――わが子は十余になりぬらん。巫(かうなぎ)してこそ歩(あり)くなれ。――「梁塵秘抄」 
  
もう夕ぐれが近かったので、言問橋では船は終わっていた 
花の翳りの向こうにけぶる、桜橋と、さらに白髭の橋は追想のように細い 
吾妻橋で乗船券を買って水駅のデッキにならぶ行列の最後尾につく 
水のおもてをわたる風はわれわれの頬をなぶり、屋台のケバブを焼く煙をつむじに巻き 
さいごの日をきらめかせながら溜息みたいに思いきり遠い河口へ 
知らない出口へ、嘆声に似た喜びとにぎやかな絶望を乗せて吹きぬけてゆく 
酷薄な春の、うすぎぬのような体温に抱きしめられながら 
  
パーカッションの一団はレイン・スティックを先頭にステージを取り囲む聴衆のあいだをしずしずと練り歩き、すべて竹で、大鼓(おおかわ)にいたるまで竹で出来た楽器群が林立する壇上の席に着くと、カリフォルニア生まれの、盲僧のように伏し目がちな白人が、尺八をつかって山谷をわたる木枯らしみたいな風の声を殷々とひびかせた。そのあとからおもむろに、バリフォーンの竹が、バンベースの竹が、ドラムスやコンガの竹片が、辻占のための骨牌、あるいはけだものの顔をした神示現する、乾いた亀甲の罅のように一斉に腹にこたえて鳴りひびく。* 
  
駒形橋から厩橋を過ぎると、日没とともにアサクサは記憶に似てくる 
櫂ノシズクモ花ト散ル、その滴も、花を含んだ昼の時間といっしょに吹き飛ばされて 
どこを目指すのか、このクルーズは夜の光に満ちて、そうして辺(へ)にも沖にも寄らず 
蔵前橋のひときわ濃い陰を抜けて、神田川の灌ぎ口を眺めれば 
むかし青い静脈のように水の網目に浸されていたこの街の幽けさが音楽みたいに流露して 
われわれはどこへ行くのか、河は下られているのではなく、海という 
容(かたち)の無さへ、われわれがやって来たその場所へ、河をつたって溯るのではないのか 
  
こまごまとした鳴り物を扱う雑芸の若者は、もう少し修業の欲しい大道芸みたいに、ちょっと頼りなくて、けれど晴れた祭りの日の記憶のように楽しくて、なつかしい笑顔を見せる。指とくちびるをつかって鳴らすリードに似た小楽器は、アイヌの骨製の楽器を思わせるけれど、ずっと南の、なんだか琉球のサンバにも通う打楽器も操る彼は、スポットライトの孤独から、竹をひびかせる全員の鳴動のうちに沈み、何かの乗り移りみたいに身体をふるわせて、バルセロナの広場で稼ぐかと見れば、ふいに竹生島を離れ津軽を指して流れてゆく。 
  
清澄橋から永代橋へ、河岸ぎわの高層ビルの豪奢な灯火が鋭敏な水に揺れている 
旅を栖とする音楽の一団と、いま、橋の上と下で直角にすれ違った? 
耳を聾する弱音みたいに、ほの明るむミニアチュアのように小さなおもちゃの部屋で 
生きて、死んで、永劫であるわれわれに沿い、精(くわ)しいホンキートンクが鳴りつづける 
彼らは生きていない、死んでいない、われわれの、堅牢で安っぽい 
太虚(そら)そのもののような風のさなかの、骨の家、木の家、紙で出来た土で出来た 
容(かたち)の無い容れ物、抱きしめる春のかんなぎの無慈悲なやさしさであり 
ポカラで、ケープタウンで、北京の陋巷で吹かれつづける草笛のするどい闇を宿すのだ 
  
さいごの曲は「WEST OF SOMEWHERE」というもので、訳せば「西方浄土」となるそうだ。このWESTはたぶん地理的空間的なものではない。同じく、町の名前や山の名前も空間的記号だけじゃなく、その町や山を目指すというのは時間の遍歴も含めたうえでのことだろう。尺八の男はアジアにとって東の極から来たけれど、隣町へ行くにも異界をくぐることがあるものだ。終始演奏を律していたドラムスは竹製で、太鼓の皮も竹を編んで張られていたが、能の「綾鼓」では、綾で張った鼓を鳴らそうとして果たせない庭掃きの老人は、女を恨んで狂死した、その老人が示現して竹の翁のほらほらとした内声を発しつづける。 
  
佃の渡しに架かる橋を見上げ、いまはもう跳ね上がらない勝鬨橋を越えたら 
くるくる回るお台場の大観覧車のまがまがしいイルミナシオンを背に、桟橋が接近する 
陸に上がったわれわれは、鮫と格闘して獲物のシイラを骨にされた老漁師みたいに 
風に吹かれ、駅まで歩いて電車に乗り、部屋の灯りをつけてから、人生の短さについて 
ローマ人のような顔をして、ほんの少し率直に思い 
それから、いとも容易く浅いねむりの流れに分け入る 
  
*04年3月11日、横浜・赤レンガ倉庫「モーション・ブルー」にて開催の、ジョン・海山・ネプチューン主宰のユニット『TakeDake』のライブによる。 
  
ゆぎょう16号 2004・4月 
  
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