Jul 31, 2005
『どんな目に遭ってもいい』
二〇〇四年十二月、詩人石垣りんさんは、心不全のため八十四歳で逝去されました。二〇〇五年五月に「現代詩手帳特集版・石垣りん」が出版されました。当然ながら、石垣りんさんはわたしの「大切な詩人」の一人でした。あらためてこの特集号を読みましたが、そのなかで「天声人語」のかつての執筆者である栗田宣氏の追悼文に立ち止まりました。栗田氏は石垣りんさんの詩を愛し、「天声人語」に引用しながらも、石垣りんさんにお目にかかることをこわがっていらしたようです。
しかし幸いにも新聞社に石垣りんさんが訪問される機会に恵まれて、お話をなさったそうです。その時栗田氏は石垣さんに「なぜ詩を書くのか。」と問うたようです。その石垣りんさんの答えは、大変わたしには鮮烈でした。そしてそれはとてもあたりまえなことなのだとも思いました。
「長いこと働いてきて、人のしたで、言われたことしかしてこなくてね。でも、ある時点から自分の言葉が欲しかったんじゃないかな。何にも言えないけれど、これを言うときはどんな目に遭ってもいいって」
栗田氏はこの言葉に対して「私などは生涯吐かないし吐けない」と書いていらっしゃいますが、わたしはこの詩作者の決意はまっすぐに同感できました。それは卑屈さの匂う言葉ではなく、「個」として立つための清潔な言葉の響きでした。
石垣りんさんの詩を何年もの間、繰り返し読んできました。そしてわたしの生きた時間のなかで共振できる詩はわずかづつ違ってゆきました。今、わたしの心をとらえているのは「島」という詩です。その最終連はこう書かれています。
姿見の中でじっと見つめる
私――はるかな島。
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