May 31, 2005
術後譚
おじさんの、お見舞い。母がこういう日は痛むのだと言ったから、晴れたのででかけた。
本当は、サイカチの花が撮りたかったのだけれど。
おじさんは、痛がっていた。
横になると傷が痛み仰向けになると、剃られた毛が生えてきて痛いのだと言った。
手術前には臍のゴマまで、取れと言われたそうだ。
ここまであからさまに聞いたら、こういうことがちょっと滑稽に思えてしまうことに、複雑な気持ちになった。
久しぶりに晴れ間を見た。
明日は買い物の手伝いをする予定。
写真は、関東にはないササユリ。
ミント鍋
10日くらい前に、佐渡の友人から電話があった。五人くらいで、交代に電話に出て「来いっちゃ!」(佐渡弁)と口々に言う。
最後に行ったのは、十数年前で寺に身を寄せていた。
電話はその時に知った「青年団」の人々だ。
過疎の村では、彼らはその後も誰も結婚していない。
そして、わたしは、何かと酒のさかなになっているらしい。
お酒ばかり飲む村の生活から、逃げ出したにもかかわらず。
佐渡は学生時代から何度か行っているが、最後に行った年の春は、山菜を山のように食べた。
ゴールデン・ウィークで来た友人たちと、アザミやワサビやワラビなどなど。
アザミは天ぷら。ワサビはお好み焼きなんかにした。
お酒につきものの鍋は住職が担当し、酔ったついでに薄荷(ミント)の葉を入れてしまった。
「ねー。これ歯磨きの味がするよー」
Rさん夫婦が断固抗議した。
アザミの天ぷらは、少しとげとげすると言われたが合格した。アケビやノブドウの蔓の天ぷらもまずまずの評判で、スミレをまぶしたサラダもOKだった。
とにかく、すべてをぶち壊したのは薄荷であった。
この年わたしは寺住まいをしつつ、墓にそえられる花の美しさを知った。
こともなげに老婆たちは、毎日来て花を活けかえる。まるでバスの切符を買うとか、そんなことのようだった。
そのなかには、お寺の奥さんの言う「おしゃべり三銃士」もいた。
とまれ地球の自転に呼応するように、墓の花の色が変って行くのは素晴らしかった。
後日談だが、わたしはひどいアトピーになった。灰汁の強い山菜を、たくさん食べたからだと医師に言われた。
そういえば、レタスやトマトなんかをずっと食べていなかった。
May 30, 2005
ヤマボウシ
アメリカハナミズキと、ヤマボウシが混戦模様だった。アメリカハナミズキは、アメリカ、ワシントン、ポトマック川のサクラと交換したものだ。
以前おじさんにその話をしたら、おじさんは「割に合わない交換だ」と言った。
アメリカハナミズキは、ヤマボウシよりいくぶん早く咲き、白のほかにピンクがある。それがカギと言えばカギだと思っていたら、先だって、ついにピンクのヤマボウシを見てしまった。
アメリカハナミズキとヤマボウシの混交種に違いないが、菓子屋の店先に活けてあったのだから、樹形はわからない。ついでに、菓子屋のおばさんは「近頃はアイノコが多いから」と近所のフィリピンの女性のことを話し出した。
わたしは、アメリカハナミズキの大木を見たことが無い。
ヤマボウシの大木は秩父で見た。
直立よりむしろ横にはる感じの枝振りで、せり出した枝の上が白く、さながら季節外れの雪をかぶっているみたいに見えた。
遠くからで、それがわかるくらい立派だった。
僧兵のかぶる頭巾にたとえた山法師の名はそこから来たのだ。
去年、森林インストラクターの方から、実が食べられると聞いた。食べるとなかなかだった。
秋に結実する。
この花に見える総苞が尖っているのがヤマボウシです。
シロヤマブキの発芽
一昨年、蒔いたシロヤマブキが発芽しないので、諦めてベニバナを植えた。ベニバナは貧弱で、活けたプランターの狭さに泣きそうに見える
なんと、そこへシロヤマブキが発芽しだした。
苗は移したが、驚いた。
ネットで知り合ったT大の生物学の先生も、「翌々年発芽すると聞いたことがあります。」とメールをくれた。
しかも「朝鮮半島と日本がほぼ陸続きであった時代に、日本にも分布した植物の1つであると考えられている。」だって。
バラ科。シロヤマブキ属。シロヤマブキ。一属一科。なのである。
May 29, 2005
思い出が、一番厄介だと・・・・・。
ソフィアローレンさんが「思い出が、一番厄介だと言った」のだ。今月になって、車のなかや自転車や道で父のような人を見かける。
「おとうさん」と言い出しそうになって、別人だと知る。
