなく果たされたのでした。
「とりつくしま」と言えば当然「取り付く島がない」という否定語が想定される。「とりつくしま」として選ばれたものにもおそらく寿命がある。あるいは忘れさられたり、引き出しの奥にしまわれたままになるという運命も待っていることだろう。死者の切ない願いも短いいのちだ。その時間のなかで生き残されたもののあらたな生き方が選択されてゆくということではないだろうか?
ありえない「もしも・・・」という仮定法の物語には、読者を思わぬ方向へ連れてゆく道筋が必要ではないだろうか?この物語の展開は思わぬ意外性が欠如しているのではないだろうか?そこが不満として残る。
しかし、この本を図書館にリクエストした時点では「入手まで時間がかかります。」といっていたわりには、意外に早く用意された。そしてすでに借り手はわたしの後に待機していることもわかった。多分読者の多い本となるのだろうという予感。。。
(二〇〇七年・筑摩書房刊)
Jun 18, 2007
海 小川洋子
これは七編の短編集です。小川洋子という作家の天性のものではないか?と、わたくしが思っているものがここには凝縮されているような気がするのでした。それは「やさしさの魔力」と言えばいいのだろうか?それは「悪魔」の「魔」ではなく、妖精の「魔法」でもない。この「やさしさの魔力」によって、七編の作品のなかでは、世代をこえて人々が出会い、お互いの心のなかに美しい漣を置いていく過程がファンタジックに展開されています。
【海】
海辺にある恋人の実家を共に訪れた若者が、その弟の部屋で眠る時、その弟はまぼろし(あるいは架空の・・・)の楽器「鳴鱗琴」の奏者だという展開です。海風とともに奏でられる不思議な楽器。。。
【風薫るウィーンの旅六日間】
海外への観光ツアーで同室になった老婦人のために、みずからの旅の目的を果たせず、老婦人の昔の恋人に会うために養老院で過ごした若い女性。。。
【バタフライ和文タイプ事務所】
大学近くにある和文タイプの請負会社の新人タイピストと、その活字の管理人との小さな窓口を通しての、「活字」だけの会話です。一文字の「漢字」の意味が途方もない想像力のなかで、まるで生き物のようになってゆく。。。
【銀色のかぎ針】
電車で隣席になった老婦人の一本の糸が編み出してゆく美しい模様への賛歌。この表現は「博士の愛した数式」にも比喩として頻繁に登場します。小川洋子の少女期の記憶に関連したもののように思えます。
【ひよこトラック】
口のきけない六歳の娘がいる家に下宿することになった中年の独身のドアーマン。その二人の言葉のない交流です。蝉やヤゴ、蛇などの抜け殻をはじめとして、「ひよこトラック」に出会ってからは玉子の殻にまで二人の蒐集遊びは続く。やがて少女がふたたび言葉を取り戻す時がやってくる。。
【ガイド】
観光ツアーで出会った少年と、もとは詩人、今は「題名屋」をしている老人との一日の出来事です。少年の「なぜ、詩人をやめちゃったんですか?」という質問に、老人は「詩など必要としない人間は大勢いるが、思い出を持たない人間はいない。」と応えます。その「思い出」の題名を付けてあげるのが老人の仕事なのです。少年のこの一日の思い出に付けられた題名は「思い出を持たない人間はいない。」でした。ふうむ。。。
* * *
小川洋子の作品を読む度に思うことですが、人間が生きるためには「愛される」という根源的ものが必要ではないか?ということです。「愛する」ことが先だという反論がくることを覚悟の上で、わたくしはあえて「愛される」ことを優先順位としたい。
(二〇〇六年・新潮社刊)
Jun 11, 2007
妖精学入門 井村君江
一冊の本を読むということは、数冊の本やたくさんの思い出を、そして一編の詩を呼び出すという行為でもあるのでしょうか。。。
ひとつの沈黙がうまれるのは
われわれの頭上で
天使が「時」をさえぎるからだ
二十時三十分青森発 北斗三等寝台車
せまいベッドで眼をひらいている沈黙は
どんな天使がおれの「時」をさえぎったのか
(田村隆一「天使」より抜粋)
五世紀頃までは、ヨーロッパの大部分、バルカンまで居住していた民族「ケルト」は、ローマの支配、ゲルマンの圧力により衰退。現在はアイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブリュターニュに散在する。こうして次にはキリスト教の布教により、土着の宗教とそれにまつわるさまざまな神話や伝説が風化してゆく例が欧米諸国には多々ある。しかしアイルランドの「ドルイド教」は「ドルイド教にキリスト教を接ぎ木する。」という、聖パトリックの布教の緩やかさによって、ケルトの「ドルイド教」の神話と伝説はここまで永い歴史のなかに生き残ることができたようです。
それは、絵画、物語、音楽、舞踏、演劇などのあらゆる分野に影響を与え、そこからさまざまな「妖精」がさらに生まれ、豊かな歴史の源となったと言ってもいいのではないだろうか?
「妖精」という言葉が日本に定着したのは大正時代です。明治三十四年、上田敏は「Fairyに好訳字なし。仮に『仙女』と呼ぶ。」とした。大正末期から昭和にかけて、西条八十は「妖女」、大正十三年、芥川龍之介は「精霊=フエアリー」、大正十四年、松村みね子は「フエヤリー」「妖精」、菊池寛は「仙女」「女の魔神」、同時期に「愛蘭土文学界」を作った吉江喬松、日夏耿之助たちが「妖しい自然の精霊」として「妖精」という訳語を定着させたとのこと。
「仙女」はすでに一三三二年の「元亨釈書」に用いられ、「風土記」では超自然の存在を「天女」「西王母」「乙姫」と呼んでいる。「妖精」たちは古今東西を超えて、飛び交っていたのではないのでしょうか?限りある人間のいのちを豊かにするものがあるとしたら、それは「想像力」が生み出した「妖精」の飛翔ではないでしょうか?
この著書は、「妖精辞典」という感じがして、お借りした本では覚えきれなくて、それが淋しくて、手元に置きたくなって、同じ本を買いました。お借りした本は「一刷」ですが、わたくしの手元に届いた本は「六刷」その間には八~九年の時間が流れています。。。
(一九九八年初版/二〇〇六年六刷・講談社現代新書)