7・13
「日記次元の――」という或るひくいポテンシャルが想定できそうだ。しかし、それは決して書かれない。
「書きえない――」ということではないのだとおもう。書かれないまま、それは停滞している。停滞してはいるがそれはいまのままの私の、きわめて鈍重に刻限をきざみつつある実体であり、総量であることは疑いを容れない。
ふと気づいたことだが、私はさいきん、だんだん暗い方へ貌をむけてゆく。もしかしたら或る「恢復」への合図(サイン)であるかも知れない。まなざしの前方が暗く吸い込まれてゆくようにではなく、或る鮮明な物質として暗がりを直視したいのだ。
書くことは行為に似ている。行為が思うことの範囲をそのつど、常にこえるか、かぎってしまうように、常に書くことは「それ」以上かそれ以下だ。しかし決定的なことは、行為とことなり、書くことが自らを「かんがえてしまう」ということだとおもう。行為は自らを修正できる。だが書くことはその修正の可能性のなかにあって、悪無限的に自らの無修正の線を引かなければならない。
善−悪の対立とか意志や倫理、これらのものはすでに聞かれなくなって久しい(こんなことは恥ずかしくて本当には云えないことなのだが)。それらの書割はべつに消滅した訣ではない。まるで同じ構図のまま退きながら、至近の位置で反吐をはかされる。わるいことに、もしこれが粗雑な映画の試写会のようなものならば、私もまたその一観客であるということだ。
『初期歌謡論』を読んでいる。読んでいて、五、六年前の折口信夫の読書会の「感じ」に接続する不思議な雰囲気に駆られる。まわりは変わっているのに、ひもといてみるとおなじ切り口を見せつけられる。ひとつ気がつくことは、記憶として残っている吉本文の断片が「断片」としてよみがえるのではなく、そのモチーフ(群)が私の感覚を刺激しているという信憑だ。
特筆することの何もない一日、つまり私は「完全」な休日を持ったということであろう。「不動のものの周りに/正確に 輪をちぢめる虫たち」(安東次男)
わりあいに嫌悪することの尠い日、または、あまり強くはないが「好もしい」印象が壊れないで続いているような日にはものを書くことに抵抗をおぼえる。
今日のように、たとえば湿度が低く空が晴れあがっているというような天候の下でじぶんを自意識するということは、どんな理由をもっているのか。恥ずかしいはなしだが、こんな日のとくに午後、私はじぶんを幸福だとおもってしまう。それもある亀裂から覗いてみた青空の切り口のように。こんな日(仮定だが)ひととものをしゃべるのは苦痛だ。
7・14
「旅中吟」と仮に名づけた行分け詩のなかに「雨」の要素をもっと強調したいような気がする。ほんのときたまあらわれた沛然たる雨の、曲線としか云いようのない軌跡の見えにくさと明るさを確定したいような気がする。
仕事で小倉にまる三日ほどいたあいだ、仕事することは嫌だったが、飯を喰ったり宿屋で急いで風呂に入ったり、薬屋で絆創膏を買ったりするおりのこころの内側はたしかに暗いものではなかった。ただ云えることは、決して暗くはないその街の印象は或る抵抗感のたまものだ(ほかの場所でそんな経験が私にあるというのではないが)。「気やすい」のではなく、ある感性的な範疇で「ちゃんと話せば」はなしが通じるという程のことだ。対して京都や大坂では、こちらで云う「ちゃんと話す」という「様式」がどうも気にくわないらしい。私の方でも、どうも良く判らない。
7・15
造成地というのは一種の砂漠だ。そこに家が建ち、ひとが住むようになれば「ベッド・タウン」となるが、もともとは「廃棄」された土地なのだとおもう。一杯の水を求めることにさえ数百メートルの水道管を土中に新設しなければならない。
7・16
このごろ、午後に入ってからしばらくすると、猛烈な睡魔におそわれる。すこし緊張が続いたりすると、帰りの電車の座席でその「ツケ」がまわってきたりする。理由は強いて考えない。何にでもむすびつけられるのだから――。
今夜は涼しい。毛布をしっかりと身体に巻きつけて寝よう。その余のことを省略して。
7・17
藤井貞和『古日本文学発生論』を読み、吉本隆明『初期歌謡論』を読みおわりかけている。後者は雑誌連載中にコピーをとりながら読んだもの。両方とも、しかし私には辛い本だ。両者とも、詩の現今の有り様を強烈に見据えることで書かれたものであるからだ。
7・20
昼間、恵比寿から中目黒までを歩く。途中の、いないと思っていた友人は、やっぱり不在だ。環六の近道にあたる幹線道路の途中のマンションで防火訓練をやっていた。梯子の先端でながいあいだ、ひとがもつれあっていた。
7・21
