Oct 30, 2005

☆ピポ☆のハロウィン

pipo-haro2

 カボチャの上に鎮座しておりますのは、桐田真輔さんお手製の☆ピポ☆人形です。工作人さん、ありがとうございます(^^)。それからかわいい小さなふくろうの仲間たち。。。

hsroin


     諸聖人飴のつぶてをあげましょか    昭子
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Oct 26, 2005

ついてゆく父親   芹沢俊介

05-8-17donnguri

 まずはじめに、この本に関しては、ちょっと長い文章を書くことになるだろうと思いました。また、このブログを読んで下さっている方からの「エッセーを書いてみないか?」というアドバイスも踏まえて、読書感想文というよりも、エッセーにより近い形で書いてみたいと思います。さらにこの本は三章に分かれていますので、わたくしも章ごとに書いてみることにしました。


【第一章 分解する家族】

 まず、ここで「家族」のキーワードとして使われている言葉「エロス」の解釈ですが、これは「フロイト」や「プラトン」的解釈ではなく、わたくしは「ギリシャ神話の愛の神」と解釈したいと思います。芹沢俊介は「家族」あるいはその要となった「女性」という存在を時代を追って、類別化してみたり、統計やその数値、アンケート結果、あるいは実例や小説などを用いて、論じようと試みていますが、そのどこにもわたくし自身、あるいはわたくしが、かつて「家族」と言っていたものがはあてはまることはないのでした。
 暴論を言うことを許していただきたいが、女性は「家族論」など書かぬ。これは本来、類型化が不可能なものであって、一つの家族には一つの「家族論」が存在するものだと思うからだ。

 「家族」とはつねに幻想の建造物である。この「幻想」の修復を幾度も試みながら、その日々から逃走することなく生きることが、おそらく「エロス」であり、「家族」の完成図なのではないだろうか?そして「家族」とは「子供の巣立ち」ということも含めて、いつでも崩壊するのだという確かな可能性をもはらみつつ成立しているものでもある。

 かつてその崩壊を免れさせたものは「家長制」であり、その底辺にいた女性の「忍従」であった。この女性の存在は見えにくいかもしれないが、大きな力で家族を結束させてきたと思う。そして子供は、次世代を担い、また将来的には社会的生産力ともなる期待のもとで誕生したのだろう。この古い家族形態を徐々にゆっくりと変化させていったものは「女子供の反旗」に他ならない。

   またこの章には「非婚」という言葉が登場するが、これが今日の「家族」の新しい形態を生みつつあるようです。「結婚」という可能性をいつも抱えながらの「未婚」、あるいは「離婚」を離別として受け止めずに、夫婦から友人関係に移行させた人間関係などを指しているようです。それはそれでいいのかもしれないが、「深傷」を負わない生き方を選択するという人間のひ弱さを垣間見るようであり、そこにはすでに「エロス」は存在していないように思えてならないのだが。。。


【第二章 教導する父 支配する母】

 かつては「忍従」という位置にいながら「家族」の核となっていた女性が、徐々に「自分」に目覚めることによって、とりわけ「育児」が女性の生き方の予想外の大テーマとなってしまった。それはさらに母親の子供への「虐待」という一つの社会問題にまで広がってしまった。芹沢は、さまざまな実例を挙げながら〈危機1〉というように母親のこの病状の度合いを分析してゆくのだが、このように分析されてゆく過程を読んでゆくのは背中が寒くなるような寂しさがありました。さらにそれらの母親の子供への「虐待」のルーツを辿ってゆくと、母親のそのまた母親に行き当たってしまうことは、さらに哀しいことだった。

 これを書いているわたくし自身も、かつては母親に叱られた記憶はかなり多いと思う。それを何故忘れずにいるかと言えば、大方母親の叱責や禁止などの理由がわからなかったからです。わからないながら、とりあえず母親のための良い子になるという「理不尽」を、重すぎるほどではないが抱えて生きてきたことは確かなことだった。時を経て、わたくしが母親になった時、その子供時代に抱えていた「理不尽」は、取りも直さず我が子の側のものとなったのだろう。これ以上は我が身に刃を突きつけるようなことになりますので、この辺で。。。

 子供は無力であり、生きていく上でのさまざまな判断基準を父親よりも「母親」に学ぶものだから、日常における「母親」の会話や行為は、鏡のように子供に反映するものだ。そのことだけはどのように時代が変わり、女性の意識が変わっても、変わることはない。次に「虐待」する母親に育てられた子供が大きくなった時どうなるのか?という方向に目を向けると、そこには「アダルト・チルドレン」が浮上してくる。
 この「アダルト・チルドレン」現象が現実のものとなった時には、このタイトル通りに「教導する父」が介入してくることになる。父親は自らが生きて、家族のために働いてきた経験からの尺度で子供を教導しようとすると「暴力」「甘え」「不登校」「ひきこもり」などは、とんでもない人生への「甘え」だということになるので、子供への強烈な「教導」が開始されることになる。母親に任せきっていた子供への接触を、父親がとって代わろうとしたところで、そこに到るまでの父親の傍観者としての時間は取り戻すことはできないのだ。

