Mar 29, 2005
今日は誕生日です
何回目かはまあいいでしょう。還暦を越せば、60マイナス1才ずつ減らしていけるはずだから。とにかく、復路であります。とても忙しくて10日ほどの間パソコンを開かずに毎朝飛び出していました。19日に横須賀句会があって、そのことを書きたいなと思っているうちに仕事に突入してしまって、それから27日にpspで思いっきりおしゃべりしたり、家の石垣工事の代金の相談や母の介護をしながらたいして安心もできない自分の介護保険料を6万超も払わされるのに不満を感じながら1年間の保険税を支払いに市役所に行ったりしつつ、今や自分の老いの象徴日ともなってしまった誕生日にたどり着き、いいことないなー。その中でちょっとした光明も見え、それを作品の糧にしたいと思っている。八月刊行予定の「ジャンヌの涙」に水仁舎さんが苦労していると告げてくれる人があって、人の地獄耳に感心する。わたしだけが沙漠にいるんじゃないと日ごろの不満心を自分でたしなめたりして暮らすこのごろです。
Mar 17, 2005
ただの零細な消費者
1960年代、いわゆる「太田ラッパ」の頃、わたしは全国金属の組合員だった。振り返って、私が組織労働者だった時期はきわめて短く、たんに「搾取される個人」である期間のほうがわたしの人生のほとんどをしめる。「搾取」などといえば、今は顔をしかめられるほど、全てが小経営者ばやりで、孤立すればするほど、友人、隣人からもその気配をさとらされるほど、事態は見分けがたくなっている。太田ラッパの頃は天真爛漫に教科書どおりだった。顕在的には何の意味も見出せない。しかしである。あの20代の数年間の聴覚に養われたものの残滓、それは、根こぎにされた大木の周辺にやがてひこばえが見つかるようなものかもしれない。…
Mar 16, 2005
Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers,
Picoté parles blés, fouler l'herbe menue:
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.
Je ne parlerai pas, je ne penserai rien:
Mais l'amour infini me montera dans l'âme,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la Nature,--heureux comme avec une femme.
フランス語をやって本当に良かったと思うのは、この詩を読むとき。
けっきょく、この詩を自分は超えられないし、超えたくもない。
それに、あんな生涯を送りたくもないし。
人間て匂いのある花とおなじだなと思う。どれひとつ、同じ花はなく、その花が咲いている時間はあまりにも短い。でも、顔をちかづけて、香りをかいだ記憶はその人に忘れられない。
喉の下の三角
父と伯母の間にはある種の暗さがあった
その同じ分量だけいたわりとやさしさのけはいもあった
伯母は和服で教員生活を長いこと続けていたから
伯母の喉下の肌は和服の襟の打ち合わせから
はみ出した分量だけ
くっきりと三角形の日焼けがあった
その三角形を見て育った幼いわたしは
いっしょに風呂に入ったときや
着替えのときなどに
母をこれほど苦しめる姉弟関係ってなんだろう
と好奇心がつのった
おばちゃまはなぜ
お嫁に行かなかったの
と聞いたときがあって
そのとき
伯母の身の上話がはじまった
……
ここまできて、ペンが止まった。
重さに耐えられなくて。
まだむり、まだむり。
いっしょうむりだろう。
ランボーの詩を超えたくないのと同じことかもしれない。
Mar 13, 2005
飛ぶ劇場RRRを観る
春めいてうきうきして軽装で出かけた。池袋南口に出たらぱらぱらと大粒が来た。
