白雲
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白雲



 大伽藍のある寺院のほうから下りてくる広い坂の突き当たりに、子供相手の小さな店がある。まだ来ない秋の光みたいに降ってくるカナカナの透明な音節に打たれながら、旅人は一日に一回、二度と戻らない過客の眼でもってその店のまえを通り過ぎる。店には男の子が居、女の子が居、就学前の坊主頭や中学生の金髪がカップ麺をすすっていたりするが、店の暗がりにほのかな明かりを浮かばせている何台ものゲーム機の、狭い宇宙船(スペースシップ)の窓から覗く星がまたたく宇宙空間は危険に満ちている。子供たちは襲いかかる小惑星や凶悪なビームから身をかわし、絶対に顔の見えない「敵」をはてしなく殲滅しつづけなくてはならない。揺さぶられ叩かれ、時に破損するのはゲーム機ではなく、彼らのスペースシップであって、彼らの時間ではない。旅人はもうはるか以前から、一人の少年が祖霊のようにそこに居ついているのを知っている。寺院の坂から下りてくると必ずそこで、時間と烈しく戦闘(コンバット)している少年の姿がある。いつも彼の着る同じ柄のアロハシャツとショートパンツは彼が永遠に夏のなかに閉じこめられていることを示すのか。闘う相手である「時間」は完璧な鋼球のように磨滅することなく、少年を覆う夏も、そのアロハシャツも変わることなく、彼は子供のままで老いてゆく。彼は十二歳の老人、百二十歳の子供。周りにいる子供たちは次々に人生のなかへ消えてゆき、また新しい子供たちが店に通うようになるけれど、少年だけはそこから消え去ることが出来ないのだ。スペースシップの丸窓を今日も覗き込む横顔は、蓬のように伸びたリーゼント崩れの髪型、いっぽうのピアスが取れたままの耳、眼窩から頬へ、深い罅みたいな皺を見せ、足許にはいつの間にか吸殻が散らばって、茫洋と星の渦巻く暗い空間に魅入られているけれど、坂の上の寺院を背にして、だんだんと鶴のように痩せてゆき、どこまで行っても山塊の見えない小運河(クリーク)にやおら投網を打つ腰つきに似て来、飛び立つ鷺を見送りながら悠然と煙管をくゆらせる禿頭白髯の翳にかさなる……「君は言ふ 意を得ず/南山の陲(ほとり)に帰臥せんと」「但だ去れ 復た問ふこと莫(な)けん/白雲は尽くる時無からん」*旅人の指して行く、白雲が尽きるときもなく湧き起っている南山、ふたたび訪(と)うこともない南山の住人である少年と旅人は、大伽藍の翳の下、白雲のような結界の場所で、とわの訣れの時に似た邂逅を繰り返す。時間という背理のなか、悲しみのように濡れた髪のワンピースの女の子、永遠のプールから帰ってくる小学生のあいだから、たがいに過客の眼でもって一瞥を呉れて。その夏の千年の、手痛い夏の幻の、「雪の中に兎の皮の髭作れ」。髭、作れ。**

*王維「送別」より。
**芭蕉元禄二年冬句(「山中の子供と遊ぶ」の詞書)。


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