秋草文壺
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秋草文壺



きらめくような冬の光の降りそそぎのなかに君はいた
きょうはことさらに気分がいいのか
車椅子を押してきたナースになにか言っているが私には聞きとれない
妻と私が目を凝らしても、そのメーカーの紋章がよくわからない、
南の日を受けた壁際の黒いデジタルピアノのまえに座らせてもらって蓋を開け
君は何回も何回も、いつまでも、飽くことなく
ほそくわななきながら転回し、緊張し、解決する、祈りのような和声をそっと弾奏した

展示室は、闇は感じさせないが明るくもない、十一月の
淡い影のなかで、その一角だけが感官のかかわりを絶った冷気に沈んでいた
釉薬が玉のように垂れた大壺の肩口から底部にかけて
濃いみどりいろの野が、聾唖の音楽みたいな奥行きをもって拡がり
蜻蛉や蝶が前(さき)の世の楽しさを伝えるように舞って、ひどく懐かしい
線刻されたすすきや柳や蔓草のおどろは壺面いっぱいを満たす風におののいているが
壺の内側に納められていたという、白い骨片の数々から抜け出した
平安人のたましいの安寧をむしろ現(うつ)すものではなかったか

あれから君をその部屋で見たことがあったか、なかったか
冬が終わり、また次の冬を越えて私にははっきり判ることがある
おそらく君はもういない、そして私は君を忘れない
あのとき、鍵盤にうつむいたわずかに染めた長い髪、無慈悲なまでに透明なうなじは
たぶん烈しい恩寵の光のただなかにあったのだ、妻と私をうしろにして
君はみずからの永遠の姿を、祈念(プレイ)することによって演奏(プレイ)した
私は君を忘れない、もろともの高さの外へ、やがて私も失われる日が来るまでは

海の方に灯がにじみ、閉館時間が近づくまで、大壺から離れられない
壺面の野原ではますます風が吹きつのり、篠の音さえ聞こえてきそうだ
すずむしとなった少女が折れ乱れるすすきの陰で
たとえようもなくちいさな化身をささげつくしてれうれうと鳴いている
緑釉の夜も昼も、幾千の払暁と夕映えの空もはるかにこえて
私は耳をそばだてる、透きとおって、涼しくて、暗い、その壺のなかの声を
吹きすさぶようにこの秋に満ちている、寂寥という名の招きの風を
君や私の火が、あくがれはてるというのでは、ないけれど

山陵はざわめきゆれ 百圍(ももかか)えの大木の竅(あな)という穴 鼻に似たる
 口に似たる 耳に似たる 枅(ますがた)に似たる 圏(さかずき)に似たる 臼
に似たる 深きくぼみに似たる 浅きくぼみに似たる 風はたぎつ水の音 矢走る音
 叱する音 いき吸う音 叫ぶ音 声あげてなく音 くぐもれる音 遠ほえる音 前
なるものは于(ふう)と唱え あとなるものは禺(ごう)と唱える 冷風はさやかに
和し 飄風は大きく鳴りひびく どよもす風が吹き過ぎたあとは あらゆる竅がひそ
やかとなる 見たまえ 樹々は調々とゆらぎ 木末は刀々(ちょうちょう)としてそ
よぐを
                                      
   (『荘子』斉物論篇より。福永光司訳による)

*国宝秋草文壺(あきくさもんこ)は馬車道の神奈川県立歴史博物館で開催の「かながわ考古展」に11月9日まで展示公開されたもので、川崎市南加瀬の平安鎌倉期の古墳から出土した骨壺という。『荘子』の引用には代用字がある。


   ゆぎょう六号より


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