Nov 15, 2005
脱力の人 正津勉
(↑この写真、本文と関係あるのかいな???)
この著書は、天野忠、和田久太郎、尾形亀之助、淵上毛銭、鈴木しず子、辻まこと、つげ義春の七人について作品を引用しながら、その人となりを書かれたものです。大変なはにかみやさんで、あるいは著者ご本人も「脱力の人」かもしれないと思われる詩人正津勉氏が、楽しく魅力的に書いていらして、読み手を引いてゆく力が充分にあった一冊だったと思います。わたくしは総括的に物事を書く力はありませんので、それぞれ七人の方々について書いてゆきます。
【天野忠】
わたくしは京都の詩人天野忠は、本当は「怒りの詩人」なのではないかと思っています。どんなに「脱力」の振りをしても、その言葉の背後にあるものは「怒り」です。そうでなければ「米」などという作品は生まれなかったと思うからです。
また、江戸っ子気質の学匠詩人西脇順三郎を京都に迎え、南禅寺を訪れた折に、天野忠が語ったと言われる「庭は便所の窓からみるのがよろしいな。庭が油断してますさかいに。」は、どこかの本で読んで忘れずにいた言葉でした。正津勉氏にも記憶に深く残っていたのでしょう。これは天野忠の「いけず」でしょう。この言葉は実に面白い。天野ファンとしては彼を筆頭に挙げて下さっただけで嬉しい。
【和田久太郎】
大杉栄等とともに、アナキスト活動に参加。性病と不幸な恋、そして獄中生活、「死刑」を望んだにも関わらず「無期懲役」という生き地獄の日々の果てに縊死した俳人である。享年三五歳であった。和田久太郎に関しての著書はほとんど読んでいませんでしたが、気になる存在ではありました。和田久太郎を一茶と結びつけたこともとても納得のいくものでした。
最近のわたくしには、それほど深い理解をしているわけではないのですが「アナキスト」という言葉が奇妙になつかしいのは何故だろう?和田久太郎については、もう少し別の本も読んでみたい気持になりました。獄中からの書簡が禁じられ、さらに本の差し入れも禁じられた獄中生活のなかの和田をもう少し知りたいと思います。もっとこのことに早く気付くべきだったと残念に思う。これから先どのくらい読めるかどうかわからないし、わたくし自身に残された時間も少ない。
月も照らせこれも浮世の一世帯 和田久太郎
【尾形亀之助】
最初に言っておきますが、わたくしはこの詩人が嫌いです。下記の言葉に出合ったのはこの本が初めてのことではないのですが、これは「脱力」ではないでしょう。尾形亀之助の生き方をよしと思うほどに、わたくし自身は壊れることはできないのです。それでもこのわたくしに尾形亀之助を必死に理解させようとした友人もいらっしゃいましたが、やはり納得できない。作品を読んで魅力的だとも思わなかった。作品が魅力的ならどのような生き方でもいいのですよ。
『・・・・・・働かなければ食へないなどとそんなことばかり言ってゐる石頭があったら、その男の前で「それはこんなことか」と餓死をしてしまってみせることもよいではないか。』(無形国へ)
【淵上毛銭】
淵上毛銭は結核からカリエスへと苦しい病床のなかで、作品のほとんどを書いたようです。墓碑銘は表に「病床詩雷淵上毛銭の墓」とあり、裏には「生きた。臥た、書いた」とあるそうです。さらに付け加えるならば「恋した」となるのでは?この壮絶な闘病生活の最終期に生まれた作品は、まさに「脱力」のようです。
死算
じつは
大きな声では云へないが
過去の長さと
未来の長さとは
同じなんだ
死んでごらん
よくわかる。
しかし、俳句はこうなります。「賃借りの片道さえも十万億土」。また、病気の初期にはこのような詩も書かれていました。彼は病床にいながらも、いや病床だからこそ常に恋をしていたようですね。
抱擁
愛してゐるのだと
その胸にとびこんで
だからそのあたりを
むしって食べながら
こんなに 愛してゐると
言ってゐるぢゃないか
椿の花がむかふに
見えてゐた
【鈴木しず子】
この俳人については、わたくしは、アンソロジー「愛の詩を読む」を始める頃に、あるフリーの編集者の方から初めて教えていただきました。その後でネットで正津勉さんのお書きになった一文に出会いました。女優のように美しい彼女は、少女期には太宰治を愛し、専門学校卒業後には製図工として働き、恋愛、婚約、婚約者の戦死を経ながらも、俳句を手放すことはなかった。また新しい恋のあとで、職場の上司との結婚もしたが、離婚。そこから彼女は全く違う人生を生きることになった。ダンサー、そして米兵のオンリー、その米兵の死、そうした日々のなかでさえ彼女の絶えることのない句作を見守りつづけた師がいました。彼女の二冊の句集はその師の尽力によって出版されていますが、爆発的に売れたそうです。しかし彼女は二冊目の句集出版祝賀会の後で、消息を絶ちました。
美しく、謎めいた鈴木しず子と、その大胆な作品は、世間の好奇の目にさらされながらも、彼女は真剣にその運命を生き抜いたのだと、わたくしは思います。
好きなものは玻璃薔薇雨指春雷
実石榴のかっと割れたる情痴かな
雪はげし妻たりし頃みごもりしこと
薔薇白く国際愛を得て棲めり
遊び女としてのたつきや黄水仙
【辻まこと】
一人づつ書いてゆくのが面倒になってきましたので、「この人は知らないよー。」と書いて逃げようと思っていましたが、なんとも面白い方だった。彼の父親は辻潤、母親は伊藤野枝、父親は放浪の果てに、誰にも看取られることなく虱に食われて死んでいた。つまり餓死である。母親は家族を捨てて大杉栄のもとに走り、挙句共に虐殺されている。つまり辻まことにはほとんど家庭生活というものはなかったようだ。
『存在はいずれ両親の横っつらを張り倒さなければならない。100%信ずべきことなど信じない勇気を持つべきだ。』
この辻まことの言葉はすごい。いい言葉だ。わたくしも人の子の親だ。奥歯噛み締めて子供から張り倒されてもいいなぁなどと思う。張り倒せる子であって欲しいよ。
しかも、もっと驚いたことは、辻まことは前記したわたくしの嫌いな「尾形亀之助」の超愛読者だったのです。戦地に赴く際にも彼の本を持参していました。尾形亀之助、辻の父親が「餓死」という最期をとげたことの共通性、さらに辻の父親も尾形亀之助の愛読者だったのですね。その父親の所蔵していた本を、息子の辻まことが読んだようです。わたくしはもう泣き出したくなる。
【つげ義春】
わたしは漫画家というものは皆目わからない。「つげ義春」は名前しか知らなかったのです。一冊も読んでいないので、正津勉氏の書かれたことの半分も理解できませんでした。ただ「無能の人」には興味を持ちました。これこそ「脱力の人」ではないかと。。。
さて、七人について書いてみましたが、この七人を「脱力の人」として括るのは、なんだか無理があるように思えます。どうしてもこの「脱力」という共通性を見出すことはわたしにはできなかったのです。正津さん、ごめんなさい。この七人は正津勉氏の青春時代に、少なからず影響を及ぼした人々であり、そこに正津氏の内面の共通性などがあったのでしょうか?また正津氏の大学時代から深い親交のあった詩人清水昶氏の存在も案外に大きかったようですね。共に「赤面症」という点においても。。。清水昶氏は「脱力の人」ではなかったのかなぁ?
(2005年8月・河出書房新社)
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