 子供が何故甘えてはいけないのか?何故自立しなくてはいけないのか?何故社会的な規律を守らなくてはいけないのか?子供が親に甘えたければ気が済むまで甘えさせてあげればいい。その内に必ず子供はそれに飽きて親を離れる。そこで「甘え」は自然に終わるものだ。社会的規律などどんどん破ればいいと思う。そんなことは子供時代にしかできないのだから。

 この章の最後で、この本のタイトルの意味がどうやら引き出されてきたようだ。『自己の内部の教導する父を解体する道を進むことはむずかしくないだろう。つまり妻についてゆくことで、子供についていくことはできるのである。』とむすばれている。


【第三章 教育家族の闇から】

 まず私事から書くことにする。子供を初めて教育機関(幼稚園)に送り出す時のわたくしの気持は「子供を濁流に放り込む」思いだった。目をつむって我が子の背中を押したのだと今でも思っている。そして次の小学校以降からは、わたくしは周囲の母親たちの「異様さ」に驚かされた。彼女たちには子供を「レースの勝ち馬」を育てるような勢いがあり、その熱意に唖然としたのだった。このわたくしの二つの記憶は、やがて世間で騒がれ始めた「アダルト・チルドレン」事件にすべて繋がっていった。それらの事件の根はそこからすでに始まっていたのではないだろうか?
 芹沢俊介は、ここでさまざまな事件を例にあげて、詳しい分析を試みているが、わたくしはそこに新しい論点を見出すことはなかった。すべてはすでにあの時から始まっていたのだからという思いの方が強い。「養育」「保育」ではなく「教育」を主体とした家族のなかでは子供は荒廃し、窒息する。幼稚園から果ては大学院まで、子供には教育機関に通う長い歳月がある。それは、ある意味では子供の人生そのものに対する一種の「暴力」にもなりえるのではないだろうか?

 子供の幼さゆえの「傲慢性」と父親の「教導性」とは常に対立する。しかし子供は傲慢であるべきだ。生意気なほどいいと思う。親がひるむほどの言葉が子供の口から飛び出すことは、一編の詩を読むようにうつくしいものだ。


【付記】

 わたくしは、二十代で新しい「家族」の出発点にたった。若さゆえ「エロスの永続」という幻想をも引き連れて、二人の子供の母親にもなった。この時にはおそらく「家族」というものについて何も考えていなかったと思うが、この本を読んで、わたくしが新たに何かを発見したわけでもない。わたくしが「家族」と「もう一世代前の家族」に明け渡した人生の時間は非常に長かったと思うが、決して立派なものではなかったし、さりとて無駄だったとも思わない。ただ放り出してしまえば、またたくまに死んでしまうかもしれない子供(あるいは老親)の「生命の水源」のようなものがいつも存在していて、それによってわたくしは生かされていたのだろう。そしてこれだけの長い時間を経なければ「家族」というものは見えてはこなかっただろう。しかしその役割はすでにすべて終わった。

(2000年・新潮社刊)
Posted at 23:38 in book | WriteBacks (4) | Edit

Oct 19, 2005

05-10-12susuki


    白露やかくれんぼの鬼つぎは誰?     昭子
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Oct 14, 2005

眼鏡ホルダー

megane

 わたしの大好きな詩友のS・Kお姉さまから、お手製の眼鏡ホルダーをいただきました。「いつもシックな(ほとんど、わたしが黒や灰色の服ばかり着ているからです。)服装の昭子さんなので。」ということで少しはなやかなものを作って、送ってくださいました。嬉しいからここにご紹介します(^^)。ありがとうございました。
 このお姉さまは「十年後はこういう女性でありたい。」という、わたしの目標の方ですが、多分十年後のわたしは相変わらずだろうとおもいますです。はい。

 せめてうつくしい秋空のプレゼントを(^^)。。。

05-10-15sora

05-9-29kikyu
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Oct 09, 2005

第七官界彷徨  尾崎翠

higanbana

 この小説が最初に単行本化されたのは、一九三三年(昭和八年)、著者はその時三十七歳であった。この昭和初期という時代に、このような突出した個性の女性作家が存在したことには驚いてもよいのではないかと思う。(わたしは遅れてきた読者だなぁ~。独り言です。)


 主人公は、赤いちぢれ毛の若くてやせっぽちな娘、「人間の第七官界にひびくような詩」を書くために上京し、兄や従兄の家の炊事係として住み込んだところからはじまる。彼女が「第七官界」が何であるかを知っていたのかといえば、そうではないのが難儀なことであり、ノートはいつまでも空白であった。名前は「小野町子」と、なにやらいにしえの佳人に似ていて、彼女はこの名が憂鬱らしい。

