Dec 12, 2011
1年を振り返って
昨年8月以後に詩誌等に発表した作品を以下に並べて見ます。詩のほかに朗読や月評等もすこしやりましたが、ここでは作品だけにしぼってラインアップしてみます:①「白炎」 財部鳥子「鶺鴒通信」ι(イオータ)夏号2010年8月
②「あしたの春」 「交野が原」69号2010年9月
③「バッハ無伴奏パルティータ第二番」 「ルピュール」11号 2010年10月
④「訪問」 「読売新聞」2010年10月30日夕刊11面
⑤「ヴェルサンジェトリックスの大樫の木」 「現代詩手帖」2010年11月号
⑥「緑装」 「馬車」43号 2010年11月
⑦ 「罪びとジャンヌ」 ウェブサイト「うろこアンソロジー」2010年版 2010年12月
⑧ 「アタック」、「公園にて」、「アナログ」 「エウメニデス」II39号 2011年1月
⑨「欠乏」 「交野が原」70号 2011年4月
⑩「薔薇園」 「ルピュール」12号 2011年4月
⑪「いったいエチエンヌ・マルセルは…」 ウェブサイト「詩客」 2011年7月
⑫「この夏」 「交野が原」71号 2011年9月
⑬「スザンナ、スザンナ」 「エウメニデス」II40号 2011年7月
⑭「中三針」、「チキンバスケット」 「ルピュール」13号 2011年10月
⑮「だれにも言わない」 「エウメニデス」III41号 2011年11月
⑯「スザンナ、スザンナ」 「現代詩手帖」2011年12月号 (転載)
⑰ 「雨が降ったら」 ウェブサイト「うろこアンソロジー」2011年版 2011年12月
⑱「スザンナ、スザンナ」 「洪水」9号 2011年12月 (加筆転載)(予定) ⑲ 「暁闇から」 (及川恒平氏へ献呈詩)2011年12月
以上まとめてみると、現在詩に携わっている多くの方々のお仕事の上に自分の作品発表が成り立っていることに気付きます。新聞、雑誌、ウェブサイト、詩誌、アーティストの皆さまありがとうございます。私事ですが、4月に日頃頼りにしていた春日井市の次兄を亡くしましたため、お年賀状を休ませてください。みなさま、お元気でよいお年を!
Nov 22, 2011
及川恒平ライブコンサート『声のすきま』
シンガーソングライター及川恒平のライブで、詩集『幻影の足』から 「セレナード」と「月の魚」に曲がついて歌われます。及川さんの新作です。親しげに及川さんとお呼びしますが、つい10日ほど前にお知り合いにさせていただいたばかりで、お目にかかるのはこのライブが初めてです。CDアルバムを聴かせていただいて、相性の良さを感じました。他の現役詩人の作品にも曲をつけていらっしゃいます。及川恒平ライブ第43回 『声のすきま』
2011年11月26日(土)開場19:00 開演19:30
横浜市港の見える丘公園イギリス館
横浜市中区山手町115-3
前売3000円(紅茶付き)当日3500円
よろしかったらどうぞお出かけください。
oikawamusic@yahoo.co.jp
Oct 23, 2011
洪水企画の詩の筏第5回で、モルポワとカエールについてレポートします
池田康さんのブログ10月22日付けのお知らせのコピーをさせていただきます:《2011年10月22日
詩の筏#05のご案内
研究会「詩の筏」第5回を11月12日(土)午後2時~5時、小田急線新百合ケ丘駅前の川崎市麻生市民館第2会議室でひらきます。今回は、有働薫さんに、「1952年生れの2人のフランス詩人、モルポワとカエール ―モルポワ『青の物語』、カエール『息の埋葬』」、渡辺みえこさんに、「近・現代詩における「私」--比較文化的考察から」、というテーマで、それぞれお話をしていただき、その上で討議などいたします。ぜひお気軽にご参加ください。参加費は1000円です。定員がありますので洪水企画までメールなどで予約を入れていただきたく、よろしくお願いいたします。 (池田康)》
