喜びの島    ーー四国五十一番札所・石手寺にて
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喜びの島    ーー四国五十一番札所・石手寺にて



 世界全体が斜めになって何も見えなくなり、霧のような雨粒が止んで急に静かになると、光がたちこめる丸窓のそと、はるか眼下には神々が嬉遊する雲の峰と、頭上にはほんとうは人がそこにいるべきでない青さを湛えた空がひろがっている。眼を瞑ること数瞬、気がつくと微細なさざなみを満たした晴れた海、また、白い泡立ちによって明晰にふちどられた陸地の曲線が近づいてくる。一枚の島へ、旅人を乗せた大鳥(エアバス)は飛来した。還るために、往くために、地上にわずかに貌を覗かせた、八十八の永劫という名の悲しみ(トリステ)のひとつに逢うために、旅人は門をくぐる。白衣曳杖の、老若の、業病・健常の、男女が行き交う屋根が覆う暗い参道は、梵字を売り経を売り、線香や花を売る店々の昼の時間で、ラジオのツィゴイネルワイゼンと梵鐘の音と猫の鳴き声とが入り交じり、多宝塔や不動尊が牙をむく祠、華麗な洞窟によって刳り貫かれた岩山がこのサンクチュアリを荘厳している。一山の青空は高いけれど同時にそれは、一山が波もて結われた蓬莱島のごときそそり立ちであることを意味している。「命のきはに、言ふことも」1ない旅人たちのために、あの人は言ったのだ。「けれども、さらにまた、スブーティよ、実に、どのような地方でも、この経が説かれる地方は、神々と人間とアスラたちを含む世が供養すべきこととなるだろう。その地方は右廻りに礼拝されることとなるだろう。その地方は塔廟にもひとしいものとなるだろう。」2その島に行くにはたやすく、下天の五十昼夜をその島で夢のように過ごすに易く、ふたたび行くに「青山を枯(カラ)山なす泣き枯し、海河は悉(スデ)に泣き乾(ホ)す」3までにこがれても難い、絶対の海深を渡らなくてはならない、その島……。その島が人間を、何事かの喩みたいな、翳に似たものへ変成(へんじょう)させながら、旅人たちのまえに露頭している。動き、変転し、朽ちてまた生起するものは実は空間のほうなのだ。時間の推移と見えていたのはほんとうは空間の推移であり、ゆえに恋いこがれてかなわぬものが不意の出来事として、人に、時として現前することがあるのは、空間のなかに無時間という名の時間が真空のように立つからだ。ゆえに「スブーティよ、如来というのは、これは、生ずることはないという存在の本質の異名なのだ。スブーティよ、如来というのは、これは、存在の断絶の異名なのだ。スブーティよ、如来というのは、これは、究極的に不生であるということの異名なのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、生ずることがないというのが最高の真理だからだ」4。老若の、白衣曳杖の、うつくしい男女らのおびただしい悩みの跫音が行き交う、その喜びの島で。

1折口信夫『海やまのあひだ』大正十二年の部「供養塔」の一首。元の形は「ひそかなる心をもりて をはりけむ。  命のきはに、言ふこともなく」。 
2『金剛般若経』(岩波文庫/中村元・紀野一義訳校注)より。
3『古事記』上つ巻より。読みは折口信夫に拠る。
4前出『金剛般若経』より。この部分は後生の附会という。


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