 そこの住人は三人いる。

(1)小野一助。町子の兄。精神科医であるが、患者が心を開かないために、みずからが病んでいるようだ。ややこしいドクターである。「分裂心理」が彼の専門分野であるようだが。。。

(2)小野二助。町子の次兄である。農業科学者であり、肥料研究に余念がない。みずからの失恋体験を「蘚」の花粉交換、発情、開花にたどらせ、恋の成就をそこに託した叙情的科学者である。彼の部屋からはいつも家中に「こやし」の臭いが広がっていて、家族を苦しめた。しかし、二助は、一助の説く「蘚の分裂心理」やら、三五郎の音程のおかしいピアノの音や発声練習に苦しめられ、それが蘚の生育を妨げていると信じてやまない。

(3)佐田三五郎。町子の従兄である。雨漏りのするこの古い家に置かれた、調律されていない古びたピアノに苦しみながら、音楽大学受験中の身であるが、絶望的。町子とは幼少期から兄妹のように育っているために、キスさえも性的な意味をほとんど持っていない。


 この三人の奇異とも個性的とも魅力的ともいえる、行動や発言、あるいは研究などに触れながら、それに従いつつ暮らしながら、町子は少しづつ「人間の第七官界」へ結びついてゆく道筋を探しだそうとしているようだが、そのスローテンポがなんともよろしい(^^)。そして町子はついに作品は書かなかったけれど、彼女そのものの存在がすでに「第七官界」だったのではないだろうかと思える。
 一見夢見がちで平凡に見えるこの娘は、じつはこの三人の男たちのエゴイズムな日々を通して、その日々に翻弄されることのない、女性の深奥にある揺るぎないものを無意識に育てている娘であり、この娘はおそらく著者自身なのでしょう。
Posted at 21:52 in book | WriteBacks (1) | Edit

Oct 08, 2005

太宰治  人間失格

kaki3

 秋である。柿の実を見るときまって、この小説を思い出す。もう著作権が切れているようですから、長文引用しましょう。

 『また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本が無い? 貸してよ」
 と言いました。
 自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。
「ごちそうさま」
 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓(みみず)の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。』

 柿の実を見ながらいつもわたしは苦笑する。「なんと女性は甘くみられたものか。」まぁ。どうでもいいですけれど。。。

      柿一つ足の先まであまくなる    昭子

 おまけの甘味。たしか一個五百円以上とかいうケーキを買ってきてくれるはずだった娘のお土産である。どこでこれに切り替わったのか、女の子の気持はわたしにもわかりませぬ。。。画像をクリックして、拡大してみてください。

drop
Posted at 22:05 in book | WriteBacks (0) | Edit

Oct 04, 2005

松本馨氏の追悼講演会

05-10-1tama

 詳細はここをご覧下さい。

 10月1日、国立療養所多磨全生園のコミュニティーセンターにおいて、5月23日に逝去されました「松本馨」氏の追悼講演会が行われました。松本氏は文筆家であり、「世俗の中の福音」といわれた無教会主義キリスト教の伝道者でした。また、多磨全生園入所者自治会を再建され、1974年~1987年まで自治会長を努められ、「らい予防法」と闘い続けた方でした。途上で失明されています。

 わたしには、これ以上はなにも書けません。こうした問題に長い間向き合って、さまざまな活動を熱心にやっていらっしゃる方々はたくさんいらっしゃいます。わたしはまだどう向き合っていいのかわからないままです。2001年の半年間の膨大な量のハンセン病の方々の詩歌に触れたという貴重な体験を生かすことができないようです。
Posted at 14:18 in nikki | WriteBacks (0) | Edit

Oct 03, 2005

プラート美術の至宝展

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 先日、桐田さん、足立さんとともに損保ジャパン東郷青児美術館に行ってきました。
 「プラート」には「聖帯伝説」があり、聖母マリアの「聖なる帯」が実際にあると言われています。毎年9月8日には、大聖堂でこの帯を人々に見せる儀式があるそうです。この絵画でマリアが手にもっている「腰紐」のようなものです。1300年代のこの都市では、絵画の注文が盛んで、それに応えてさまざまな画家が宗教画を描いていました。その絵画たちもさまざまな個性を持っています。

 美術展などを見た後で、いつも思うこと。わたしが気に入った絵の複製写真とか、その他もろもろの関連商品があったためしがないこと。毎回高い画集を買うのも、財政と置き場所の問題もあるのだ。今回最も気に入ったものは、ラッファエッリーノ・デル・ガルボ(本名・ラッファエリーノ・デ・カルリ)の描いた「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」でした。ヨハネの可愛かったこと♪しばらくその前を離れられませんでした。

 ↓の画像は、その美術館の入り口近くにある窓から撮った新宿の街と御苑です。

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 ↓おまけ。おのぼりさんみたいに都庁展望台にも登りました。東京の夕暮れです(^^)。

05-9-29totyo
Posted at 20:50 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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