鑽火を切るみたいな拍音がひとつ。ふたつ。断崖に似た沈黙をはさんで、またひとつ。晴天に鳴る神の、太鼓が轟く。雨も風もまだ無い。遠くから思い起こされる金木犀の匂いのように笙が吹かれ、三つ四つと笙はかさなって、やがて十の楽人が吹子みたいにおびただしい呉竹の銀線を響かせる。美しい耳鳴りのように。くぐもりの衣をかずきながらはつかに匂い立つけんらんたる暗闇。退屈ということの目も綾な鈍色。吹き渡しの龍笛が神話の燕の速度で交叉する。一転、二転、七転と。谷底の明るく枯れた林に隠れた箏の琴が、今ではもう解読できない文字の書かれた竹翰みたいに明快な謎のグリッサンドで応える。それも一瞬で応える。次第に庭園の小径は曲がりくねって行き、意を決したように圧し出される初めての篳篥。太鼓が加わり、鉦が滴さながらに点綴し、無弦の琵琶がはげしく掻き鳴らされて、篳篥も十人、前後し、揺れながら、果てしない覚醒に酩酊しつつ、舞楽は進む。絶え間ない光と雨のふりそそぎを浴びながら、自らは陰になり、白樺になり、金繍の枯葉に照り、男になり、女になり、父祖になり、緬羊となり、蜥蜴となって、吹き渡しは森を圧倒し、マングローブや菩提樹の透き間からきらびやかな普賢を載せた白象が出現する。酔うように揺れながら、微笑して、恐るべき智慧として、膨大な風の、渦巻きの中心として。吹き渡しの龍笛が、また、転がる。転がって、せせらぎのふちを行き、箏の琴の明るい虚無に行き当たり、日差しを受け、陰ろって、楽人は去り際に、鑽火の拍ひとつを切る。ふたつを切る。沈黙の後、やがて聴衆にやって来る、ほんとうの沈黙。
*依拠した楽曲は、武満徹作曲『秋庭歌一具』。
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