May 19, 2008

小川洋子対話集

sibazakuta

 対話は総計九回、対話者は総計十二名、初出雑誌もさまざまで、語りおろしも収録されています。対話者もさまざまな分野に及び、話題は広範囲なものとなっていますので、少し散漫な印象は否めませんが、しかし「小川」のごとく目に見えない細い底流がかすかに聴こえてくるような対談でした。小川洋子のフツー的(?)感受性、少女性、しかし世界を彼女なりに捉えることのできる視線・・・・・・これらは現代女性作家のなかで、むしろ特異な存在であるように思えます。対話のテーマがすべて「言葉」であることに統一されています。


 【田辺聖子】 言葉は滅びない

 八十歳を迎えられた田辺聖子は「全集」を刊行されたばかりの時期にあたる。小川洋子にとっては、まさに田辺は先達者となるのでしょう。お二人が共に少女期に夢みたことは小説のなかで成長し結実させる、この共通項があったように思います。言葉は実るもの。そして伝えるもの。その言葉への信頼が生き生きと語られていました。


 【岸本佐知子】 妄想と言葉

 岸本佐知子は英米文学の翻訳家、エッセイスト。小川洋子と同世代であることからか、会話が女子大生のように楽しくリズミカルだった。翻訳というものは、作家が書き上げたものの源泉をもう一度捜すことから始まる。そこから辿りはじめて翻訳者は作家への、美しい共鳴音になること。魅力的で困難な仕事だと、つくづく思う。単純に外国語が出来るというだけではない、作家以上の洞察力が必要なようだ。


 【李昴&藤井省三】 言葉の海

 李昴(リー・アン)は現代台湾を代表するフェミニズム作家。
 藤井省三は東大文学部教授、中国、台湾、香港の現代文学専攻。

 李昴の海、小川洋子の海、この二つで一つの海の違いが語られる。李昴の子供時代には、中国と台湾との緊張関係が厳しく、海は彼女にとっては「戒厳令」の代名詞のようなものだった。小川洋子の海は、幼児期の瀬戸内海の小さなおだやかな海だった。この「海」に象徴されるように、二人の女性作家が背負わされた時代、国家、女性の立ち位置など、すべてが異なる。これを繋いでゆくものも、やはり「言葉」でしかないように、藤井省三の力を借りながら、二人は語りあった。


 【ジャクリーヌ・ファン・マールセン】 アンネ・フランクと言葉

 ジャクリーヌ・ファン・マールセンは、隠れ家に入ってしまうまでのアンネ・フランクの少女期の友人であり、その思い出を本にまとめています。彼女によれば、それはアンネがまだ「言葉を綴る。」ことを意識する以前の少女にすぎないのです。ジャクリーヌが知っているアンネはそれだけだったのでした。成長した作家アンネには再び会うことはできなかったということです。


 【レベッカ・ブラウン&柴田元幸】 言葉を紡いで

 レベッカ・ブラウンはシアトル在住の作家。柴田元幸はアメリカ文学の翻訳家であり、小川洋子の作品の英訳を手掛けた最初の翻訳者ともなる。柴田はいわば「架け橋」の役割を担っていることになります。この翻訳者は肩の力の抜き方のうまい人ではないだろうか?レベッカ・ブラウンの人間性ではなく、紙の上に書かれた言葉を追いかける形で翻訳する。翻訳しながら作者に意味を問わない。あるいは小川洋子作品が柴田の翻訳によって、削ぎ落とされたもの、付加されたものに当人が驚くという意外性。岸本佐知子の対話と重ねて考えると、翻訳者の対照的な姿勢が見えてくるように思いました。


 【佐野元春】 言葉をさがして

 佐野元春とはミュージシャンらしい。知らない人。ごめんね。パス。


 【江夏豊】 伝説の背番号「28」と言葉

 小川洋子の小説「博士の愛した数式」に登場する実在のヒーロー(野球選手)である。背番号「28」は「完全数」なのだった、とはご本人はご存知なかった(^^)。


 【清水哲男】 数学、野球、そして言葉

 清水哲男だけは、わたくしが唯一出会い、お話をしている方という「贔屓目」で読んでしまう危険は大きいなぁ、とは思いますが、その分を冷徹に(笑)差し引いてみても、やはり清水哲男の対話には、おだやかな流れがみえます。まさに「清水」と「小川」の言葉の自然体の合流でした。共通の話題はもちろん野球でしたが、「数学者は詩人である。」ということがよく理解できます。


