旅人のまえには港湾と岸壁と、それから視野の異様に大きな部分を占める夕空を後ろにした、暗赤色の建造物の蹲りがある。秋の午後五時、太陽は海と反対の方角に沈もうとしている。どこやらで、桃林の疎らな枝の影をくぐる水牛の唸りを聞くような心地がして。「日没には、はっきり区別できる二つの段階がある。初めのうち、太陽は建築家だ。これに続く少しのあいだ(太陽の光線が屈折しており、直接射しても来ないあいだ)だけ、太陽は画家になる。」「白昼の光は遠近感のある眺望の敵であるが、昼と夜のあいだには、幻想的な、そして、束の間の生命しかもたない構築物のための場が存在するのである。夜の闇と共に、すべては再び、見事に彩られた日本の玩具のように平たいものになってしまう。」*船と港とは、うごくもの・うごかざるものという理由によって本質的には異なるものではない。船が港に向かってうごくのと同時に、港は船に向かってうごくのではないか。船が港への航路を逸れるなら、それはむしろ港が船を見失うことを意味するのではないか。いま、旅人の立つ、遠近のナトリウム光、対岸の高層建築灯火群、無線が飛び、仄かなあるいは鼓膜をふるわす霧笛からなる岸壁は、騒ぐ海を腹に打たせながら、形のないガレー船みたいに蹌々と、もっと大きな無時間の海に漕ぎいでて航海しつづけている。海面は碧から群青へ、さらに空を映して銀紫色に変じ、ふいに空を見れば、驚くほど細密な金雲のおびただしい連なりが、亡んだ太古の海獣を覆う鱗のような、あばらのような対称性をもって夕空の半分を輝かせ、没して行く日のうえに擦(こす)れるみたいに残余する片雲の刳型(の記憶)は、さらに堪えがたいほど白熱し、滴って燃え切れるかと思う瞬間、空全体がすでに鈍く暗くなっていることに気づく。海に眼を戻せば藹々としてさらに暗く、岸壁の蹲り、残光に満ちた西の空に暗赤色の煉瓦で出来た蹲りがその三角屋根の輪郭を刃物のように鋭く立たせている。ここにはたしかに音楽があるのだ。煉瓦の堅牢な構造と、構造に開けられた窓という招き、その煌めきに装飾された堂宇という音楽。このときうごかない煉瓦のうちに、うごきつづける船と海、夕ぐれの海と空、空の荘厳が反復される。夕映えはますます激しく夕映えて、どこか高いところから、見えない金属の落下する音が響き……。桃林に立ち、水牛を追いながら、あの人はみんなに向いて言ったのだ。《「人々にはことごとく光明が存在する。人がまさにそれを看ている同じときに、人はまさにそれを見ていない。この暗昏々たるもの。けれど人々にまぎれもなく光明の存在すること、この事実を君たちは何とする」。それを聞いて黙ってしまったみんなに代わり、あの人はこう言った。「僧堂・仏殿・厨庫・山門」。》**堂宇は人に拠り、人は堂宇に拠るけれど、それらを輝かす光明は無のなかにしか存在しない。ますます濃密な西日を背に、煉瓦・三角屋根・龕・シャンデリアからなる微光明は、白檀・麝香・薫陸・沈香を供す壇に置かれた、蹲る香炉のように匂いだす。秋の魔声(サイレン)をかさねながら。***
*クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳)より。
**道元『正法眼蔵』第十五「光明」中の「圜悟頌古六十則」による。
***横浜・赤レンガ倉庫には香の売場がある。
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