Oct 21, 2021
モディリアーニの風景画
モディリアーニの描いた風景画、
4点残っているって、前にいってたよね。
マンスフィールドさんに紹介してもらおうよ。
いいわよ。
他にちょっと微妙なのもあるの。
と、マンスフィールドさんの声がきこえた。
「トスカーナの小道」(1898年頃)
これは「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」(1990)で、
「リヴォルノ時代の作例がほとんど知られていない
現在では貴重な作品である。」とか、他にも
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ」(2021)
といった図版入りの紹介本にも掲載されている、
作品なんだけど。キャロル・マンの評伝(1980)
では否定的。
「、、、あるいは同じアトリエの誰かの作品で
あるかもしれない。たいていのモディリアーニの
評伝は、この時期の作品について触れていない。
研究家の多くが、初期のモディリアーニの作品は
消失して現存しないと説明するのも、
こうした不確かな作品をモディリアーニ作品集に
掲載することを危ぶんでいるからであろう。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p18)
マンの評伝が書かれた後に、
この作品がモディリアーニが描いたものだって、
確定できる資料がでてきたのか。
わからないんだけどね。
「地中海の風景」(1919)
「イタリア時代を除き、モディリアーニの画業
において確認されている計4点の風景画は、
いずれも南仏で残されているが、
現地に滞在を始めて半年余りを経てからの
ことである。」
(島本英明「もっと知りたいモディリアーニ」p51)
糸杉の形やバランスが面白い。
「二点の油彩には糸杉が描かれているが、
その表現は人物像の表現とよく似ている。
木の葉は細長く伸ばされた卵形をしており、
木の幹はかすかに揺らめく軸線となっている。
斜線がもたらす動感は、ややスーティンに
近いところがあるが、全体に透明な色調や、
画面における表面の仕上げはセザンヌを
思わせる。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p18)
「木と家々」(1919)
「空間表現は、画家にとって
特別な存在であったセザンヌが
意識されているであろう一方で、
表情に富んだ塀や壁は、パリで
親交を結んだモーリス・ユトリロ
による表現を想起させる。」
(島本英明「もっと知りたいモディリアーニ」p50)
「カーニュ風景」
「四点の風景画には人家が
描かれているが、画面を支配するのは
樹木である。この樹木は人物像の
表現にも似ていなくもない。
形態や画面構成にはセザンヌを
思わせるところがある。」
(「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」作品解説p94)
「モディリアーニが珍しく風景画を描いたのは、
ここカーニュにおいてであった。
「僕は風景画を描こうと思っている。
はじめての試みだから初心者の作るものと
変わらないだろうがね。」と彼は
ズボにあてて書いている。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p245)
4つの作品、それぞれ違うようで、
どれにも人家と樹木が描かれてる。
肖像画と同じように垂直線が強調されてることや、
画面の大きさが人物像と同じだということ、
人家が必ず描かれていることなどから、
マンは「おそらく彼は、自然をモチーフと
しながらも、人間の存在を感じさせる要素が
欲しかったに違いない。」って評している。
「風景」(1918)
これは、やはりカーニュで描かれたものだと
思うんだけど、詳細は不明(原題はPaysage(田舎))。
「モディリアーニ展」(2008)で
展示されてた鉛筆によるデッサンで、
カタログには図版だけ掲載されていた。
油彩にした作品は4点だったとしても、
こういう風景のデッサンは他にも
残っているのかもしれない。
荷物を手にもった女の人が
描きこまれてるのが愉しいね。
やっぱり人を参加させたかった(^_^)。
「食品店の女」(1918)
モディリアーニの風景画で
描かれたカーニュには、
たとえばこんな人や、
「パイプを持つ男」(1919)
こんな人たちが暮らしていた。
子供たちの絵も多くはカーニュで
描かれたんだよね。
解説)
今回は風景画です。
図版の色合いも、作品タイトルも、
ときには制作年度の表記も、
書籍や展覧会のカタログ、ネットなどの
掲載媒体によって異なります。
悩ましいところですが、
そこは勢いで。
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