Jun 01, 2006
ライナスの毛布
マンガ「ピーナッツ」には詳しくないのだけれど、今日カウンセリングで、詩について話してるうちに、昔は、愛着のある空気やその匂いを書きとめておかないと、すぐに死が迫ってきて、自分の存在が消えてしまうから、それを残そうとしてハタチ前後に詩を書いていた。という話をしました。つまり、かつては、詩はぼくにとってライナスの毛布だったのだと説明したら、よくわかると先生は言っていました。ネットで解説を読んでたらライナスはすごい哲学者だそうです。あとミッドナイトプレスの詩の教室で、松下育男さんが、「ピーナッツ」に触発された誰かの詩をほめていたのを思い出しました。その後は自分の中の狂気が前景化してきて詩を書いたりして、今は正直、自分にとっての詩というものがわかりません。やっとわからないということが発見できました。たぶんスタートの時点からわからないものだったけど、それに気づいたということでしょうか。それは大いなる虚構かもしれないけれど、大きな力を感じるものでもあります。正直気になることはちょくちょくありますが、病気自体はよくなってきたといわれる中で、知らないうちに課題がクリアされ(先生は子供の成長にたとえていましたが)新しい地平に立っているということでしょうか。詩人の福島敦子さんは、時時記のタイトルを「普通に生きる」としていましたが、その意味が少しわかります。
詩はどんな力を持つでしょう?今の社会では詩はあまり影響力をもちません。たぶんそういう弱さに耐える、あやふやなものに耐えるところに文学の力はあるのではないか。加藤典洋の文芸時評を読んで、そんなことを考えていました。
今日は彼女と「こがんこ」に飲みに行きました。あまりがつがつ食べずにしゃべりを楽しんでいたので、安くうきました。
mixiで、すばらしい言葉や紹介をいただきました。うれしいです。
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