Jun 05, 2008
中国、わからない国
六月四日、偶然にもわたくしが毎日欠かさずにチェックさせていただいている二つのサイトでは、「中国」という共通点があって、改めてさまざまなことを考えさせられました。どうも落ち着かない気持にかられてしまいましたので、ここに整理してみます。 いや、整理されないままのメモですね。ごめんなさい。
まずは、すでに忘れ去られようとしている中国残留孤児のお話です。「半世紀以上前、中国が助けてくれなかったらわたしたちの命はなかった。恩返しをし、日中友好の役目を果たすいい機会ではないか。」と、決して潤沢とはいえない生活事情の中から、多額の寄付を四川大地震救済に投じるというお話がありました。 もう一つは五輪開催中に入国が禁止される六種類の外国人というニュースでした。
○以下6種類の外国人は、五輪開催期間中の入国が禁止される。
1. 中国政府により国外追放処分となり、再入国許可期日に達していない
2. 入国後にテロ・暴力・転覆活動を行う恐れがある
3. 入国後に密輸、麻薬密売、売春行為を行う恐れがある
4. 精神病・ハンセン病・性病・開放性肺結核の伝染病に罹患している
5. 中国滞在中の滞在費を保障できない
6. 入国後、中国国家の安全・利益を脅かすその他活動を行う恐れがある
「人民網日本語版」 2008年06月03日
* * *
こういう難しい問題について書くことは、わたくしの力量を超えていることは、充分に理解しています。それでもやはり書かずにいられないのは、おそらく亡父との忘れ難い思い出があるからでしょう。それは娘が生まれて一年くらい経った頃だったと思います。孫娘に会いに我が家に来た父は、朝ごはんの済んだあとで、小さな娘を膝に乗せてテレビを見ていました。その頃のテレビでは毎日のように「中国残留孤児」の捜索番組が放映されていました。テレビ画面からは必死に親に呼びかける孤児たちの声がありました。その時わたくしは初めて父の涙を見ました。そしてそれ以外では、わたくしは父の涙を生涯見たことがありませんでした。娘は幼かった。ちょうど中国から引揚げてくる頃のわたくしの幼さだったでしょう。わたくしは敗戦後の中国からの引揚者の最年少の年齢ですから、全く記憶はないのです。その頃のわたくしの同じ年頃の孫娘を膝に乗せて、父は泣いていたのでした。
さまざまな苦労はあったにしても、幸運にもわたくしたち一家は誰一人欠けることなく(わたくしは瀕死状態ではありましたが。)帰国できました。満蒙開拓団の人々のご苦労を思うと、申し訳ないと思いました。しかし敗戦後の、まだ父不在のハルビンでは母にも、中国人から「子供を引き取ろうか?」というお話は当然ありました。いくばくかのお金を払ってのお話ですが。しかし母はきっぱりと拒否したそうです。
たとえば幼いわたくしが中国人の子として育ったとしても、わたくしには日本人の父母や姉たちの記憶はまったくないことだったでしょう。しかし、過酷な状況のなかで人間が誤った決断をすることを誰が責められるでしょうか?
でも、わたくしは中国人特有の親子関係の深さを知っています。大半の孤児たちは貧しいながら、養父母の深い愛情を受けて育ったのではないかと思います。そしてもう一つ大事なことは、中国では老いた両親の世話を必ず子供たちはされるのです。ですからここに残留孤児を育てた養父母の深い悲しみが生まれるのです。残留孤児たちは祖国日本に帰りたい。しかし養父母は置き去りにされたのです。山崎豊子の小説「大地の子」の主人公の若者の選択は「日本でも中国でもない。僕は大地の子です。」でした。彼は中国を捨てなかったのです。さわやかな苦渋の決断でしたね。
そして忘れてはならないことは中国の「文化大革命」の折に起こった、残留孤児と、その子を育てた中国人養父母の過酷な仕打ちです。
さて、もう一点です、オリンピック開催期間中に、中国が出した「外国人の入国条件」の基準のあまりの酷さです。これでは大方の外国人が当てはまることにはなるのではないだろうか?人間というもので組織されている国でありながら、国となった場合にはここまでできる。「家族」と「国家」がこれほどにかけ離れたものであったのかと呆然としてしまいました。ここがわたくしのもう一つの祖国です。
忘れないうちにと、急いで書きましたので、間違いがあるかもしれません。お気づきの点がありましたら、どうぞご指摘をお願いいたします。
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