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折口国語論ノート―至近と遠隔― 目次前頁(4 屈折) 次頁(6 展開ロ)
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 折口の「発生」に関する思考は、つねに「第一次」の発生と「第二次」の発生をふたつながら想定することのうちに、その重要な特質、方法性を見せている。「第一次」の端緒の発生はその展開のうちに「第二次」の形態を発生させる、そして発生するものが展開を含む、ということは、決して単一の路をとらない複層の思考の経路を強いるものであることを、折口はその「国語」理解のあらゆる側面にわたって示しつづけたと云える(それは、「日本語」が厖大な〈実在〉であることの必然として、折口の思考にもたらされたものだとも云えよう)。
 たとえばそれは、伝承言語としての「古代の古語」、あるいは古典自体が当時においてすでに「擬古的傾向」を含む、といった叙述(P91・172以降、P182以降、P380その他)にその一端を見せている、独特な歴史〈時間〉の相対化とも云いうる視角であり、そこでひとつの「発生」はつねにその時間的な彼方における「発生」の一展開であり、彼方の「発生」は「発生」みずからの展開と截りはなして論じられることがない――といった不可分の有機性の総体として、(その意味では厳密に)「日本語」の実在、あるいは〈事実〉としての「日本語」が語られるのである。
 折口にとって、この、〈原型〉の彼方に〈原型〉をもとめ、〈展開〉はさらに〈展開〉をもつ、というふうに動いてゆく思考は、「第一次」の発生がいちど〈遠隔〉化される時間と、〈遠隔〉化されたものが「第二次」の発生において再び〈至近〉のものへとくり込まれあるいは奪還されてゆく時間との、絶えざる交換のうちに云わばラセン状に水位を上昇させてゆく「日本語」の運動をとらえるために必須の視角であった。発生するものはかならず展開を含む、というよりひとつの展開そのものとして「発生」は、考えられている。そして、「用言」の発生は、ここで、最も古層の時間にさかのぼる「語根」の屈折、という契機とともに、「日本語」固有のおおきな「流れ」である「熟語構成」という契機をあたえられるのである。
 この「語根屈折」と「熟語構成」とは、「日本語」の総体的な運動のなかで、いわば〈習慣〉のように、あるいは〈宿命〉のように、その変転の「同一の理由」として根づよい動因性のうちに保持されてゆく両契機なのである。そこでは、発生的動因(理由)の古さは、かならずしも語の運動の新しさ―〈現在〉性と矛盾しない。(前出「国語学」P411参照)
 折口は、用言、より具体的には動詞の発生について、次の二様の場合を想定している。(「熟語構成法から観察した語源論の断簡」P39)

a.一個の体言が直ちに屈折を起したもの
b.用言形式を作る為に熟語の形を経て来たもの

 a.の場合は、前述のとおり、「語根」の独立的な屈折から用言の発生を説ける場合であるが、折口によれば、「語根」あるいは「体言」の単独の屈折だけでは、動詞(用言)の発生は説けないとしている。彼は、他方で「語根」と「語根」とが結びついて一つの「熟語」を構成するさい、かならずそこで屈折がおこなわれることに着目して、云わばa.の直接的(第一次的)屈折に対するb.の間接的屈折(第二次)のうちに、用言語尾発生のいっぽうの契機をとらえる。むしろそこで、「屈折」を生じること自体のうちに、「幾分熟語を作ると言ふ予期を持つて動いて行く」(P40)といった傾向さえ見られるのである。 ここで折口の「熟語構成」に関するおもだった「観察」を一瞥してみる。まず、基本的に熟語は主部と修飾部が結びついた形である。そこで「語根」は修飾的に主部につくのであるが、古代の、残された用例から想像されるその〈結合〉の仕方は、現在と逆に、主部の上に修飾部がつくのではなく、主部の下に修飾部がおかれる。所謂「後置修飾語」である。それは、現在の理解の仕方からは、いちど、逆に眺めなければならない、といったものであり、例で示せば――

 橋立(ハシダテ)→「たてはし」と解される。竪橋(タテハシ)
 傍丘(カタヲカ)→「をかかた」と解される。丘傍(ヲカカタ)…丘の傍らの〈土地〉
 韈(シタグツ「シタウヅ」)→「くつした」と解される。…くつの下なる〈もの〉
 下簾(シタスダレ)→「すだれした」と解される。…すだれの下なる〈もの〉

