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 辻に立つと旅人は賭博者と落ち合う。二人以上集まれば饗宴がはじまる。すなわち、赫々たる炎にくべられる香木としての世界、その現成としての賭博という。飛来する鴉は三本目の木にとまるかとまらないか。角を曲がって現れる信号は赤か青か。庭に入っていった猫は庭から出てくるかこないか。颱風は半日後、半島を越えるか越えていないか。いっぽうの現実が現れれば、もうかたほうは須臾のうちに非現実となる。賭博者たちは喩を生きる。現れた現実は現れなかった非現実によって言祝がれ、食され、かつ非現実ときわめて似通った薪となって、次なる宴に向かい準備されるのだ。三本目の木にとまる鴉、信号の青、庭から出てこない猫と半島の彼方に去った颱風は、実現しなかったもののいちじるしい意味をなすのだが、それはこの、凍った宝石みたいな色をした夏空のしたで生起するもののすべてが、すべて生起しなかったことの言祝ぎである証なのだろうか。ナポリ沖の貧しい島の郵便配達夫は、この波も、この雲も、風の音、星の揺らぎも、何かの意味をなし、何かの喩たりうると、亡命してきた詩人に教えられたが、ではそれらすべてから成るこの世界というものそのものは、何かの喩であるのか、と反問した。故郷を失った詩人は答えられず、杯を挙げ、飲もう、ともかく泳ごう、と言った。*ワインの赤を透かして地中海の夏の光は砕け散り、時間という存在の矛盾がヘリオトロープのようにたかく匂い立つ……「たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。」「かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。」**古代インドの犀利な武具、転法輪に粉々にされた世界の噴霧のうちに、極小の円相の菩薩たちが賽の目となって「一、六、三とぞ現じたる。」***

*映画『イル・ポスティーノ』による。
**『正法眼蔵』第一「現成公案」より。
***『梁塵秘抄』より。


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