なんともキテレツな演劇。作者泊氏の挨拶どおり、ごった煮、ごみ溜め、ドロドロ、例えて言えば「北海道が博多で札幌ラーメン屋」を見つけてバターコーン塩ラーメンを食ったみたいな、破滅に向かう日本島嶼多島海文化の終焉を「明るく憂う」ラジオのリクエスト番組があぶりだす島国青年肉欲地図の浄化を祈念する趣旨の、満席(に近い)上演でたいへん面白かった。帰りに中野の救世軍ブース記念病院に母を見舞いによって、バスで永福町に出て、寒風に吹きまくられて縮みあがり、激辛ラーメンに涙して、挙句、熊本産晩白柚1個350円、プラス清見オレンジ1袋をさげて疲れて帰ったのが夜9時。良い一日でした。もし自分より30年以上未来の日本がこのような明るさで日を暮らしていくのだとしたら、安らかに死ねるな、なーンも言うことなしと、こころも軽く、浄化されたのでした。
Mar 12, 2005
冬にまた戻って
雨。朝は暖かいが、昼間は冷える。石垣工事が2週間かかってやっと完成。雨の日が入ったので実際の工事は10日だった。中島建設㈱はこの家を37年前に建てた会社。もう人がすっかり変わっていたが、工事にはとても満足している。茶髪のお兄ちゃんたちが来て丁寧にやってくれた。大きな木を植えちゃだめですよ、と監督さんに注意された。そのことに今まで気が付かなかったのが、不覚。でも、木の根が原因でなくても、セメントはそろそろ老化して落ちる頃だから、リユーアルしてよかった。これからは木はあきらめて草花いじりして遊ぼう。
これから池袋へ。
Mar 09, 2005
今朝はすんなり
行きました。もう頭に入っていますが、1週間ぐらい開かないときも有るので、そのあきまに記憶が耐えるかどうか、ちょっと心配です。手順を手帳に書き付けて置きましたので、対策は講じてあります。いま、読んでいるのは大江健三郎『取り替え子』です。あの、衝撃的で、奇妙なで痛ましい事件。伊丹さんには一度だけお目にかかったことがあります。そのころ、新作ができると試写の案内が送られてきていたので。代役で見に行き、終ってロビーに立っていらっしゃる伊丹さんに一言ご挨拶をしました。なんだか、こころここにあらずという風な印象を受けました。黒づくめの服で背の高い方との記憶があります。大江健三郎の作品にはあまり深入りはしないつもりです。おそまきながら読んでおこうぐらいで。
Mar 08, 2005
ねんのため、もういちど
やってみました。白地でました。あす、朝、できますように!!
わかった
思い出しました。日付けを替えたらすぐEnterキーを押す。それで空白が得られました。大切な空白。思い出すのに幾多の障害をのりこえ、乗り越えして。学習ができないのではなくて、ガラクタな学習をいちにちのうちにたくさんしすぎるのではないかと思えてきた。願わくば、すっきり、大事な学習だけさせていただけますように!
Mar 07, 2005
また迷いました。
一晩寝ると、元に戻っちゃうみたい。1日の学習が積み重なっていかない。なさけなし。白地が出ないんです。またばたばたやってみます。
Mar 02, 2005
今日は雪のはずでしたが
曇っています。3日の雪はもうすっかり消えました。気温は日中4℃で、冷え込んでいます。明日からは春の暖かさになるという予報です。
中地義和『ランボー・自画像の詩学』岩波セミナーブックスS5、2005年2月刊を読み始めた。久しぶりの真正面からのランボー。もうこんなに近くなってしまったランボーを喜んでいいのか。もちろんだ。ランボーの言葉へのこの肉薄。これだけかけ離れた言語世界でのこの探求。かつて、青春時代にランボーの訳詩を読んで、この詩人はわかる。と直感した。その後テクストにあたってそれは確信として固まった。ランボーを注意深く読もうとする人は、たいていこの直感に導かれている。そしてその直感は苦労の果てに裏切られず、それどころか、圧倒的な世界の展望に導かれるのだ。この詩人の厚みと香り高さに、自分の生の至福を思うのだ。優れた研究者達がもう私より若い人たちばっかりになってしまったが、それはそれ、わたしはそのジューシーな果実を心ゆくまで味わうことができる時間にめぐまれる。