Jul 31, 2005
城ヶ島吟行
今日で7月も終わりです。湿っぽくてくそ暑い日々です。
28、29日は城ヶ島吟行でした。油壺は小学校の遠足で行ったけど、城ヶ島へはいままで行きそびれていましたので、うれしかった。バームクーヘンみたいに岩が濃い茶色と薄い茶色にいくえにも層を成していて、波の浸蝕でさまざまな奇形、芸術的でさえある風景でした。ちょうど土用の日で、台風の余波も残り荒れた海、岩にぶつかる波が白く裂けて散っていました。久しぶりに海に来たので、海が怒っているように思えました。
10句即吟ということで、1時間ぐらい岩先にしゃがみこんで苦吟しましたが、結果はよくなかった。得点はまあまあだったのですけど、帰宅後、自分の俳句に対する態度に大きな問題があるのに気づかされ、悶々としました。結論、俳句に対する高飛車な態度を変える努力をすること。深いコンプレックスに気付きはじめています。
夏服を砕ける波にさらしたる
夏の潮いのちの種を運び来る 薫
Jul 27, 2005
S先生
からお電話をいただいた。
富津のセミナーへのお誘いだった。
電話口で少し話があって、詩集のテーマはジャンヌ・ダルクでしょうとお見通しだった。以前に『ガニメデ』誌をお送りしたことがあった。だれでも知っているテーマだからおもしろくない。掘り下げが足りない。とのご意見だった。それは既に自己反省して、それゆえガニメデの少女戦士を破棄して「悪の伝説」に書き換えたのだったが、そのへんの事情を説明するには電話では無理だった。みんなが知っているジャンヌを通して自分を追及できないかと思っていますというようなことはどもりつつ返したのだったが、電話を切ってから、言いようのない歯がゆさにとらわれた。このまま、兄たちや先生たちとのようにもう話せない別れがあったとしたら。いや、それでいいのだ。話してどうなるというものでもない。このまま、分ってもらえないという苛立ちのまま。伯母や母などともそんな別れをしたのだから。
Jul 15, 2005
詩誌「ル・ピュール」創刊!
詩の合評会pspクラブを母体として詩の雑誌「ル・ピュ-ル」を創刊した。柿沼徹、竹内敏喜、有働を核として、手塚敦史、白井明大、小川三郎、小網恵子、福士環のつごう8人が集まった。竹内さんの立ち上げたpspクラブに核の3人で集まっていた時期があって、以来、何といっても「詩がすきだ」というくくりで核を形成している。そしてそういう竹内さんに誘われて「詩が好き」な人たちが集まった。作品を見るとみんな生き生きしている。みんないい詩を書いている。「みんな違ってみんないい。」やっぱり天才の先人の言葉は予言的だ。この純な息吹きほどすばらしいものはない。若く個性的なみんな、わたしが混じって平均年齢を上げてしまってごめん。でも作品は負けないぞ。けんかしてもうらんでもすねてもいいから自分の満足するように生きていこう!読み手のみなさんにもこの涼しい風がとどきますように。
Jul 10, 2005
ふたたび『フランドルへの道』
今朝の新聞によると、クロード・シモンが91才でパリで亡くなったそうだ。マダカスカル出身で、フランスの古い騎兵将校の家系で、この小説も馬で戦争をしていた最後の時代(1940年代)の話らしい。平岡先生が亡くなり、シモンが亡くなり。翻訳者のほうがずっと若くして先に亡くなった、という思いがする。ルイ兄の蔵書の中から引っぱりだした先生の献辞付きの「フランドル」が例のガラス戸の本棚のなかにあるが、拾い読みしてみても、あまり面白いものではない。よく忍耐強く訳しあげられたナーという気持ちで放り出した。だが、再び、忍耐を持って、こんどは自分としても細部の文体を愉しむというやり方で読み直そうと思う。