わたしが、父から呼ばれた言葉、照れて母に言った親しげな言葉も思い出す。
思い出・・・こいつは、本当に厄介だ。
May 28, 2005
ドリカムを聞きながら
はっきりしない空で、動く気がしない。セナは「行こうよ」とでも言いたげにそばに張り付いている。
母のつくった蚕豆を食べ、うろんとしている。
植物の植え替えは、あらかた終わったが「もういやっ!」
来年はこのペットボトルが加わるのだ。
園芸には土地が必要なことを、重々知っていながら、植木鉢ばかりいじっている自分がいやになった。
May 27, 2005
おじさんのお見舞い2
「しりこだまを抜かれた」おじさんは昨日より元気がなかった。今度はわたしの知らぬフォークを聞いていた。
気がふさぐので音楽をかけている。
「尻が痛てー」を連発し、横になったり座ったりしている。
久しぶりに散歩
サイカチのある狭い墓地が、いつも気になる。色の濃い藪椿が終わって、久しぶりにきたら、ムシトリナデシコが入り口にいっぱい咲いていた。
奥に入ると新緑がきれいで、サイカチの下はすでに蝶道になっていた。
カラスアゲハを二頭見た。
帰ると母が来ていた。煮物と野菜を持って。
喘息があるので「やめてくれ」と言ったが「試してみるのも、必要なのよ」と電話を切られた。
来てから、母はセナを抱きしめた。そしてちょっとだけいて、お墓参りをして帰ると言った。
わたしは、母にやさしくない。こういう時にも・・・・。
呉越同舟
玄ちゃんは、先日の電話で「共産党」に入ったという。「9条の会」の後押し、だってさ。
呉越同舟とからかったけど、憲法9条は「俺たちが生きてきた、時間そのものなんだよ。」という言葉は重い。
広島も窓口が一本になったようだ。呉越同舟ってナカナカの言葉だな。
May 26, 2005
国労で、非常に長く頑張っている友人がいる。
頭がさがる息の長さだけれど、その友人は静岡なので毎年、有機農法の新茶を父に送ってきてくれていた。
父が国労だったというのがその理由だが、父が亡くなった今年も送ってくれた。
母は送られてきた、お茶を見て嗚咽した。父は本当にお茶が好きだった。
今度の電車の事故でも、母はずっと泣いていた。
愛する人を失う自分のような時間を、被害者のひとは過ごす。
「合理化なんてリストラじゃないの。」と通っている民医連の病院で、「医師に言ってやった」と言う。
実際、JRの事故は増えていたらしい。
わたしの実感では、問い合わせの電話に誰も出ないし、ホームの控え室みたいなところに、駅員はいなくなった。
昔のように貧血で倒れたり、荷物を線路に落としても誰も対応しないだろう。
今度は郵便局まで民営化・・・「きっと、自殺者がでる」とわたしは思っている。
頭がさがる息の長さだけれど、その友人は静岡なので毎年、有機農法の新茶を父に送ってきてくれていた。
父が国労だったというのがその理由だが、父が亡くなった今年も送ってくれた。
母は送られてきた、お茶を見て嗚咽した。父は本当にお茶が好きだった。
今度の電車の事故でも、母はずっと泣いていた。
愛する人を失う自分のような時間を、被害者のひとは過ごす。
「合理化なんてリストラじゃないの。」と通っている民医連の病院で、「医師に言ってやった」と言う。
実際、JRの事故は増えていたらしい。
わたしの実感では、問い合わせの電話に誰も出ないし、ホームの控え室みたいなところに、駅員はいなくなった。
昔のように貧血で倒れたり、荷物を線路に落としても誰も対応しないだろう。
今度は郵便局まで民営化・・・「きっと、自殺者がでる」とわたしは思っている。
山の花のでどころ。
山の花を掲載する時、躊躇するのは「山から取ってきたのを、買っている」と思われることだ。そんなことはありません。
今日、了解を得たので、URLを紹介します。(内緒にしておきたい・・笑)
http://www.arasawasanso-en.co.jp/mokuji.html
「当園では一切、自生地による苗採取を行っておりません。」というその心意気やよし。
May 25, 2005
おじさんの家へお見舞いに。
おじさんは、ニールヤングを聞いていました。「痛い、痛い。無くした前立腺のところが、痛い」
ピザを頼んでジャニスをかけて、わたしは「コマネチ」をやりました。
笑いながら痛がっている、おじさん哀切。
ゼンリツセンの病気は昔はなかったのかな?