 このような用例が、文献時代においてなお遺存しているのである。そして、この形に多く、〈真の〉主部といったものが語自体に表れておらず、逆語序によって〈暗示〉されていることが特徴的であると云えよう。(この「逆語序」は沖縄語等と深く共通する部分をもった古日本語の特質であり、この点に関して折口は比較研究の重要さを力説している。)
 この「逆語序」による熟語の形が、もう一歩すすんだ状態に段階を改えると、主部と修飾語は、主→修(アオイ→ウミ)というように、云わば等価に並べられる、といった形をとる。一見普通の(正語序の)形であるが、当時の意識からは、語相互の緊密な接続感が不明瞭であるため、区別のために、アクセント要素を強調させたらしい、と折口は述べている。そして、このアクセント要素に関連して、熟語構成時の「語根」の屈折が見出されるのである。
「語根」相互の結合において屈折が行われるとすれば、当然のことながらそこでは「体言」が屈折するのである。先述したとおり、現在では「用言」のみが変化をおこし、「体言」性の語の末尾音はもはや動かぬが、「語根」が「語根」自体の現存をまだ濃密に残していた端緒期には、「体言」や「名詞」の末尾は〈動揺〉していたのであり、それが主部である他の「体言」や「名詞」と結びつくおりにはひんぱんに屈折を起したらしい。そして、そのいちばんもとの形(屈折の原型)とされるものは、「語根」(体言)結合のさいに、ウ列の音(ウ列母音)が分出されてくる形である。
 例で云えば、「神風」(カミカゼ)が「かむかぜ」、「黄金」(キガネ)が「くがね」または「くがに」といった形になる場合である。これには、やはり先に述べた、音韻状態でも〈未分化〉であった「語根」の現存が、おおきく関連している。すなわち、末尾音がウ列に近い〈子音〉であったため、折口の叙述によれば、「語根はウ列に近いものであるから、此考へが先づあつて、熟語を作る場合に其性質が生きて来る」ことによって、「熟語の主部に対して語根と主部が結びついたと云ふ形を意識すると」、「ウ列に近いと言ふ意識が出て、語根だけで満足しきれないで、屈折を生」じ、「ウ列を分出して来る」わけである。(P35の叙述より)
 つぎに、ア列の音に屈折する語の一群がある。折口によれば、この形には多く、熟語主部を〈脱落〉させた形跡がみられるものが存在する。たとえば、「縄」「親」などの語がその経過を明らかにしている。例で示せば――

(想定される原形)  (語根の屈折・主部分離)      
老いびと……………………おゆ→おや(親)
綯ふもの……………………なふ→なは(縄)

 ここで主部部分は〈脱落〉させられているばかりでなく、〈暗示〉される部分として、心的には保存されていると云える。(「老いびと」の「ひと」、「綯ふもの」の「もの」) そして、この、主部の〈脱落〉による〈暗示〉表現という形は、「熟語構成」が「日本語」にもたらす重要な契機である、とみなされる。
 折口が「熟語構成法」のさいごに挙げている類型は、次のふたつである。一)とりさし・思ひごと・ゆきあし、二)もゆる火・いづる湯、等。さいしょはイ音に屈折する、極く普通の(簡単な)形であり、主部・修飾部とも相対的に独立した「別個の生命」をもってひとつの熟語を構成している。つぎの二)は、一)のように連用形イ列からつかず、連体形ウ列のほうからつく形の熟語であり、現在では一個の「熟語」とは認めにくい不安定性をもっているが、一)よりは古い、そして過去多かった形であるとされる。
 折口によれば、文献時代は一)と二)の、この両者の拮抗の時期であり、二)の、ウ列から主部に接続する形の意識が変化してくると、そこに用言の終止形および連体形が出てくるのである。云わば、習熟句の感じは遊離して、〈活用形〉の起源をなす、と言うことができる。そして、ここでも主部脱落−暗示の契機は、おおきく関与している。ここにおいて、動詞あるいは用言の発生に関する、「語根」の屈折の要因は、その直接的な(第一次的な)屈折とともに、「熟語構成」の契機の云わば「第二次性」によって、複層の展開と、ある構造性を差し入れられていると考えることができる。これについて、折口は以下のようにまとめている。


