沈黙の診察室の扉がとつぜん開いて、君は君の家族
父や母にかかえられ、よろめきながら、椅子のうえにくずおれた
告知という名の診断を下されて、父は君の肩に大きな掌を置いてつよく揺さぶり
母はトイレに立って少しのあいだ、たぶん、泣いた
少年期をまだいくらも出ていない君の髪は甘く
なめらかな頬からつづく紅いくちびるを、君は固く咬んでいる
まえの席では、ふつうではない金持ちの老女ふたりが
南氷洋のクルーズについて、伝法な身振り口振りで、鶏の首に似て、
豪奢な衣装をまとった魔女みたいに、この世の果てでささやきあうのだ
あなたのくちびるは紅の糸のようで、/その口は愛らしい。/あなたのほおは顔おおいのうしろにあって、/ざくろの片われのようだ。/あなたの首は武器庫のために建てた/ダビデのやぐらのようだ。/その上には一千の盾を掛けつらね、/みな勇士の大盾である。/あなたの両乳ぶさは、/かもしかの二子である二匹の子じかが、/ゆりの花の中に草を食べているようだ。*
子供もいるわけじゃないし、跡継ぎもいないし、あたしたちは一代さ
一航海二千万円くらい、それくらいのことがあるのなら、どうてことない
Aの姐さんだって言ってるじゃない、もしも跡継ぎの赤ん坊がいたら
一生歩かせやしない。人生なんか、召使いにやらせときゃいいのよ
血中糖度を高めるハイ・カロリーの飴を、もうひとりの老女に進めながら老女は
アスカの船室の取りっぱぐれで会社をどやしつけたと肩をすくめた、その先で
君と君の父と母は、さし迫った入院手続きの書類に身を屈め、気づいていないだろうが
廊下から差し込む逆光を受けて、聖家族のように立ち尽くしている
君も生きるためにやがて、検査と治療のおごそかな痛苦に立ち向かわねばならないのだ
わが愛する者よ、/見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい。/あなたの目は/顔おおいのうしろにあって、/はとのようだ。/あなたの髪はギレアデの山を下る/やぎの群れのようだ。/あなたの歯は洗い場から上ってきた/毛を切られた雌羊の群れのようだ。/みな二子を産んで、一匹も子のないものはない。
理不尽さは誰にもとつぜんやって来る、最初は臆病で狡猾な兎みたいに
君の愛した、愛するはずであった、時間のカメオに堅くひめられた少女らの横顔の
うら若い幸福のなかに、ひそやかに。そして、青年である君の未来という鮮烈さに向かい
竜のようにあらわに暴れて、エックス・レイの氷海に凝(こご)る
一塊の稲妻として君に示されてくる、一刻も無駄に出来ない、だがその退屈で長い
時……
左舷の船室はローリングがひどいのさ、だからあたし言ってやれって言ったの
毎年半年間もリザーブしてるのに、そんな部屋をつかまされてさ
電話一本で右舷に変わったそうよ、甘く見るんじゃないってね、八十にもなりゃ
お金は物を買うためなんかじゃない、生きてるうちは時間を買うの
わが花嫁よ、あなたのくちびるは甘露をしたたらせ、/あなたの舌の下には、蜜と乳とがある。/あなたの衣のかおりはレバノンのかおりのようだ。/わが妹、わが花嫁は閉じた園、/閉じた園、封じた泉のようだ。/あなたの生み出す物は、/もろもろの良き実をもつざくろの園、ヘンナおよびナルド、/ナルド、さふらん、しょうぶ、肉桂、/さまざまの乳香の木、/没薬、ろかい、およびすべての尊い香料である。/あなたは園の泉、生ける水の井、/またレバノンから流れ出る川である。
豪奢なクルーズはさかまく夜の時間の海を分けて進む
若い闇をきらめかせながら、君の眠る船室はTOKYOという氷海を映して
冬を湛えて、ナルドの香油の匂いをたちのぼらせながら、君は
死者のようにではなく、生にかたどられた眠る人として、夢のなか、私の箱、
私の家に来て、そのたくさんの果実とともに来て、死者よりも深く、この夜を遊べ
数多の人生をいくたびも経巡ってきた、齢のない召使いの喜びとともに
北風よ、起れ、南風よ、きたれ。/わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。/わが愛する者がその園にはいってきて、/その良い実を食べるように。
*偶数連の引用は旧約聖書『雅歌』第四章より(日本聖書協会1955年改訳版)。
ゆぎょう 十二号 2004・2月
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