明るくなったよ。OK牧場!
家のひさしの部分のプラ波板(こう言うんだそうだ)を換えている。よその家の屋根を修理中の「コバヤシさん」に声をかけて相談したら、家のも見積もってくれて快諾してくれました。今までのを取って、ひさしを透明な波板にしたので、明るくなりました。
そして捨てそこなったサッシを「持って行ってくれる?」なんて聞きながら、分別収集のことを話しました。
バブルの時は、すごいごみが出たんだろうな。
そういえば、企業倫理という言葉も聞かなくなったね。
昨日はコバヤシさんは屋根から下りてきていきなり「すごいねー。お宅の緑」と叫びました。
「ほんとそうなんだよねー。」
「でもね、バラがすごい家を知ってるよ。」
今年はうなるようなバラをいっぱい見てるので、わたしの通販&収集ファクトリーも負けちゃうと思いました。
今日は道路側にでているヒメサユリとクロユリの開花中で、さっきコバヤシさんはいたずらっ子みたいな顔で「みんな見ていくよ。立ち止まって」と伝えにきました。
セナの夢
セナは夜は遅くまで起きていて、朝は五時起き。なんでこんなことができるかっていうと、散歩のあとたっぷり寝ています。
最近は、発情期(ピークは過ぎましたが)のようで、時々落ち着かなくなります。
heatってアメリカでは言っていたな・・・と辞書をひいたら絶妙なニュアンスでした。
余談ですが、人間について、20代の発情期には、いっぱいボーイフレンドがいたけど「30を過ぎたら、潮が引くようにいなくなった」というのはNさん。
ほんと、そうだよね。
「君だけだとか言って、半年もすりゃ結婚してる男たち」これはIさん。
いずれも、聡明な美人です。
セナはシープドッグ。
でも一回も、ひつじを見たことが無い。 多分、一生ひつじに会うことも無い。
夢に友情出演?(羊の写真はニュージーランド。写真はネットで知り合ったジェフさんが提供してくれました。)
May 24, 2005
ガンセンターに行ってみた。
おじさんは、退院した。野戦病院みたいな早さだった。
入院中、お見舞いに行った。
「痛くない。」尿道の鈍い痛みは、ちょっといいようがないが、さほど苦痛ではないということだった。
知人が新宿の国立ガンセンターに入院したのを振り出しに、わたしの周囲はがん患者だらけになった。
つまりは、そういう年齢だということだが、おじさんの入院先は、同級生が亡くなったところでもある。
彼女は「手遅れ」だった。
お見舞いに行ったとき、帰りのエレベーターまで送ってくれた。扉が閉まりエレベーターが沈むのを見ている刹那の、彼女の表情をいまだに忘れてはいない。
その後、何度か相談のような電話があって、そして通夜に行った。
五年生のお嬢さんと、ご主人が痛々しかった。
祭壇の彼女は、美しかった。
わたしが初めて出た同窓会で、彼女は家のまわりには「ヤマユリがいっぱいあったのよ」と言っていた。
彼女の家は、ちょっと離れた線路沿いにあった。さもありなん。
同じような風景は、関東の人間の原風景みたいなところがある。
それにあたるのが、関西の人にはササユリだというので、わたしは見に行こうと何度か思った。
