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 肺葉にひびくほど空気が氷りつき、世界中が暗くなると見えない天空をうずめつくして粛々と雪が降ってきた。勾配をのぼりながら旅人がめざすのは何処にもない町である。まるで愛おしむかのように寒気はやさしく旅人の肩を抱きしめ、針の形をした冷気の結晶で旅人の睫毛をとざす。旅人がふるえるのは、みずからが生から遠いのを感じるからではなく、生も死もおなじ光、おなじ遠さ近しさで見えてしまうからにほかならない。さらに虚空をうずめつくすものは狂ったように、白さのなかを同一の白さで乱舞してしかもそれらは独立したひとひらひとひらの実数の集合、痙攣しながらこの世界に降りてきた、限界を持たない一本の《柱》なのだ。ロトの妻が振り向いて見たものは火の柱だが、旅人が行くのは原罪とは無縁の、しかし仮借なく人に迫る無形の雪の柱の内側である。逃れがたいもの、それは罪ではなく、いかなる人も救抜から逃れることを免れない。粛々と降りつづくもの、それは限りなくやさしいけれど愛ではない。時として火の熱さで感受する冷気の結晶は手に握ればかんたんに溶融し、心に火傷を負わせることはないけれど、もし人がすぐそばでおびただしく滞留し、吹き上げるものの白い群舞におののきをおぼえたのなら、そのときかなしみのように無の影が擦過していったのだ。この逃れがたさについて、あの人は言った。《山も時なり、海も時なり。時にあらざれば山海(せんがい)あるべからず、山海の而今(しきん)に時あらずとすべからず。時もし壊(ゑ)すれば山海も壊す、時もし不壊(ふゑ)なれば山海も不壊なり。この道理に、明星出現す、如来出現す、眼睛(がんぜい)出現す、拈花(ねんげ)出現す。これ時なり。》*ますます稠密に虚空を満たしつづけ、同時に絶対の透き間でもってみずからを満たしつづける純白の混乱に世界は暗く静もって、旅人の目前に何処にもない町が出現する。からからと乾いた音が勾配の向うから聞こえ、烈しい閃光と雷鳴のうちに、やがて聾(みみし)いた新年があらわれる。
*道元『正法眼蔵』第二十「有時」より。


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