Jun 18, 2007
海 小川洋子
これは七編の短編集です。小川洋子という作家の天性のものではないか?と、わたくしが思っているものがここには凝縮されているような気がするのでした。それは「やさしさの魔力」と言えばいいのだろうか?それは「悪魔」の「魔」ではなく、妖精の「魔法」でもない。この「やさしさの魔力」によって、七編の作品のなかでは、世代をこえて人々が出会い、お互いの心のなかに美しい漣を置いていく過程がファンタジックに展開されています。
【海】
海辺にある恋人の実家を共に訪れた若者が、その弟の部屋で眠る時、その弟はまぼろし(あるいは架空の・・・)の楽器「鳴鱗琴」の奏者だという展開です。海風とともに奏でられる不思議な楽器。。。
【風薫るウィーンの旅六日間】
海外への観光ツアーで同室になった老婦人のために、みずからの旅の目的を果たせず、老婦人の昔の恋人に会うために養老院で過ごした若い女性。。。
【バタフライ和文タイプ事務所】
大学近くにある和文タイプの請負会社の新人タイピストと、その活字の管理人との小さな窓口を通しての、「活字」だけの会話です。一文字の「漢字」の意味が途方もない想像力のなかで、まるで生き物のようになってゆく。。。
【銀色のかぎ針】
電車で隣席になった老婦人の一本の糸が編み出してゆく美しい模様への賛歌。この表現は「博士の愛した数式」にも比喩として頻繁に登場します。小川洋子の少女期の記憶に関連したもののように思えます。
【ひよこトラック】
口のきけない六歳の娘がいる家に下宿することになった中年の独身のドアーマン。その二人の言葉のない交流です。蝉やヤゴ、蛇などの抜け殻をはじめとして、「ひよこトラック」に出会ってからは玉子の殻にまで二人の蒐集遊びは続く。やがて少女がふたたび言葉を取り戻す時がやってくる。。
【ガイド】
観光ツアーで出会った少年と、もとは詩人、今は「題名屋」をしている老人との一日の出来事です。少年の「なぜ、詩人をやめちゃったんですか?」という質問に、老人は「詩など必要としない人間は大勢いるが、思い出を持たない人間はいない。」と応えます。その「思い出」の題名を付けてあげるのが老人の仕事なのです。少年のこの一日の思い出に付けられた題名は「思い出を持たない人間はいない。」でした。ふうむ。。。
* * *
小川洋子の作品を読む度に思うことですが、人間が生きるためには「愛される」という根源的ものが必要ではないか?ということです。「愛する」ことが先だという反論がくることを覚悟の上で、わたくしはあえて「愛される」ことを優先順位としたい。
(二〇〇六年・新潮社刊)
WriteBacks
小川さんのものを読んでいませんが
赤ちゃんは「愛する」ことが出来ません。人生は先ず、「愛される」ことから始まっているものなのではないでしょうか。
誰もが「愛される」ことを必要としている。つまり「根元的」である。だから、人を「愛する」ことが大切である。
そういうことなのでしょうか?これって書くのがしんどいです。だからどなたもお書きにならないのかなあ・・・?
Posted by リベル at 2007/06/23 (Sat) 02:31:15
すみません。。。
リベルさんのおっしゃる通りです。
ただ、そこまで書けないのが、わたしの未熟さというか、恐れというか。。。
Posted by あきこ at 2007/06/23 (Sat) 13:55:48
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