モルポワと同年生れのジャン=クロード・カエールについてお話します。よろしかったらお出かけください。作品のコピーを用意します。
Oct 18, 2011
モルポワ『青の物語』より
「わたしは海の真ん中でタバコに火をつけるのが好きだ。それは青の上のとても小さな赤い点だ。白熱した、じりじりと燃える、熱い点だ。この一点は、わたしが存在することを表している。わたしは一粒の種であり、一塊の人間であり、今にも消え去りそうにひざまずきかけて涙ぐむ魂のひとかけらである。」おかげさまで、3回に分けて『青の物語』1冊を読み終ることができました。
ご支持くださって、ありがとうございました。
Sep 27, 2011
詩人の声 第678回 モルポワ『青の物語』を読むⅢ
天童大人プロデュース 詩人の聲~目の言葉から耳のコトバへ~La Voix des Poetes No. 678
有働 薫 モルポワ『青の物語』(思潮社刊)を読む 最終回 第7章、8章、9章
2011年10月3日(月)18時30分開場 19時開演
NPO法人東京自由大学(神田)
〒101-0035千代田区神田紺屋町5 TMビル2階
JR神田駅東口から右へ徒歩5分 今川橋交差点左折レ、西福田町交差点左折レ、いちご薬局2階
℡03-3253-9870(火、木、金 午後1時~6時通話可)
入場料 予約大人2,700円 当日大人3,000円
学割1,500円(学生証呈示)
ご予約は東京自由大学もしくは北十字舎へ
北十字舎 Tendo Taijin Bureau
〒171-0031 東京都豊島区目白3-6-5
Tel03-5982-1834/Fax03-5982-1797
Mobil090-3696-7098
ジャン=ミッシェル・モルポワ:
1952年フランス・ドゥー県モンベリアール生れ。パリ第十大学教授。第1詩集『ロクチュルヌ』(1978年レットル・ヌヴェール社刊)。5冊目の詩集『もうぼくの心を探さないで』(1986年P.O.L.社刊)で1986年度マックス・ジャコブ賞を受賞。6年後の『青の物語』(1992年メルキュール・ド・フランス社刊)は代表詩集として、一部がNRFプレイヤード叢書に収録される。批評的抒情詩を主張し、ヌーボーリリスム新抒情派と呼ばれる。
Sep 12, 2011
ヴィクトル・ユゴー「あした 夜が明けて」
あした 夜が明けて 野が白めば すぐにも出かけようわかっているのだよ おまえが私を待っているのは
森を抜け 山を越えて 行こう
おまえから離れて暮らすことはもうできない。
歩いて行こう 私の思いに目をすえて
ほかには何も見ず どんな物音にも耳をかさず
ひとり こっそりと 身をかがめ 両手を組み合わせ
悲しみに沈んで。私にはこれからは昼も夜と同じことだ。
暮れていく夕べの こがね色も見なければ
アルフルールへくだっていく 遠くの白帆も見るまい
着いたらすぐに おまえの墓に捧げよう
緑のひいらぎと 花の咲いたヒースをたばねて。
(小池健男訳)
http://shika.sakura.ne.jp/category/jihyo/jihyo_jiyushi
ウエブサイト「詩客」自由詩時評第18回を参照してください。
Sep 03, 2011
詩人の声 第668回 モルポワ『青の物語』を読む 第2回
