おそらく、折口にとって「言語」であるまえに、まず「日本語」であるものが追求の対象であったということははっきりしているとおもわれる。彼の、目前の対象である語(=日本語)にたいする追求の仕方は、端的に、「日本語」で育ち、「日本語」で喋り、「日本語」で思考し、そして「日本語」で生活を組み立てていったもののみが能く為しうる、ディテールへの具体的な接近の緻密さと眺望の巨視性とを兼ね備えている。それが、現に生きて動いているひとつの「矛盾」のようなものの総体にほかならなかったとしても、だ。 云い換えればそれは、ある「限定されたもの」自体のとり扱いにおいて、思考は水平的な拡がりではなく、云わば垂直の深さをもつ、といった意味合いでのひとつの〈徹底〉性を有しているといったら良いのだろうか。このとき、時間的に(場合によっては空間的に)隔たった「言語」を、あたかも目前にある対象のように扱い得、また現行の「国語」の総体をある巨視的な時間性から把みかえして見せる、といった「方法」が可能となる。そして、折口のこの「方法」を実質的に支えていたものは、ひとりの人間にとって、(また何人にとっても)ある意味でひとつの〈徹底性〉でしかない事実、すなわち、「言語」がひとつの〈経験〉であること、さらにその自らの視えない肉体のような言語の〈経験〉がほとんど直接に「国語」であるということであった。
だが、ここには微妙なずれゆきがある。ひとりの人間とその人間が属する「国語」との関係は、おそらく〈徹底的〉である以外にないとしても、一義的に、いっきょに〈絶対〉であるのではない。「国語」が〈言語〉の一型態であり、〈経験〉された言語として普遍を通じるものであるとしても、刻々の「言語」の〈経験〉それ自体、たとえば、私達が実在のもうひとつの肉体のように行使している端的な言語の〈現存〉の総体が、「国語」と云いうるほどのものであるためには、どうしても、ある視えない〈境界〉を跳びこえる必要があるのだ。ちょうど言語〈自体〉という観念に到り着くためには、ある断絶と飛躍が必要であるように――。
この問題を、近代的な「国語学」が一般的言語あるいは「言語それ自体」という概念のほうへ溶解させることで通り抜けていったのに対して、折口はそれとはほとんど正反対の方角で、経験として〈至近〉でありかつ実体として〈遠隔〉の有り様をとる「国語」という一個の矛盾の対象を、むしろ一個の実体として矛盾を孕みながらなお〈至近〉の意識のほうへ触れて来るもの、というような在り方へ「逆転」させることで、依然として問題であるものの深い角度をそこに集約して見せた、と言ってよかろう。おそらく、この意味をぬいて、「言語」ではなくまず「日本語」が課題であり追求しうる端的な対象である、といった(また、そうであるしかなかった)折口の「国語学」の〈徹底性〉が含む独特の指向を見ることはできない。
周知のように、折口は「国語の発生」という視点をキー・ワードのように駆使しながら、「化石」のような古語の連鎖からしか表象されていないような時代の言語から、理路を現在の「言語」状態まで通じている。その路は、けっして単純ではないが、本質からの垂直性を保っているもの、と云えよう。折口の「発生」という観点それ自体はそんなに複雑なものではないが、その単純性は厖大な資料・文献の蒐集のうちに〈抽出〉されて得られたものであり、たぶん蒐集された資料・文献は彼にとって厖大な実在の「日本語」の痕跡であったはずだ。
それゆえ、彼は資料・文献そのものが、彼の本質的に探るべき「日本語」であるとは見ず、つねに資料・文献のむこう側に「日本語」の実在を狙うのである。そして「実在の日本語」が、現存資料の途絶えるむこう側に発生をもつ、ということは、資料・文献の総体をつねに間接資料として扱うかのような折口の「方法」の必然であり、また近代の「国語学」の諸流が、決して本質的に肉体化できなかった水準における、ひとつの発見であった。
何故、発見であったと云えるのか。それは、「言語」というものの〈至近〉の相が、「国語」を徹底的に〈実在〉化することによって「国語」(=日本語)の発生があたかも「言語」の発生に二重焼きされる、といった構想力のうちにはじめて現れたからであり、同時に、「国語」の発生について、現存資料が存在しない――というより現存資料の精密な観察・探求によってのみ、ようやくその痕跡が見出されるにすぎない、という記述・記載の水準を見ることのうちに、「言語」が圧しだす〈遠隔〉性もまた〈至近〉の相とのずれゆきそのものとして、端緒を捉えられるからである。このずれゆきはすなわち「日本語」の発生をとらえることと、「言語」の発生そのものをとらえることとの微妙な差異であり、折口の「日本語」に関する無限旋律のような思考の緊張の、さいしょの起発点をなしているものといえよう。
この、「言語の経験」の感覚と「経験としての国語」の想定の二重性によって圧し出される「日本語」の実在は、一種巨視的な〈時間〉において(あたかも「歴史」のような時間において)所謂「口語」の場とも、記述と記載が行われるような言語の場(「文語」的なものの場)ともことなる、記憶される言語という独特の領域を得る。折口は、この基軸を導入することによって彼の「日本語」を、対象として直接化し、方法として一元化したと云えるのだ。