奥飛騨の温泉まで決めて、駄目になってから憧れは増した。
今日、注文しておいたササユリが届いた。りっぱなササユリだ。
明日、おじさんのところに一株持っていく。
今やおじさんは、尿路感染や、痛みやらで苦闘中らしいから。
カタクリモドキを培う。
カタクリモドキ、人によってはシクラメンモドキとも言う。 ドデカテオン、サクラソウ科、ドデカテオン属のもの・・・というか、現物は今年初めて目にしました。扱いやすいということで、流行の兆しがあります。
図は1800年頃のもの。
これを書いていたら消えてしまった。よってもろもろの書きたいことも、どこかに行ってしまった。
May 21, 2005
すごーく忙しい・・・。
植え替えとか、水遣りだけで一日が終わる。水遣りは、一日に二回。為丸式の、ペットボトルもいっぱいだ。
ペットボトルの蓋を取るとその手のごみになり、来週までペットボトルの台所で動く。
もう蓋なんて無しで、挿し木の時期になりました。
植え替え~~~っ。
あ、セナの面倒も大変ですよ。_| ̄|〇 ←ぐったり。
May 11, 2005
ガンの手術に立ち会った。
自動ドアの調整などに「立ち会う」という言葉を使うと知ったのは就職してからで、それまでは「立ち会う」という言葉を使うのは手術だけだと思っていた。というわけで今日は、手術の立会いをした。
母は、お父さんに頼んでおくからと言った。弟が送ってくれた。本人の弟さんが、やっとの思いで調整して休暇を取った。
立会いは二人になった。立会人は三名までだが。
以前、千葉刑務所の門に、張ってあった紙には、「お迎えは三名まで・・・云々」となっていた。そんなことを、つい思い出した。
そして先日、書いたツアーのような集団は、一日に三組くらいできるということも知った。
立会いと言っても「待ってる」のが殆どで、医師から成功といわれ説明をうけたらICUで、すぐに本人と話ができた。
今の外科治療はすごい。全身麻酔はすぐとけるが、脊髄に麻酔をうめて少しづつ出るようにするのでその後の痛みも感じない。
だから、数日ですぐ歩かせたりする。ベッドの回転率もさることながら、もとの生活に復帰させることを最優先にしている。
とにかく初期がんの手術で、5年後の生存率が95%だ(残る5%はガンで亡くなったとは限らない)と聞いていたので、そんなに早くガンが見つかるのは悪運が強いか幸運なのだ。(笑)
いずれにしても良かった。が、セナはふてくされ、朝から4時までドッグフードを食べなかった。
帰って散歩しつつも、病棟で見た坊主頭の子供たちのことが何度も浮かんだ。
*たった今、インテリ玄ちゃんと呼ぶ友人から電話が入った。夕食も食べず、掃除であわてていた時だか、ひとつだけ面白いことを聞いた。
「ねえちゃん、あのね金子光晴が、前立腺肥大って70過ぎで言われて喜んだんだって。」「なんでだと思う?」「わかんない。」
「マエタチセンって読んだんだってさ。」
ところで出所は「面白半分」という雑誌だという。
実はわたしは彼(金子光晴)の面接で合格(?)し、「面白半分」に採用が決まっていたのです。 続く・・・・かな?
