単語の分解をもって折口の「国語学」ははじまる。「日本語」における、単語を解体し、分析することの重要さは、折口がくりかえし、説くところのものである(P28・P61・P90その他を参照)。そしてこの操作から、さしあたって得られてくるものは、「日本語」における「語根」の存在である。「語根」とは、単語の分解の操作から言えば、ある語が〈音〉でなく〈語〉としてあるためにはそれ以上還元−解体できぬ形であり、いっぽうそれは、語の時間的な過程に重ね合わされて、語自身の〈原型〉というふうにもみなされる。折口の場合、このふたつは、「日本語」の特質に即応して、つねに言語の分析に際してはそこに〈時間〉性を差し入れる発生的方法によって、区別されない一体のものであった。折口は「語根」を次のように述べている。
我々が、言語を時間的に溯つて研究すると、多くの場合、大体これ以上進んで行くことが出来ないと言つた形に到達する。つまり、それが語根である。そして、その語根が、或点まで正確に、文法的な様式を分化して、動詞なり副詞なり、或品詞をつくる。その場合の語根と語尾との関係なども、大して複雑な道筋を通らずに、近代まで続いてゐる様である。その点、余りに日本語の溯源的研究が、単純に出来過ぎると言ふ所があるのだ。(「国語学」P339)
ここから考えられることは、まず「語根」がたんに語の類推された〈原型〉であるばかりでなく、それが「文法的な様式を分化」させる、その意味での〈原型〉にあたるということである。いわば、分裂し転生してゆく「日本語」の発生的な様相における、さいしょの〈核〉のようなものとして「語根」は捉えられており、そこにはいまだ、現在考えられるような語の品詞的な分割様態を見ることができない――という段階にある。
ところで、「発語」の具体性ではなく、「叙述」というものの具体性、明瞭性が、語の品詞的な分割の進展に対応をもつとすれば、そして文法的にはそれが「用言」の拡大にともなうものであるとすれば、「体言たる語根」(P344)は、「抽象的な、観念的な語」(P339)として、その性格を、文法的な職分の全体のなかで考えることができる。折口によれば、「語根」は「ものを言はず、或は具体的な感情を述べないもの」であり、また「活動的でない」という性格からは、副詞の形に多くみとめられる「語根」は名詞と区別されない。
国語史において、このような「語根」がそのままひとつの言語状態として流通していたような時代を、一義的な実在の「歴史」として、あるいは神話的に考えず、あくまで論理的に想定しうるような対象性であると考えるならば、そこには単純な「語根」に近い形の語で、現在では入り組んだ文章組織をもつ〈叙述〉がよく為しうるような複雑な意志感情を代表させ、またそのために現在では文章形態の一部として〈可視〉となっている用言的な部分(おそらく用言語尾や所謂「てにをは」)のかわりに、音勢要素(アクセント)の変化を有力に先行させた、というふうに折口は視ている。
彼のこの考えには、「語根」の時代は同時に「口語」の時代であるという前提が含まれていることは明らかであろう。そして、それ以外のものはいっさい含まないという意味での純粋な口語というものが、想像の対象としてしか存在しえず、また実証的にたどることが困難なものであるように、全面的な「語根」の時代は残存する「語根」の形跡が濃厚な語のむこう側に想定するしかないものだ。
以上の前提を踏まえた上で言うとすれば、恐らく「語根」と「口語」状態以外に、「言語」が存在しなかった段階では、関係のようなものは〈至近〉の相で把まれており、〈叙述〉の空間は、語自体のうえには〈可視〉とならないアクセント要素のようなもので充たしうる、といったほどのものであったと考えられる。そしてこの〈叙述〉の空間がアクセント要素のようなものではもはや充たしえず、語自体のほうからすくいあげ、語自体によって表現しなければならない段階が来たとき、関係のようなものはすでに〈至近〉の相ばかりでなく、その〈遠隔〉性からも対自化されて久しいものとして存在していたはずだ。 ここに「語根」の発語にかわって、用言による〈叙述〉という水準が発生する。そして、はじめの段階では決して考えることができない「書く」という契機は、ここにいたってはじめて準備されたと云えよう。折口の論旨に沿って言えば、この契機は「語根」が屈折(P367註5参照)して語尾を生じ、それが〈叙述〉性能にとっての具体性となり、用言的な観念の拡大にともなって品詞の分割が進行してゆく、という過程に対応する。そして「言語の発生的観察」(「国語学」P335以降)がはじまるのはここからであり、「国語(日本語)」としてひとつの還元の下でたどることのできる〈時間〉はここまでである。