 語根と言ふものが段々用言状になつて行くにしても、幾分熟語を作ると言ふ予期を持つて動いて行く。熟語があつて、その上に、その修飾せられる主部を離れた形になるのだ、と考へなければ、完全な用言とはなりにくいのである。つまり語としての暗示を含まないからだ。語根の屈折と、語根が用言にくつついて行つて用言が出来るのであるが、屈折を生ずるには、熟語を作る感じを含んでゐるのである。(「熟語構成法から観察し た語源論の断簡」P40)

 

 動詞あるいは用言の起源は、その直接性、一次性(語根の直接的屈折)からと、関連性、二次性からと、その時間的な前後以上に論理的な同時性を見るようにして説かれることによって、云わば徹底的な実在がもつだけの幅で、おおきな不透明さを差し入れられるのだ。そして、この不透明さをつよく前提しているために、折口の思考は一歩間違えば見てきたことを言うかのような危険を孕むところで、逆にもっとも深くその視力をとどかせているようにおもわれる。折口は、「用言形式を作る為に熟語の形を経て来たもの」のプロセスを次のように、より詳細に説いている、彼の、対象にたいする〈至近〉の把握が、私達の側に微妙だが確かな説得をもたらす、といった部分であろう。

 割合近代的の感じを持つ言葉を例に引いて見る。「みのる」は「み」が「のる」だと言ふ説がある。我々は此言葉が句乃至文章だといふ感じが退化して、動詞の感じが深い。「たがやす」は一語だと思ひ乍ら、「田をかへす」と言ふ気持も制へられぬのである。従つて、熟語から出て来る動詞を考へても、段々二つの言葉が結びついて居る、と言ふ感じのなくなつて行く道筋が見えてゐる。併し、古い用例の起源を説く場合、此を「みのる」と言ふ様な形、即「み」が「のる」と言ふ様な文章風の感じのするものから出来て来たと考へるのは宜くないのである。もつと心理的な、語根と主部の間に、密接な関係と言ふよりも、飛躍があるものと見なければならないと思ふ。(中略)「いく」は生活する或は呼吸する意味に考へて居るが、語根の場合には「いく弓」「いく矢」など言うて、威力を持つてゐる意味である。形容詞になると「いかし」など言ふ形を持つて居る。さうなる語根の屈折の状態が、第二義の熟語の場合から動詞を作つて来る場合をも、宿命的に支配して居る。単純な熟語ではないのである。所謂動詞といふ形が、一度単純から複雑な形になつて行かなければならないので、「みのる」と言ふ形も余程進まねば出て来ないのである。(同P42〜43)

 

 ここではいくつかの問題が集約的に語られている。まず、「語根」の直接の屈折によって生ずる場合のものとはことなり、あきらかに熟語構成の契機が介入しているとみられる、「第二次」発生以下の、「みのる」「たがやす」等の動詞用言について、それが「語根」相互の結合のありさまを示す「熟語」の感じ、を次第に解消してゆく傾向をとることで、〈ひとつの動詞〉の現存をもつ、ということが第一点であり、また「語根」の屈折ということそれ自体は、「第二次」以下の発生について、より深化した姿で(より心的に深化した形で)熟語構成的にも反復される、ということが第二点として挙げられる。
 ここで、用言発生にあずかる熟語構成の契機は、それが用言ことに動詞を生みだす局面で考えられるかぎり、「語根」相互の結合による「熟語」と、そこから生みだされる一の「用言」との間に、ある質的な転換・断絶をもたらされるのである。そしてまた、そこには「屈折」の内在性とでも言いうるものが深く関与していることが見てとれる。
 質的な転換は、具体的には、この「屈折」の内在性のうちにあらわれる。すなわち、熟語構成の契機が用言を現出させることには、同時に、かならず「動詞状の心理変化の過程」(P45)が踏まれ、そのとき変化を起す語尾は、機械的に〈融合〉(「外部的な変化が音韻結合の上におこつて来たもの」P352参照)するのでなく、云わばその心的内容をも含めた水準で内在的に再び〈屈折〉するのである。このとき「語」はたんに音韻を変化させるばかりでなく、「熟語」の「熟語性」とも云うべきものをうしなってゆくことで「語」自身の総体的な〈現存〉を転化させる、と考えることができるだろう。また「熟語」は傾向として「熟語」の単純な構成(明瞭な構成)をうしなうにいたるまで〈反復〉されることで、「語」としての現存を転化させるはずである。それは「単純な熟語ではない」過程的な姿をもつのである。
(この過程は、とうぜん一挙に仕遂げられるものでなく、永続的な状態の変化がついに質的な転換を喚ぶに到る、といったものであろうが、注意されるのは、そこに「熟語」のさまざまな過程的な形が、云わば時間的に散開する、ということである。折口はここに用言〈活用〉のさまざまな原態を見る。用言はたんに発生するばかりでなく用言自らの〈活用形式〉を持たねばならないのである。折口によれば、この「熟語」の反復−変容の過程が〈活用形式〉をもたらすのであり、用言語尾の端緒はしたがってただちにウ列の終止形で決まるのでなく、全体から見てまず「連用」「将然」〈まれには「連体」〉といった形であらわれたのであろうと推測している。)

