Apr 30, 2005
講談社「山野草大百科」は充実している。
1200種の写真も綺麗。栽培の仕方もあって、¥2857はお安い。山野草はもっと流通が確保されれば、育てたい人も多いと思う。
わたしなどは山野草というだけで、盗掘という言葉しか浮かばなかった。
しかし、最近は普通の花屋でナルコユリを売っていたり、ホームセンターで山芍薬を売っていたりするのだ。盗掘ではない。ちゃんとした生産技術が確保されているのだ。
そんなことで、今や育種をするのも、自然保護につながるのだと思いはじめた。
ちゃんとした生産管理があれば、盗掘も減るだろう。
植物を育てるのは、楽しい。育てながら毛虫に刺されたり、イモムシが蝶に成長する姿を見る。
種を見たり、苗を見たり。一年では育たないことを、知ったりするのは、少しだけ世界が開ける思いだ。
個人的には、種からなるべく育種したいが、今のところクリンソウとスミレくらいしか出来ないのに生意気を言いました。
疲れた・・・・。
ツバキの挿し木の収拾も終わらないのに、春の花や木がきた。家のなかに草がある。やれ、土が足りないの、鉢がたりないのの挙句に、植えきらない草が部屋のなかにあって、部屋の中で水をやっている。いじけてきた苗もあって、わたしもいじけそうな気持ちだ。
今年は、とくに山野草が多い。A山荘のKさんのお陰で、その魔法の指から育った山野草を買えるのだ。
おいしい椎茸まで買える。
わたしは今、身内にガン患者がいるので、トマトときのこを多く摂取するべしといわれて、このおいしい椎茸にラッキーと思った。
ありがたい。
ガンの患者はかなり多く、身辺にいる。温存法をとったものはおらず、みんな切ってしまっている。「ガンに捕われて暮らすのも、人生だけど」Iさんのこの言葉は、かなり説得力がある。
わたしは亡くなったスーザン・ソンタグの「隠喩としての病」を思い出す。病気と闘う精神のありようを、教えてくれた本である。
Apr 28, 2005
ガンセンターに行ったついでに寄った寺
ガンセンターにちょっとした用事で行った帰りに、当地では古いので有名な寺に寄った。実は、わたしの「ひいじいちゃん」は宮司であった。
その神社のルーツともいえる寺がここなのだ。
そうは言っても小学校の時以来行ったことがなく、10年くらい前に骨董市があるという噂を耳にしたくらい疎遠であった。
子供の時の記憶というのは、結構ゆがんでいるかもしれないが、ここの大きなイチョウは有名だった。しかし、こんな大きかっただろうか?解説によると709年に行基が植えたと書いてある。(昭和10年の立て札)
一目で鎌倉の八幡宮のイチョウより、はるかに大きいことはわかるが、かの地のイチョウは教育委員会の手によって年々、古くなっていった。
当初は実朝暗殺事件の時には苗だった計算で、公尭が身を隠すなど考えられなかったのだ。
わたし達はそれを笑っていたが、いつの間にか帳尻があうようになっていた。
ここのイチョウもそんなことはないだろうか?
それはともかく期待もしながったのに、牡丹がみごとだった。
今年わたしが買った色の、牡丹もあってますます楽しみになってきた。
そして帰りには、また「そごう」の園芸店で鉢植えを買ってしまった。
やんぬるかな。
黄色いスミレ
時効になっているはずだが、まだちょっとこだわっていたりする失恋譚があって、何かのはずみでその人物が桐田さんの友人であったことを知った。お互いにびっくりしたはずだが、桐田さんは当然時効のこととして摩訶不思議な人生の邂逅を話したらしい。
一方、わたしは絶句した。寝た子が起きそうになったからだ。
なにしろ打たれ弱いので、執念深いのである。その執念深さが記憶している、彼の山のお土産キバナノコマノツメをアップします。
黄色いスミレは何種もないのです。
すごいことになってるね。(´`)ゞ
昨晩、久しぶりに友人が来た。残業のあとなので結構遅かったが、入ってくるなり「すごいことになってるね」と言われた。
すごいこととは、植木のことだ。
春になったら、さわさわと若葉がのび「すごいことになった」のだ。
まぁ、わたしの想像の範囲内ではあるが、フツーの感覚だと「すごい」のだろう。
緑の要塞。話が飛躍するが昔、行ったトロツキーの博物館も要塞だった。しかし、塀の中が緑なのであった。家は塀の外だ。(爆)
なにしろ塀はすさまじかった。二段くらい高く伸ばしてあって、入り口もチョー狭かった。
無知なわたしは、そこでアンドレ・ブルトンとトロツキーが知人であったことを知った。
スターリンの恐さも少し、わかった。
さて、友人の話である。牡丹の寺の話から、ヤクザと右翼の話になった。北一輝などは右翼とも左翼とも、言いきれないねと話しつつ「さざれ石」のある神社の話になった。「あれ、は礫岩みたいだよね」集まって石になったというより、侵食されて残った感じ。
そして玄洋社から大川周明の話になり、夜は更けていく。
目の赤くなったセナがうろつく。
手を叩くと、必ず左回りをする癖を披露しながら、何度も毛布のところに行こうとする。
写真はサンカヨウの種が出来かけているところ。普通はこんな写真は見られない・・・と思う。
ピエール・ジョセフ・ルドゥーテ Pierre-Joseph Redoute
http://www.shisan.niknak.ne.jp/info/Redoute.html このボタニカル・アートの始祖みたいな人の絵は、いつもバラが注目されるが、ユリ科の花の絵もかなり良いと聞く。わたしはバラにそう、興味があるわけではないが彼の絵を数枚持っている。
しかし先日あらためてアメリカのネットをしらべていたら、バラと違う図譜があった。
おお!と思ってさっそく数枚、購入を依頼した。
届く予定なのは連休中。
楽しみだが、額装を依頼しなかった。悔しいが、それだけで一枚につき2万円かかる。
バラ図譜のようなものは高価なので、周期的に復刻ドットコムなどで再販されたりしているようだが、あわせて高価な美花選とかユリ科の本などはどういう人が買うのだろう。
いずれにせよ、手書きの時代の画はプリントでも高価だ。
でも、日本で買うと、実際に見ながら買える利点はあるが、より高価だというのが今のところの感想だ。