折口によれば、まずなによりも「語根」は未分化のものであるが、文法的感覚から捉えかえすとすれば、それは「体言」性の語であり、また、その限りで、現在の名詞感動詞副詞等の複合的な截り口をもって見ることができるものである。つまり、見方によっては、それらの形でとらえられる、といった程の性格をもつものだ。だが、この「語根」が一の「語」となるためには、そこにさいしょの「語尾」が形成されることが必要である。これによって、「語根」の抽象性は「語」の具体性へと転化し、用言の観念といったものが発生するのである。
それは後になって、「語根」的な性格のつよい、古い発生をもつ体言に、語尾をつけることによってその〈内容〉を具体化させようとする傾向をとることにも保存されてゆく要因である。例えば、語根「おどろ」は語「おどろ〈に〉」「おどろ〈く〉」となり、あるいは名詞としてとりあつかって「〈おどろの〉何々」といった形になる。語根「あはれ」の場合も「あはれ〈に〉」「あはれ〈む〉」「あはれ〈なり〉」というように副詞、動詞あるいは形容詞的な形など、「語根」は用言的に具体化されるのである。
総じて、体言のほうから用言の発生を押えることができるかのように見えるが、では体言の端的な姿である名詞は、謂わゆる〈品詞〉のうちで、同じく体言である「語根」にもっとも近接した形であることによって、〈文法〉の端緒におかれるべきであろうか。だが折口はここに、次のような区別を設けるのである。ここには彼の論述の傾向が示されていると考えられる。
この語根類が持つてゐる、抽象的なものを取去つた様式における体言性が、もつと著しくなつてくれば、そこに名詞の観念が出て来るわけである。だけれども、これについても、日本の名詞発生が、語根時代より後にあるとは定めかねる。今の所では、純然たる名詞の発生した時代と、語根的な体言の観念が、古代日本人の心に成長して来た時代とは、別に考へる方が正しいのではないか。
言語発生の上からは、このことは重要な問題であるけれども、文法を論ずる場合には、名詞と他の品詞との関係が、暫く説かれないまゝになつてをつても、或点までの研究は続けて行けるわけだから、自由に解決の来る時を待つ方がよからう。たゞ我々は、名詞は他からの借用もできるので、厳重に言へば、我々の話す構造の一番重要な部分としないでもとほると思ふ。だから、しばらく名詞についての時代は後廻しにしておきたいと思ふ。
これについても、名詞を発言することによつて、その名詞の対象になるものをどうするか、と言ふ意味を示す事が出来る、と言つた主張を持つてゐる人もあるが、私は何よりも文章構造を説くのに、名詞から話を始めるのを避けてゐる。名詞から始めることの代りに、体言たる語根から口を切るわけである。(「国語学」P344)
ここで語られていることは、まず「純然たる名詞」と「語根的な体言の観念」のふたつの段階を全く異なる地平で考えるべきだ、ということである。そして「名詞」と「体言」とを区別することは、「語」と「語根」とを明瞭に分けることにほかならない。「語根」はなによりも「語」の〈原型〉として想定されるものであり、「語」自身ではないということははっきりしている。「語根」から「抽象的なものを取去」るためには、そこに質的な断絶が存在することを見とおしておかなければならないはずだ。
折口が〈品詞〉の発生ではなく、〈品詞〉といういわば分有の形で現存化されている「語」の発生を説こうとする以上、「語」の抽象的な(原型的な)段階である「語根」ではなく、端的な「語」である「名詞」からはじめるということはひとつの矛盾である。そこで、〈発生〉に関するかぎり、いずれにせよ「想像」の介入が避けられないものであるとすれば、歴史的な(事実としての)発生ではなく、論理的な発生に対する視角がいちばんおさえられていなければならないものであろう。
それゆえ、折口にとって、それが「名詞」であれ何であれ、品詞的な区別性は、いったん「体言たる語根」から考察してゆくという原理性のうちに無化あるいは相対化されなくてはならなかった、と云える。まず、「品詞」であるよりも、発生的な「体言」である、という「語根」の現存性が彼の「国語学」にとっては必要であったのだ。そして、この品詞的な区別の先験性を排してしてゆく方法は、「国語」の全体を、〈品詞以前〉の広汎な用言性能自体のかかわりのうちから説かせている。
「語根」の体言性格が、さまざまな内実をもつ、〈品詞〉として理解可能な「語」を分出するさいしょの〈核〉であることはすでに述べた。それは「第一次的」には、「語根」の末尾が微弱な音の変化を起すことによって、「語」としての文法的職能を帯びる――すなわち屈折によって「語根」が語尾を有することにはじまる。そしてこの微弱な変化が質的な転換をもたらすのである。
もともと、「語根」は、現在的な(後代的な)語の理解とは異なり、末尾が〈子音〉であるという独特の性格をもっている。ローマ字であらわせば、末尾が〈子音〉である二字あるいは三字の形が、用言の、「語根」についての典型とみなされている。発音すれば二音であるその形は、くり返されるうち変化を喚んで次第に〈母音〉を含むようになる。そしてこれが「語根」の「語」化、たんなる末尾音であるものの〈語尾〉化、というふうに考えられる。
これを現在の〈動詞〉について云えば、屈折して包合される〈母音〉はu−う−であり、〈動詞〉ほど簡単ではないが〈形容詞〉の場合、i―い―あるいはほとんど一義的にSi−し−である。こうして「語根体言」はさいしょの用言の様相を帯びてくる。〈動詞〉の原態とみなされるものを見ると、例えば、ik→iku(生く)、sak→saku(咲く)、fur→furu(経る)等であり、〈形容詞〉の原態は、Xs(語根;s音は包摂されている)→Xsi(〇〇し)、つまり、os→osi(おし)、mos→mosi(もし)等といったように類推されるのである。
折口の考えでは、〈動詞〉と〈形容詞〉というふたつの用言は、このような「語根」の屈折を踏むことで微妙に分化してきた、もとは起源をひとしくする――というより端緒において区別されない語としてとらえられ、そこで「語根」←→「動詞」「形容詞」という水準のもうひとつ背後に、「体言」←→「用言」というより包摂的な水準での語の運動が前提されている。云わば、その様式上のちがい以前に「用言」的な性能の、無意識裡に分化してくるずれゆきの内に、様式を顕在的に分化せしめる当の要因が考えられることによって、「用言」発生についての一貫した論理(それは〈品詞〉という分有の形自体からは決して説明できない)が成立するわけだ。「語根」が屈折する、というその原態において〈動詞〉的なものと〈形容詞〉的なものとは、〈傾向〉のようなもののうちに区別をおかれるにすぎない、といった形がそこで実像のように挿しはさまれるのである。そしてここには、現在では決定されて動かない体言用言を通じた語尾というものが、もっと広汎に〈動揺〉していた「日本語」の黎明期が想定されていることは云うまでもない。
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