May 09, 2005
ガンセンターとジョウカイボン
今日はガンセンターに、入院の付き添いに行った。理由はわたしが無職というか、暇だから。
彼は先日家の鉢に芽の出た生姜を植えていった人だ。
近所なので因縁はいろいろあるが、母が乳癌で入院をした時に、お姉さんが乳癌手術をしていたので、いろいろ話を聞けてたすかった。
母の病状が落ち着いた頃、彼はひとこと言った。「姉さん以外、みんな死んじゃったけどな。」
「・・・・・」まあ、昔の手術だからだ。
父の時は連絡係り兼、交代要員になってくれた。両家は、まるで癌が取り持つ仲である。
今回、彼の癌は会社の検診で見つかった。腫瘍マーカーは素晴らしい。非常に初期のものさえ発見できるのだ。
それでも切らなくてはならないらしく、入院の順番を待っていた。そしてキャンセルがあって、そこへ飛び込めたのだ。
仕事で入院の付き添いなんて、山ほどやっていたが今日は少し様子が違った。外来の待合室のとなりが実は今日、入院の人の待合室だった。20人くらいたまっている。
暫くすると、看護士が来て名前を呼ぶ。
十人くらいのグループに分けると、彼女は「じゃ、初めての人!」と手をあげるそぶりをした。
そして手をあげたのがふたり。
どう言ったらいいのだろう。癌はそれほど当たり前だというのと、だからってツアーのように手を上げさせるというのはないだろうというのと複雑な気持ちになった。
二度、三度の入院でよくなる人もいるのだということに、思いをはせられなかったという不覚さもあったが。
病棟に行くと、病室の側の食堂のようなところで、学校の先生が授業をしていた。そこは明るい部屋だった。子供は多く、彼らはみな坊主頭だった。
手術の時間はあさっての9時に決まった。
それだけはっきりしたら、わたしは昨夜の喘息の疲れで30分も入院患者のベッドに寝てしまった。
結局、荷物を持っただけだった。
ガンセンター周辺は、都内で言うと清瀬みたいな感じで、大きな病院がいくつもある。
帰途、少し歩こうと15分くらいで生前、中原中也が入院していた病院に立ち寄った。
勿論、面影などないだろうど。
ごそごそサルトリイバラみたいな芽を撮っていたら、ジョウカイボンみたいなのがいた。よく見るとぜんぜん違って、春のカミキリムシだった。
そういえばジョウカイボンは、賢治にも出てきたっけ。
ベニカミキリ。春のカミキリは、可愛い。吉兆だと思って、帰ってきた。
May 06, 2005
早く起きた。
今朝は早く起きた。四時だった。
セナは散歩に誘うが、無視をして5時まで床の中にいた。
散歩に出る前に、鉢に水をやった。
鉢のなかにゾウムシを発見!しかし水をやってるうちに、ぜいぜいしてきたので、喘息のクスリを飲んでやっとセナとの散歩をすませた。
セナは発情期である。
母がそんな年なのに!と言ったが、明らかに発情期で気が昂ぶっている。
ゾウムシはリンゴコフキゾウムシに似ている。セナの頭の上の暖簾は、手書きの金魚だ。
植物の本を買ってみた。
八坂書房はおもしろい。とくにプリニウスの博物誌を出してから、注目していた。
植物関係の本は花占いなどを除いて、結構「当たり」です。
高額なら平凡社。この出版社は荒俣宏がいたくらいだから、お勧め。
ただし荒俣宏の文章は、好みではない。(きゃー。えらそーっ。)
で、本だが、今まで買った事が無いような高価な本を古本屋で買った。衝動買いというのは、ビンボーな人がするのであって金持ちのソレは、衝動買いとは言わない。
で、当然のようにビンボーなわたしが買った本は、平凡社からでた「植物精選百種図譜」という。
荒俣宏が監修している。
しかも400部しか出ていない。日本に金持ち+衝動買いは400人だろうか?内訳を知りたい。
ところで荒俣さんは昨年、体調もよろしくないという理由、でオークションでグールドなどの絵を数枚売った。売り食いじゃないか・・・ふと、そう思い、かなり哀れに思えた。ところが立ち上げたばかりのオークションで、胴元が良くないので、すぐやめてしまったのだ。
わたしは、6000円のグールドを惜しんで買わなかったから、未だに悔やんでいる。
でも、どうして、こう行く先々に荒俣さんがいるのか?
