――御留主となれば広き板敷 凡兆 
 
上張りを通さぬほどの雨の色が記憶みたいに窓を塗っている 
部屋の片隅の電話ファクスが、突然、音をたてて 
冥界からの通信のように* 
M、あんたがきのう、逝ったことを伝えてきた 
せむしのようにふしくれだった両腕を持ち 
火みたいにくろぐろと曲がった髪 
上目遣いの三白眼はだれだって、あんたが 
まむしに似た生命のぬしであることを疑わなかった 
地獄のきらめきに輝く夜のG街ですれちがい 
はげしく諍ったあんたと私は、意味不明の難解詩めいた非難を 
投げつけあってお互いをあざわらい、自らをあざわらった 
ベビーブームのまんなかに生まれ 
大戦のあとの青い空のした、放たれた鮭の幼生のような 
countlessの仲間たちのあいだを泳ぎぬいた、 
地中海の風を見た眼を具して帰国した、貧しい青年だった、 
田舎者で吝嗇(けち)で嘘つきで卑怯者の、M、あんたは 
じりじりと灯心を炎やすみたいに、本当にそんなに「仕事」が好きだった? 
言われて悔しかったら、もういっぺん、私のまえにやって来て 
その奇天烈な論理で私を悩ませてくれ 
ベランダに出て、海の大きな空のほうを眺める 
もうすぐ会いに行くから、とは私は言わない 
M、あんたがいなくなって、また空がすこし大きくなり 
どこかで、喜ばしい音楽のように聞こえているお喋りに 
またひとつ、 
なつかしい声が加わった 
 
*坂井信夫「冥府の蛇」より。 
                                     
03/5/27 
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