天童大人プロデュース 詩人の声~目の言葉から耳のコトバへ~ La Voix des Po*tes No. 668 有働 薫 モルポワ『青の物語』(思潮社刊)を読む 第2回 第4章、5章、6章 2011年9月5日(月)18時30分開場 19時開演 NPO法人東京自由大学(神田) 〒101-0035千代田区神田紺屋町5 TMビル2階 JR神田駅東口から徒歩5分 今川橋交差点左折レ、西福田町交差点左折レ、いちご薬局2階 ℡03-3253-9870(火、木、金 午後1時~6時通話可) 入場料 予約大人2,500円 当日大人2,800円 学生1,500円(学生証呈示) ご予約は東京自由大学もしくは北十字舎へ 北十字舎 Tendo Taijin Bureau 〒171-0031 東京都豊島区目白3-6-5 Tel03-5982-1834/Fax03-5982-1797 ジャン=ミッシェル・モルポワの代表詩集『青の物語』の和訳です。本年5月に第1~3章を読みました。今回は続いて第4,5,6章を読みます。第4章は本詩集中最も愛読されている詩篇「青は音を立てない」を含みます。Aug 16, 2011
黙祷しなかった66年目
昨日は11時34分のバスで外出したので、夕方帰宅してテレビをつけてはじめて、12時に黙祷しなかったことに気がついた。街ではその種のことはなにも耳にしなかったし、目まいのする暑さのあまりすっかり忘れていた。これまではたいてい家にいて、ひとりで正午に黙祷していた。疎開先の九州の伯父の家での8月15日正午の玉音放送の記憶があったから。もうしてもしなくてもいいやと思う。6歳なりの戦争の記憶は生きている限り消えることはないし、作品にもちょくちょく書いているが、そういったたぐいのことを周りの人に話しかけても重い反応しか返ってこない。夜のテレビで80代の元日本兵が泣いていた。全員死んだといって。可哀想だといって。こんな風に老人を泣かすなんて、何千人集まって黙祷なんてしたってしょうがない。いやむしろそれも恐ろしい気がする。
Aug 07, 2011
KANの音楽の浸透力
ちょっとしたきっかけがあって、シンガーソングライターKANの音楽にはまっています。とはいっても、資金不足等々で、ツアーライブを追っかけに行ける訳じゃなし、U-TUBEと街の中古CD屋さんを漁っているだけですけど。「愛は勝つ」フィーバーからもう20年以上経っているでしょうし、当時、その歌のあまりのシンプルさに、若気の一発は、詩の世界でもあるなー、ぐらいの耳しか持っていなかった。現時点で聞くと、まず、歌の合間のメロディーラインの叙情性に驚かされる。水面に跳ねた魚をふと眼にして水辺によると、その水のあまりにも透明度の高さにめまいを覚える、といった感覚。そしてこのシンガーの大きな個性の1つが、日常性のうえにそのポエジイがしっかりと根を生やしていることで、ほとんど作品がその人自身、その人の今まで、その人の現在の意識のありようを余さず反映しているとおもわされること。ずっとキヨシローが、そのスレンダーな果敢さがすきだった。はからずもここで幽明を分けてしまって、こちらはまだこの世をさまよって迷っている。KANは同時代を生きていて、若くて、といっても映像で見る限り若いときの顔じゅう口だらけの青い蛙がぱくぱくしているような愛らしさがきえて、これほど風貌の激しく変わったタレントも珍しい。そしてもう一つのこのシンガーの個性は社会人としての理屈っぽさだ。こんな音楽家もめずらしい(と思う)。おもしろいな、と思い、息子ぐらいの音楽家のポエジーに負けていてはだらしが無いなあ、と自戒している息づまる熱暑の夏です。Jul 22, 2011
シャルル・ボードレール 「深キトコロヨリ叫ビヌ」
ぼくはあなたのあわれみを願う、ただひとりの愛するあなた、ぼくの心の落ち込んだ、この暗い深淵の底から。
これは鉛色の地平のひろがる陰鬱な世界、
夜のなかを恐怖と冒涜がただよう。
熱なき太陽は六月(むつき)頭上に浮かび、
残る六月は、夜が地上を蔽う、
これは極地よりさらに裸形の国、
――けだものも、流れも、青草も、森もない!
思えばこの世に、この凍りついた陽の
冷たい残酷と、いにしえの混沌に似た
この涯しない夜にまさる恐怖はない。
愚かしい睡りのなかに浸りうる
世にも卑しい動物の運命をぼくは羨む、
それほども時の糸かせはゆっくりとくられてゆく!