 以上の論述において、折口が想定している「言語」の野は、おそらく〈発声〉あるいは〈書記〉のように言語が音声や文字の形で孤立的・単独的に扱われる領域ではなく、発語するにせよ書きとめるにせよ、言語はそこでかならずある〈関連〉としてあらわれ、存在する以外にないひとつの〈叙述〉の場とも云いうるものであることは充分理解されるであろう。
 そこで数個の「言葉」(表現された言葉)はたんなる音声でもなくまた文字の表象を伴う「語」の羅列でもなく、一連の〈叙述〉であり〈表現〉である、というふうにみなされる。すなわち、〈叙述〉が総体的な〈関連〉性の意識をもたらすことで、「語」の現存は関連のうちでだけ把まれ、先験的な〈孤立〉の在り方では、決して考えられていない。
 折口にとって、「言語」は「言語」自体で形をかえずに在り続けるのでもなく、また一回的な表出のうちに消え去るのでもなく、それ自身は一回的な「語」の表出のうちに反復され、〈叙述〉の水準で心的な過程を形成するものにほかならなかった。そして、云わば体言性の「語根」ばかりが並べられている、といった空間−時間から、はじめて〈用言〉が発生し、拡大してゆく過程は、そこで明らかに、「日本語」がその発生期から次第に「表現性能」、〈叙述〉の空間を拡げていった過程に対応をもったはずである。
「日本語」は、〈可視〉の言語となるために、「用言」をもたなければならなかったのである。ちょうど、「語根」が一の「語」となるために、屈折を行なって〈可視〉の語尾(末尾)をもたなければならなかったように。そして「用言」の拡大が、「日本語」における〈叙述〉の空間の拡大であるとすれば、「語根」はただ〈自然〉的に屈折するのでなく表出の反復によって屈折し、「熟語」が「熟語」として構成されるためには(「熟語」という現存を得るためには)ふたつの語の関連そのものが反復されていなければならず、さらにそこから「用言」を(第二次的に)発生させる「熟語」の解体も、〈叙述〉の空間にむかってなされる「熟語」自身の表現性能の〈拡大〉としての展開である、というように「用言」の発生過程はとらえかえされるのである。
 おそらく、「語根」からはじまって「熟語構成」によって変化をおこし、発生的な「用言」がつくられてゆく、といった過程には、少くともこのような「語の反復」にまつわってくる微視的な心理の厖大な積み重ねが存在するはずである。折口にとって、この積み重ねられた心理の、きわめて徐々になされる(そしておそろしく「事実」−「実情」に即した)展開こそが「日本語」の実在の歴史と云われねばならないものであった。そして「熟語構成」の契機は、たんなる語形変化ではなく、この「感情論理の展開」(「副詞表情の発生」P103)を孕み、その道筋を端的に顕わすものとして、折口「国語学」のなかでおおきな位置を与えられている。
 それは、云わば「発生以後」の「日本語」の運動全体に浸潤している固有の〈型〉であり、なによりもそれが「表現的なもの」の側面に関して〈型〉をあたえる契機であることが、折口の「国語理解」(言語理解)にとっておおきな本質を示しつづけたのではないかと思われるのである。


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