 【五木寛之】 生きる言葉

 現代の自殺者の急増、それが数値で表されたところで、その実体は見えない。さらに無差別の殺人、子供や老人への虐待などなど、豊かに見える社会ではありながら「いのち」がこれほどに軽い時代は、かつてなかっただろうと思う。五木寛之はこれに心を痛めつつ、自らの「老い」がその実情を嘆いているのか?と自問する。しかしそうではない。あらためて「いのち」の重さを考え直す時なのですね。
 「生」と「死」との境界線は、簡単に越えられないものであるという根本的なことが忘れられているのではないだろうか?まずは生きてゆくための言葉が必要なのでしょう。陳腐だと思われる「人間」「愛」「友情」・・・・・・それらの言葉を、もう一度雪ぎ直すこと、こんな対話だったように思います。

 (二〇〇七年・幻冬社刊)
Posted at 03:24 in book | WriteBacks (4) | Edit
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言葉と数学

■というわけで、要領を覚えて、書き込みが楽になりました。

高田さんの街は、サイバー空間の中でも目立つ存在なのかもしれませんね。ぼくのところのスパムは、管理者対応で十分いける程度のものです。

4月から二足のわらじを履いているんですが、どうにか慣れてきて、ひとさまのブログにも書き込める余裕が出てきました。

柴田元幸が最近、英訳もするのは知っていましたが、小川洋子さんの作品もしているんですね。英訳は、和訳とまるきり勝手が違うので、柴田さんは、相当なお人だと思いますね。ぼくも少し経験がありますが、英訳と和訳では天と地ほどの違いがあります。英語の世界を自由に泳げないといい英訳はできません。それには、英語の言語ゲームを具体的な場面で、体で、感覚で、知っていないとできません。それだけに奥が深く魅力的な世界だとは言えますね。

岸本佐知子は若手翻訳家ではナンバーワンだと言う翻訳家もいます。実は、ぼくはまだ、岸本さんの翻訳を読んでいないんですが、一度は読んでおかなくちゃな、と改めて思いました。

ところで、数学者は詩人だというのは、名言ですね。数学は、人間が作り出した言語の中でももっとも美しいものの一つなんじゃないでしょうか。ぼくは、数学オンチですが、ときたま、一般向け数学書を衝動買いします。
先日は、大枚はたいて、放送大学のDVD付きの『数学再入門』なる本を買ってしまいました。

Posted by 冬月 at 2008/05/20 (Tue) 22:51:55

英訳と和訳

冬月さん。コメントをありがとうございます。
「二足のわらじ」って、英語とドイツ語ということですか?

柴田さん、岸本さんのところを読みながら、ふと冬月さんが頭をよぎりましたよ。翻訳ってとっても大変な仕事、しかも英訳と和訳との両立は素人のわたくしでさえ、その困難さは想像できます。柴田さんはイギリスの雑誌からの依頼で小川さんの短編を訳したそうです。

わたくしは数学&物理の教師の娘でした。出来の悪い子。でも最期をちゃんと看取ったから、おりこうさんと天国で誉めてくれるとおもうわ(^^)。

Posted by あきこ at 2008/05/21 (Wed) 14:46:50

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■詳しくはブログを見ていただくとして。早朝から昼間は翻訳、夕方から中高生に英語と国語を教えています。刺激的ですが、身体的にきついですね。諸般の事情とはいえ。

Posted by 冬月 at 2008/05/21 (Wed) 23:58:32

拝読しました。
「翻訳」のお仕事を大切に思うあなたの姿勢がうかがえます。でも「教える」こともいいかげんにできないあなたでしょうからね。

どうぞ、お体に気をつけてくださいね。

Posted by あきこ at 2008/05/22 (Thu) 15:33:50
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