May 31, 2006
詩と生活の関係
今日もデイケアに参加してきました。ぼくは詩を書いています。そして、今リハビリ中です。ふたつの関係は、密接に関係するところもあれば、あまり関係ないところもあります。リハビリというのは生活を律するということです。自分が、失敗したり、つまずいたりしながらも、生活をし、活動し、人と付き合うことです。ぼくなりに言い換えると、普通になることであり、普通になるという言い方に抵抗がある方ならば、我に帰るということでもいいと思います。狂気とつきあうことに、エネルギーを割かなければならないというのは、大変、しんどいものです。それを何年間かしてきました。狂気の中にも学びはあります。しかし、それによって、生活は大きく支配されてきました。病気がある程度よくなってきた段階で、でも、それでばっちりということではありません。何年間か自分を見失ってた分のつけがあります。その過程で色々な先鋭な(他と比較してということではなく自分の中で)詩も生まれたわけですが、そして、それには狂気をもみつめようとした気概もあったわけですが、その方法とは違う形で詩を書いていかないといけない。しかも、その方法が見つかっていません。それは普通になるレッスンという迂回路の中で、手にするしかありません。
必ずしも、作品と生活は全部重なるわけではないですが、自分の能力、これは、生活にも詩にも配分されていくわけです。そして、その能力というものは、生きていく事自体の中にあると思います。生きていく中で新たに発見し、それを磨いていくのだと思います。どこかで、詩というものと縁が切れてしまうのではという恐れもないではありません。自分はかつて才能を過信していましたが、それはだいぶ無くなりました。これはあたらしい事態です。これから、自分にとっての詩というものが本当に始まるのではないか、そう予感しています。
今日は職員の方と話せてよかったです。少しだけ、ホンの少しだけ楽になりました。ひとの話がだいぶ耳に入りやすくなってきました。やはり固く狭くなっていたのだと思います。今はきっとつぼみの時期なのです。もちろん、将来については、どうなるか全くわかりません。でも、少しずつ少しずつやっていくしかありません。その都度、その都度確認です。怠けやすいので、職員の方が来てなかったら二週に一回電話をいれるねと云っていました。すこし背中を押してもらうくらいのほうが、プライドは高いが小心者のぼくとしてはちょうどいいかもしれないです。
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