春隣
詩作品 目次前頁(撞球もどき) 次頁(雪)
γページShimirin's HomePageUrokocitySiteMap

春隣



 ふたたびモモやスモモの疎林を抜けて旅人はやって来た。こんこんと霊のように湧いている流れをたどって下る径は、いくつもの光の暈が躍り、サンザシ・ハンノキ・モクレンの枝に触って水牛があらわれ、抽象的な茅舎では豚と犬とが鳴いている、その小径を下る、旅人の目前にははるかな江湖の真帆片帆、魚を揚げる煙がいくすじも筋交い、冬を越すシギの看経(かんきん)、大きく弧を描いて釣糸を吹くかなしみの風がある。……山は未申(ひつじさる)にそばだち、人家よきほどに隔り、南薫峯よりおろし、北風海を浸して涼し……*見晴るかす水田では蓑を着た影がしきりに呼び合っている。満目の花の下で傾きながら月光に襲われる。ホトトギスを聴く短夜に鮮烈な紅葉に見舞われる。鶏を裂き、米を炊ぎ、酒を烹(に)て、豆粒ほどの青玉みたいな壺中に大宴を張る。肉屋の暗紅色の戸口を通り過ぎる旅人をしばしばとらえる思いは、「これらは寺院ではないか、現象(エフェクト)という名の」。あるいは禅林ではないか、四時(しいじ)という名の。こころという恐るべき恩寵から、世界は逃れるすべもない。その青朱白玄の別について、永遠の老人は言っている。《流年また記せず。ただ見る、花の開くを春と為し、花の落つるを秋と為すを。終歳、営む所なし。ただ知る、日出て作(な)し、日入りて息(いこ)うを。》**霊のようにこんこんと生じる流れに沿って、いくつもの光の暈の斑にまみれながら、ニワトコ・キンポウゲ・ウコギたちの繊毛に濡れそぼちつつ迷い、下ってゆく径の細さ。桃花林は幽かにけぶらい、見知らぬ暖気の花粉を蜜蜂のようにまみれさせて行く、何処にもない籬落(りらく)へと、ヒナギク・スミレ・ツバナの淡い光へと、霊のような蛇行そのものとなって流れるたびびとの、無季という名の、春隣へ。

*芭蕉「幻住庵記」より。
**富岡鉄斎の画賛より。大意は「過ぎてゆく時をいちいちおぼえてはいない。ただ、花が咲けば春が来たと思い、花が散ると秋になったと感じるばかりだ。一年を通して何かを成し遂げるわけではない。ただ、日が昇ると働き、日が沈むと休むばかりだ。」


詩作品 目次 前頁(撞球もどき)次頁 (雪)

γページShimirin's HomePageUrokocitySiteMap