ところで、さきに引用した部分でも触れているが、折口は、発生的な観察の下におかれた「日本語」の対象像について、次のように述べている。
日本語は、これを研究するものにとつて、極めて不思議な感じを与へることがある。それは、これだけ成熟して来た語であるに拘らず、発生的な研究を、かなり深い所まで行ふことが出来て、それを以つて、相当に遠い時代の語の上の問題を、解説することの出来ることである。その為、時々の反省に、我々の方法が誤つてゐるのではないかと思はれる程である。つまり日本語は、さう言ふ研究の行はれ易い、様式的な言語であると言ふ事に結著するのかも知れない。(同上)
ここでは折口自身が、対象である「日本語」の透過的な性格、つまり語分解の過程などがほとんどそのまま、時間的な溯及の過程に〈飛躍〉してもある妥当性を持ってしまうような、「日本語」研究の「行はれ易さ」に対して、むしろいぶかっている、といった格好であるが、この性格は同時に折口の「語根」の考えにおおきな現存を与えているものと云えよう。もとより、語分解の結果として得られた「語根」と、時間的な〈原型〉(古型)としての「語根」とは厳密には異なる手つづきのもとに得られる対象であるにもかかわらず、「様式的な言語」である「日本語」においては、語の分解が直ちに語の発生的様相を指し示し、「語根」は折口にほとんど「口語」の時代を想像することを可能にさせるような発生的な古さをもって捉えられてしまうわけである。
だが、それは語の発生に到る溯源の路、溯源のさいに想定される「日本語」の時間の〈透明〉さを意味しており、決してその逆ではない。むしろ、ここに困難があるとすれば、それは、かならずたどられてきたに違いない「日本語」の時間の内実を同じ〈透明〉さが隠してしまう、といった困難であることは充分に注意をはらうべき事柄であろう。それは、溯源といった云わば〈往路〉ではなく、例えば「語根」であったものがいかに転化して「日本語」の合理解的な現存に近づいてくるか、というような〈還路〉の実証的な地平に現われてくる問題であり、折口が「語根」が屈折する、という考察をふまえて、「日本語」の総体を一義的に「粘着語」(P369註10参照)として規定してしまうことに、くりかえし疑いをさしはさんでいることは、この問題の一端をものがたっていると云えるだろう。「日本語」の〈透明〉さは、むしろ〈還路〉からする把握にとって、例えば「語」を分解して〈語根〉を想定することの〈透明〉さに対してはつねに「語根」からひとつの「語」をみちびいてくるおりのおおきな〈不透明〉さが提出され、前提される――といった与件をもたらすのである。
「発生的観察」は、この微妙ではあるが決定的なちがいを「日本語」の総体にわたってくり込みながら行われてゆかねばならない。折口は、「日本語」の発生相にわたる「行はれ易さ」を、むしろひとつの疑義として現実化してゆくものとして、「日本語」の考察の端緒に置いた。そしてこの視角は当然「語根」自体にも向けられてゆくことはあきらかである。具体的な(可視の)対象である「日本語」と、それ自体は想像をどこかでかならず関与させなければ得られない対象である発生時の「言語」とを、「語根」はある類推の下に接近させるものだと言いうるが、国語史における「語根時代」を想定することは、その意味で、類推がもちうる分だけの現実性(妥当性)と、ほとんどそれと同じだけの誤差の幅を含んでいるものと見なければならない。折口は、この「語根時代」の考え方について、次のように述べている。
もし言語の初めを、人間によつて操られた時代を考へるならば、それも一つの有力な考へであるが、(註−国語研究にたずさわった神道家達の「語根時代」の考え)まさか日本の言語が、さう言ふ時代から大した変化を経ないで、そして古い状態をあからさまに見せてゐるものとは考へられない。だから我々は、その点まで深入りすることをこらへて、かう言ふ行きづまりに達しても、それを直ちに解決点としないで、日本語の長い歴史の中にある進んだ状態と見ておくのが本道であらう。(「国語学」P343)
「発生的観察」は、この「日本語の長い歴史の中にある進んだ状態」という視角のうちに絶えず発生の古層を同時に見据えながら行われるとき、本質的な妥当性を有すると言えるだろう。おおよそ、ここまでが、「日本語」を「日本語」としてたどることのできる時間であり、そして、「日本語」をひとつの「言語」の現存の直接性として、〈現在〉にむかう過程の考察が行われるのは、この「語根」以後である。折口「国語学」のほんとうの〈還路〉は、「語根」が屈折を起すところから始まる。そしてここから、「語根」それ自体には見られなかった広義の文法的現象が観察されるわけである。
|