結構、悔しい。罠にはめられているみたいだ。
彼の本を読んだのは一冊だけで、みすぎよすぎで書かれたような本だった。それなのに、図譜の編集となると「荒俣宏」だ。
まあ、それは日本だけの話で、外国のサイトに行けば、日本のけち臭いサイトより、はるかに立派なボタニカルアートは見られるのだが・・・・・。
でも荒俣さんに、これは、こうよ・・・と言われたくない。そんな気持ちだ。
図譜は自分で読み解きたい。生意気ですが。
*この本を買ったのは友人たちが連休で、沖縄方面に行ってしまった と知ったからです。くやしー。
May 02, 2005
ギョリュウと牧野
去年まったく咲かなかった、ギョリュウが咲いた。向かいのゴルフ練習場が立て壊され、整地されたら周囲のギョリュウの殆どが咲いていることに気がついた。
写真を撮るのは簡単になったけれど、この先切り倒されるのかも知れないと案じている。
二回ほど行って写真を撮った。周囲には他にも、気になっている植物がある。ヤブカンゾウとヒマラヤユキノシタだが、ギョリュウは木だから心配のむきもかなり違う。
写真を整理して、アマゾンに本を頼んでいたら、以前買った牧野富太郎の「植物一日一題」という本がでてきた。
牧野富太郎の昔でたエッセイはみんな読んだが、残念ながら寄付してしまったので、手持ちの著書は少なくなっている。そのうえ記憶はまったくあてにならない。
それでも若いとき読んだ文章の、すごさだけは記憶の底にある。図鑑の文章もだ。
さてギョリュウだ。牧野は「要するにギョリュウは少なくも一樹で二度花が出て、初めの花は去年の枝に咲き、次の花は今年の枝に咲く。ギョリュウを見る人、このイキサツを知つくしていなければギョリュウを談ずる資格はない」と書いている。
そして小石川植物園でのギョリュウの夏の花の観察が、伊藤圭介、賀来飛霞によって描かれ、シーボルトは「フローラヤポニカ」で5月のギョリュウを描いているという。
当時このことを知っていたのは牧野だけだったそうで、学者は物知らずで「この点では天狗よりももっともっと鼻を高しても良いのだと自信する。」と断言している。
そういえば、今年は殆ど咲かないと思ったのは秋だった。冷や汗三斗。ギョリュウは、寛保年間に中国から渡ってきたそうだ。
May 01, 2005
トガクシショウマに会う。
戸隠は学生のときから、四季を通じて行っていた。それがここ数年行かないのは、知人の旅館経営者が倒れたこと。
その後一回行ったら、長野オリンピックで様変わりして連休には大渋滞をするような場所になっていたからだ。
旅館の主は「オリンピックいらない」という候補者を、選挙のとき擁立していた。田舎の子供たちが、排気ガスと車をよけながら学校に行き、遊び場もなくなってしまったことや、生活道路がすみに追いやられていることなどを、コーヒーを飲みつつ、手の空いた夜の時間にわたしたちに話してくれた。「中社から宝光社まで行く道が、何本あるか歩いてごらんなさい」
わたしたちは、先人の歩いた道を歩いた。夜は酒盛りになったが、それは発見に満ちていた。江戸時代の波ひとつないような、灌漑用ため池や水源の絶たれたあとから、昔の村のかたちを少しずつイメージしてみた。
「30才までには戸隠山に登ろうね。」多分、約束を果たしたのはわたしだけだろう。
そして数十人もいた当時の友人たちは、旅行会社や福祉施設にも就職した。みんなそれぞれ家族をかかえながら、遊びに行くと旅館主について連絡しあった。
旅行社で働きつつ、観光地化にギモンを持ち左遷させられたり、ヤマセミをまもる会で活躍したり。
当時トガクシショウマは、合言葉のようだった。森林公園や鬼無里、どこに行ってもないのに。
ロックガーデンの立て札が虚しかった。
それでも行けば、主はその時期の良いところに連れて行ってくれたりした。わたしは、一人で行くことも多かった。
感動的だったのは、アケボノシュスランに会ったときだ。息を呑む美しさだった。名前が自然に出てきた。そしてなぜか主の友人の、谷川雁さんのことが浮かんだ。奥さんがとても植物に詳しいのだと聞いていた。
こんな感動があったら、住み着くよな。黒姫文士村は、いかがわしいと思っていたのに、そういう時だけ共感するのだった。
トガクシショウマは美しい。そう書いてあった本は読んだが、初めて目にした。
届いた昨夜から、カメラを持ち歩いている。