言語というものが、話され、あるいは書きとめられるものであるとともに、それが記憶されるものでもある、という視点は、つねに〈至近〉でありすぎたり〈遠隔〉でありすぎたりして、対象として直接化されにくい「言語」の有り様を「国語」の心的な運動の圏内に封じ込めて捕らえたと云える。そこで、「国語」(日本語)の実在は、「言語」それ自体の範囲を超えて動いてゆくものとして把握されるのである。それは、いっぽうで、上代から通じてくる「生活」への、折口の強力な考察を前提していることは云うまでもない。
言語は、たんなる生存ではなく、「生活」のなかで黙契のように伝えられるのである。あるいは、黙契のような在り方が全体に浸潤した状態がそのまま折口の所謂「気分」として表現性能の拡大に矛盾なく合致する、といったところに「日本語」の空間が固有に考えられている。その意味で、「国語」の展開が、既往の「事実」として完結的に眺められる対象でなく、かならず一定の心的な根拠、ある動因を含んだものとして実在する「事実」である、といった水準が「記憶される言語」という視角のうちに込められるわけだ。
まず、本質的に「現在」であるしかない「口語」活動の領域がある。それは刻々の「現在」以外のものに移すことができないから、分割を及ぼすことがすぐさま背理を現してしまうような、〈至近〉であり、「時間」のなかに残ることはない。また、「書きとめられる」ということの起るところでは、言語は〈時間〉的に残されるものとなるが、どんな意味でも問題を直接的に語ることのできない、そこにつねに〈遠隔〉の距離を想定しなければならない「非限定性」が存在してしまう。折口にとって、このずれゆきのなかに「国語」の発生と実在は語られなければならない。
言語が記憶される、すなわちそれが言われるか書かれるかを問わず、まず言語が心的な実在性である、という水準によって、折口は「国語」が実在し、しかも発生的に実在することの端緒を得るのである。そこに、「国語」が歴史であると同時に現在である、といった研究対象としての〈実体〉もまた、成立すると云いうるのであり、「国語の実体」はこのとき、「書かれる」言語の状態と、「話される」言語の状態とが互いに干渉し合い、あるいは齟齬し合い、喚び合い……といった「心的な実在」としての言語が固有に孕む空間のただなかに置かれることによって、その〈至近〉と〈遠隔〉のずれゆきを埋められるいっぽう、一種無窮の筋肉の連鎖に似た、あらゆる区別性を無化してゆくような過程のうちに現れなければならない。
では、この過程、運動の総体は、具体的にはどのような場で見凝められ、論じられるのか。折口にとって「言語」の場とは、概括的な本質論から始められるようなものでなく、何よりも個別の語・詞章解釈の微視的な〈技術〉(テクニック)とさえ言いうるような過程のなかから類推されたものであることは、冒頭に述べたとおりであった。そこで「本質論」のようなものは、具体的な個々の解釈作業のうちに埋もれて、あるいは「感想」のような形で叙述の末尾にとどめられる、といった場合が少なくない。あたかも「言語」は論じられるものでなく、稠密な〈事実〉が示されるだけだと語られているかのように。
ここに、「言語学」であるまえに「国語(日本語)学」であり、「国語学」であることは、ほとんど個々の用例の徹底した合理解にゆきつき、個別の用例解釈はさらに他の「折口信夫全集」におけるおびただしい〈仕事〉によってつよく補完されている、といった「折口国語学」の独特の性格が現れている。彼の「本質論」あるいは普遍的な言語観のようなものは、つねに暗示として、示唆として(あるいは「感想」のような形で)叙述の全体のみが能く明らかにしているものと云えよう。
私達はまるで逆説のように、それは言語学だ、とさえ云うこともできる。ちょうど「言語」における〈至近〉と〈遠隔〉の問題に折口とは対極の立場から接近していった時枝誠記などの言語過程説を、一つの「国語学」と呼ぶときに、私達の側である逆説の感じをくぐらざるを得ないように。両者ともに共通するのは、ある批判(クリチック)の構造とでも云いうる学の性格であり、彼等の学を批判(クリチック)たらしめているもののその内実が私達の側にひとつの逆説の感覚をもたらすのだ。
だが厳密には、両者の「国語学」を同一の水準で論じることは出来ないのかも知れない。時枝が「言語」を過程と主体性のほうへ直接、解放させるのに対し、折口には遍在しつづける「国語(日本語)」の発生の機微のようなものへ触れようとすることで、「言語論」的な何ごとかを云いつづける、といった不可避の双面性、二重性がついてまわるからだ。折口にとって、「言語論」的な何ごとか、「言葉」に関する何ごとかの主張は、あくまで「国語」が巨きな実在性であり実体であることの当然の帰結として、個別の語・詞章・用例のうちがわから確かめてゆかねばならないものであった。それは「国語学」である以上に、云わば「国語考」「日本語考」として、折口にとってほとんど生涯の時間を費やすほどの、厖大な、そして単純な〈仕事〉の反復を強いたといっていい。
以下、折口の「日本語」に関するおもだった主張のいくつかを、読み得た範囲で記してゆきたい。
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