Oct 15, 2021

若い女性の肖像画

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もっともっと
普通の女性の肖像画がみたいなあ。
マンスフィールドさん。

じゃあ今回は若い女性の肖像画ね。


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「クララ」(1915)

モディリアーニが、
彫刻から絵画に転じての翌年。
「ライモンド」や「ピエロ」が
描かれた時期の作品で、
鼻から口元にかけての立体的な描写や、
左右の目の描き分けなどが、共通してる。


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「小さな女中」(1916)

「1916年に描かれたこれらの作品には、
まだ写実的な要素が残っている。
「小さな女中」には、両手を膝の上に
置いた上半身像がある。」
(「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」解説P90)

肖像画を二つ描くことについては、
以下の解説が参考に。

「モデルの個性をできる限り把握しようと
努めたモディリアーニは、しばしば
同じ人物を二度に渡って描いた。
まず上半身をクローズアップした構図で描く。
次に、より大きなサイズのカンヴァスを使って、
同じポーズをとったモデルの足までか、
あるいは全身を描いた。」
(「モディリアーニ展」作品解説P112)


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「ブロンドのレネ」(1916)

モデルがキスリング夫人と同名なので、
混同されることがあるが、別人であると
「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」の
作品解説にある。


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「黒い服の女」(1916)

モデルは不明という。

「瞳は描かれていないが、
アーモンド型の暗い目と、
首、鼻、眉のラインは、
1920年代の流行を先取りしたかの
ような、きわめて洗練された優美なこの女性に
やや尊大な厳格さを与えている。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P184)


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「ストライブブラウスの若い女の子」(1917)

制作年が確認できました。


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「若い女性の肖像」(1918)

目の不思議。

1918年に南仏のニースに滞在して、
友人のシェルバージュ宅で肖像画を描いたとき、
自分が片目で描かれていることに気づいた
シェルバーグが、その理由を尋ねたところ、
モディリアーニは答えたという。

「なぜって、君は片方の目でしか世界を
見ていないからだよ。もう片方は自分自身を
見つめているんだ。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P108)

この作品解説を執筆した
マリー=クリステーヌ・ドクロークは
以下のように続けている。

「このメッセージの意味は明らかだ。というのは、
自身も画家であったシェルヴァージュは、
見る能力と自らを研究する能力を備えた
モデルだったからである。
モディリアーニのモデルたちも、
これと同じ能力を授けられた姿で描かれている。
、、、彫刻家のアンリ・ローランス、
詩人ベアトリス・ヘイスティングス、
詩人レイモン・ラディゲ、画商ポール・ギョーム、
画家で彫刻家のセルソ・ラガール、画材屋で
画家たちの友人であったプートルが挙げられる。
そして、ピエロに扮した自身像において、
モディリアーニは自身の姿も同じ手法で描き出したのだ。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P108)

魅力的な解釈ですが、「能力」とまで
いいきれるのかどうか。
たとえば人物像の不明な
「クララ」(1915)のような肖像画にも、
それは見られます。
ただ、何か特別なシンパシーを感じたときに
暗号のように描き分けていたのかもしれない、
というのは、興味深いテーマかと。


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「青い背景の娘」(1918)

あのひとににている。
ってみんなも思いそう、
って思わせる。

1968年5月のモジリアニ作品展に出展されていた作品。
マンスフィールドさんは、
その頃からモディリアーニを知ってたんだね。
。。。


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「ブロンドの若い娘」(1919)


「モディリアーニの全作品の中で、
明確な基準作となっており、
同時期に描かれた他の肖像画を
評価する際にも基準となっている。」
(「モディリアニ作品展」カタログ作品解説P182)


解説)
作品を選んだ基準は、
年代順と、なるべく
カタログから違うタイプを、
という目安でした。
次回は婦人の肖像画の予定です。
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