Jun 22, 2006
すいかずら
残り少ない雑木のヤブのそばをとおりすがりに、いいにおいがするのでのぞいてみると唇形の白い花が咲いていた。ああ、忍冬だ、と思って楽しんでいた。去年石垣に亀裂が入って(今では家の壁、他、あらゆるところに亀裂が入っているのだが)フェンスを建て替えたので、思いついて道から手を伸ばして蔓をひっぱると、かんたんに抜けてきた。今年の5月の末、花が咲いた。藪の中に他の雑草にまぎれて咲いていた時のほうがよかったかな、という印象だったが、ともかく、偶然白とピンクと並んで1株ずつ、元気にフェンスに絡んでいる。すごく綺麗な草だったら、ほって置かれないだろうが、ほって置かれるくらいの、地味さ。鳥で言えばすずめかな。すずめほどさわがしくはない。楚々として、控えめな花である。広辞苑を引くと詳しい説明があった。なになに、利尿、解熱? 忍冬というのは漢方(民間)薬だそうだ。せんぶりとか、ゆきのしたとか、そういった種類でもあるのかな。蔓と葉を干して、お茶にしてみようかと思い立った。猫が近寄るのは、なにか成分が原因らしい。干して匂いをかぐと、ほんのり、いいにおいがする。まあ、キノコや水仙のように自己流は危ないかもしれない。ちょっといわくもある草なので、よく干して缶に入れておくことにする。Jun 21, 2006
つまらないなあ
詩の月刊誌の若い子たちの座談会を読んでいて、はじめの方は面白いと思ったが、だんだん飽きてきてしまった。なぜだろう、ああ、たぶん受験雑誌で合格者たちのどういう勉強法をしたから合格できたか、を読まされているようで、もう受験など関係ない自分には、関係ない話だからだと気が付いた。推薦されている詩集も、偏差値の高い順に取り上げられているようで、つまらない。じゃあ、読んでみたい、と思うものはひとつもなかった。若い子と年寄りのあいだに、何の関係があるのか、と言われれば、はい、ありません、と返事するはめになりそう。この子たちは自分のプライベイトを語ることがほとんどない。だから、どういう人間なのか、皆目分からない。例えば、自分にこもっているのは悪くて、心が開かれているのはいい。そんな単純な正義感しか感じない。いい子、よく詩を勉強していて、真面目で、方法論などもいっぱしに発言できて。そんなことじゃなくて、何に悩んでいて、何に興味を感じているのか。どんなに自分がお人よしか。どんなに自分が生活力がないか。詩って個人的なつまづきの魅力だと思っている自分には、こうみんな一律にいい子では、詩なんか読みたくない。Jun 18, 2006
辻さんのこと
大人数の家で育ったせいか、置いてけぼりにされやすい性格で、話題中のことや、事件などもすぐに反応できない。「街」の10周年記念号に「始めて以来の代表句10句」を提出すること、というので、自分の代表句を考えてみたところ、はじめて余白句会に行った時、天をとった句があるのを思い出した。
さんま焼けて長い皿さがす
でもこれは俳句になっていない。落とすことにする。
井川さんのネットを繰って見た。
辻さんが天を入れてくれてる句がいくつかあるので、びっくりした。
ざるそばのつゆに浮きたる七味かな
蚊の声や一日中の読書かな
切れ字重なりで、これもだめだが、そんなことまったく気にしないのが辻さんだった。
小沢師匠は
人食った後の昼寝やとうがらし
に天をくださっている。
なつかしいなあ、としばし呆然とする。 余白で15年、いま、これらの句を読むと、場になじもうとして一生懸命な自分が見えて、痛々しい。芸事は真似からとは言っても、15年は馬鹿だ。結局化けの皮がはがれて、落っこちてしまう。早めに自分に徹しなかった報いということなのかなー。かろうじてこの中から自分の句を取るとしたら
入社して歯車の名を覚えいて
秋風や千円札の漱石氏
にしようと決めた。
辻さん、ありがとう。亡くなってさびしいです。