(粟津則雄訳)
4,4,3,3のきちんとしたソネットで現在のニヒル(当時の)を定着しようとするアンバランスが魅力。ただし最終行、「世にも卑しい動物」という表現には、現在ではかなり違和感があるだろう。今の詩人は「うらやましいほど天然の、野生の恵みに満たされた動物」などのように言うだろう。
Jul 09, 2011
夏の用意をしました
夏用の座布団カバーを新調したら、青紺の秩父縮みの生地で、肌触りがうれしく。その勢いで、町田に出て、買い物をしました。まず、ユニクロで、クロップトチノパンの黒、襟ぐりの開いた青紫のTシャツ、パイレーツの帆船が描かれているやつ、オダキューに戻って黒のサンダル、ついでに30パーオフになっている、グラサン(それでもかなりの出費)それだけ買い込んだら満腹でした。あとは壁沿いの無料休憩所で本を読むつもりが、本を手にするひまもなくこっくりこっくり、家に帰っても暑いので、日が翳るまでどこで時間をつぶそうかと。ほんとは図書館に雑誌を読みに行く予定だったのですが、もう体力の余剰切れ。地下食料品売場で、トマトが高い、ナスもキュウリも値上がりしているなと野菜を買うのをやめて、輸入もののレーズン一袋、駅のホームで日経朝刊買って帰りました。Jun 30, 2011
6月最後の日です
6月はなにをしていたか?振り返ってみましたが…。ふらんす堂のコラム「詩人のラブレター」の連載が終わったので、本にまとめようと、ふらんす堂さんを訪問したり、原稿をまとめたりしていました。これが一番の仕事だったかな。これがなかなかたいへんで、いくども書き直しています。これでOKというかたちまで持っていけるまでには、多分この夏一杯かかるでしょう。ネットと本の違いを改めて感じています。あとは、やはりネットの「詩客」に詩を一篇出しました。7月半ばには詩の現在シリーズ第2回の原稿を提出の予定です。にこにこしあわせ、という具合には行きませんが、こつこつやって行こうと思います。May 27, 2011
文字化けを起しました
24日の書き込みは文字化けでした。他の場所で書いた原稿をコピーしようとしたら、だめでした。翌日になって、正しい原稿を灰皿町の原稿用紙(ここ)に打ち込んだら、こんどはOKでした。長年パソコンを使っていますが、いまだに何?ということがしばしばです。びっくりなさったらすみませんでした。「詩客」というブログができて、そこに本日原稿がアップされました。「自由詩時評」という欄です。どうぞよろしくお願いいたします。May 25, 2011
予言 ジュール・シュペルヴィエル 中村真一郎訳
やがて地球は
夜昼の区別もなしに廻る
盲いた空間にすぎなくなるだろう。
アンデス山脈の巨大な空の下には、
山も見えず、
小さな窪地一つなくなるだろう。
世界中のすべての家から、残るものは
ただ一つのバルコンだけだろう。
人間の世界地図から残るのは
天井のない一つの悲しみだけだろう。
大西洋は火と燃えて、
風の中の塩辛い一滴の味と、
海のことはすっかり忘れた
魔法の飛魚一匹だけになるだろう。
1905年型の自動車では
(車輪は4つもあっても、道がない!)
当時の三人の娘が
気体になって残って、
パリも遠くないと思いながら、
窓から景色をみているだろう。
そして、喉をしめつける
空の匂いしか嗅げないだろう
森の広場では、
一羽の鳥の歌が立ち昇るが、
誰もそこをどことも言えず、
好きだとも言えず、聞こえもしないだろう。
それを聞いて、「ひわだな」とつぶやく
神様以外には。
やがて地球は
夜昼の区別もなしに廻る
盲いた空間にすぎなくなるだろう。
アンデス山脈の巨大な空の下には、
山も見えず、
小さな窪地一つなくなるだろう。
世界中のすべての家から、残るものは
ただ一つのバルコンだけだろう。
人間の世界地図から残るのは
天井のない一つの悲しみだけだろう。
大西洋は火と燃えて、
風の中の塩辛い一滴の味と、
海のことはすっかり忘れた
魔法の飛魚一匹だけになるだろう。
1905年型の自動車では
(車輪は4つもあっても、道がない!)
当時の三人の娘が
気体になって残って、
パリも遠くないと思いながら、
窓から景色をみているだろう。
そして、喉をしめつける
空の匂いしか嗅げないだろう
森の広場では、
一羽の鳥の歌が立ち昇るが、
誰もそこをどことも言えず、
好きだとも言えず、聞こえもしないだろう。
それを聞いて、「ひわだな」とつぶやく
神様以外には。