Jun 16, 2008

金毘羅      笙野頼子

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 まず先に言っておきます。笙野頼子は大変に優れた作家でしょう。しかしどのように優れた小説であっても、わたくしはほとほと読むのに疲れました。これはデフォルメされた作家自身の自伝小説かもしれません。そこからは非常な生きにくさを生まれながらに抱いていた女の子、そして女性であるが故の生きがたさも見えてきます。

 まずは、生れ落ちた瞬間に死亡してしまった赤ん坊(それが女の子だった。)の肉体に宿り、主人公は自分の正体を知らないまま、人間の女性として生きてきてしまったというのです。もともとは「金毘羅である私」が、「金毘羅」を取り戻すまでの長い長い言葉との闘いだったように思いました。

 笙野頼子のこれまでの人生は、古い因習を引きずっている「日本神道」に対して、土俗的な、あるいは習合的な「金毘羅」を拠り所として、みずからを救い出すことだったのだろうか?作者は「金毘羅」を、天皇系の神に対する「カウンター神」と定義づけ、「神仏習合」として反権力の集合体と考える。

 しかしこうして四十数歳の女性作家「笙野頼子」はどうやら「自己肯定」まで登りつめる。しかしその先にはまだまだ尾根は続くだろう。女性故の「生きがたさ」は一体どこまで続くのだろうか?彼女のエネルギーに驚嘆するばかりだった。言葉が武器のようでした。

(二〇〇四年・集英社刊)


 *  *  *


わたしが生まれたときに
一人の男の子が死んだの。

「海をへだてて 遠くにいても
 君のいのちが消えかかるときには
 かならず僕は君のなかで息づくよ。」と言ったの。

夕方の海辺に佇むと
その時かわされた不可解な約束が
解ける日がくるような気がするのよ
これはわたしの独りごとよ。

かもめが飛んでいるわね。
公園には鳩もいて
小さな影が動いているわ。
わたしは木陰のベンチで
影をなくして海をみていた。

   (自作詩「海の駅から」より抜粋。)
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