石川淳『江戸文學掌記』を読みおわりかけている。「遊民」から「長嘯子雑記」にかけて、序章から終章へ、と言う見立てで読むことができる。面白いのは、この文章の傾向が、しつように「大物」を排していることである。というよりは「無名」性の「無名」たる所以を篤くかつむごく闡明してゆくところに彼の「書物」の成立を見るべきか。読みすすめてながく、はじめて突きあたる「大物」が、終章「長嘯子」だ。私も名前ぐらいは知っている。行実も辞書をあされば判明するだろう。しかし何を残したか、ではなく何をやってしまったかということが、つまり長嘯子その人が意外な「作品」であったという匿れた文脈が、芭蕉をとび越して其角、暁台をとび越して也有、京伝の晩年の沈潜といった記述のつみかさなりのうえに確然と差し出されているのを私たちはみとめざるを得ない。
7・22
梅雨は明けたというそうだ。夜に入って夥しく虫が入り込んでくる。私の周りに這い寄ってくる虫のいちいちを潰す。もしくは蚊取り線香でころす。諾否を問うまもない。周囲一メートルのうちがわに虫の絶滅があればよいのだ。そんなことにはとんちゃくせず、虫は狂ったように私の茶碗、私のグラスにとび込んで、「慣れよ」とばかり絶命をつづける。
7・23
安東次男『芭蕉七部集評釈』を読みはじめる。「続――」の方は新刊本屋で買って読んだが、これはなかなかみあたらない。水道橋の古本屋でみつけて衝動買いに近い形で買ってしまう。ちなみに定価より千円程高くなっていた。まあ、これは徒に本屋を儲けさせることを代償とした、作家への挨拶のようなものである。読者の側にもまた「劇」がある。この人の「作品」にはときとして反撥をおぼえさせるところがあるが、それが決して嫌悪と結びつかない点に書き手じしんが占めている位置の、独特なものがあるような気がする。とりわけて「好き」というのではない。彼が書く「もの」ないし「こと」の独自の抵抗感にきりむすぶかたちで「高いなあ」とおもいながらとっさに買いとってしまう。むろんたかが千円内外の出来事ではある。千円で一杯のコーヒーを飲むようなものである。
7・24
夜に入って雨。ときおり止みながら深更に到ってかみなりの音。これから梅雨が明けてゆくのだと思う。梅雨が完了したか否かは感情がきめるのであって、天気図をせんさくするのとはおのずから別の統覚がはたらく。暑いから夏なのではない。「夏」だから暑いのだ。或る見えない地点を経過して、私の挙手投足が次第に夏のものとなってゆく。ある秋にむかう姿勢で、木偶のようにうごき始めている四肢。
文机や七月の雨やみがたく
雷鳴の後の雨脚しげき哉
雷鳴の野のたひらぎやいなびかり
チェンバロの欣然としてになひけり
野を一ツ過ぎてけうとき雷(らい)をきく
7・25
会社のソファのうえで午後を眠りとおす。真実の睡眠におちたのは三十分程かとおもう。その間、かなり長大な夢を見ていたが大方は忘れてしまった。その枠組みだけを整理してみる。
ひとつは「下水道人」だか何だか知れぬが、とにかく同業者の家に、誰かについて招かれて来訪している、ということ。東京近郊だがへんぴなイメージ。木造、モルタルぬり長屋のなかに割られた一世帯。
ふたつには、連れてきた「誰か」に(よく知っている)帰り道を教えて、高速道路の立体交叉のような場所のものすごい急坂を走りぬけるということ。相手のおどろき。
第三に、連れてゆかれたその家は出産という祝いのさなかであるということ。「私」はその家の小学生ぐらいの男の子と別室で遊んでいたりしている。
第四。いっしょに連れてゆかれたのは「私」ばかりでなく、不意にAが同道している。彼は非常に楽しげな風だがそれは彼の子供ができたせいだ。そこがあいまいであるからもう子供が産まれたのかと聞くとこれから産まれるのだという。なまえは「はる」、男の子らしい。
第五。その家の物干し台のところに何かを捕らえるための器具が設置してある。丁字形をした右端の方の先端にあさぎ色の袋様のものがとりつけてあり、また両側に黒い椀型のものもとりつけてある。すべて手許で操作できるがやたらにばたばたと動くばかりで、それが捕捉のどんな機能をもつものなのか全く判らない。判らないまま惰性のように動かすうちに、ようやく「動き」ははげしさを増してきてとつぜん反対左側の端に網状の袋が音をたてて(?)垂れさがり上下に揺れる。それは何も捕捉することをしないのだが、虚空ではげしく動きつづける抵抗感でもって虚空の或るたしかな実在に触れている。
7・26
『芭蕉七部集評釈』、ほとんどくるしみながら読んでいるといってよいのだが、面白いことにかわりはない。作者は詩のことを思いひそめる一方、却って散文と戦闘している。そのために、たたかわれるべき散文の印象がその文章じたいにまといついたような弛緩した数ページを潜りぬけたり、詩にかんするメッセージが棒切れのように突きだされたままになっている乱暴な数行に耐えたりして、前へ前へとあたらしいページを繰ってゆかなければならない。じぶんはまるで無意味なことをしているのではないか、と思うときたま、出合う「数語」でもってなお「前方」へとせきたてられてしまう。これは読んで満ち足りたり安寧を得る文章ではなく、読めばますます渇きをおぼえる質のものだ。読み方がわるいのか、わるいことには違いない。しかし片方で、かかる読み方を強いるかかる文章がある。
夜、風呂を上がってビールを飲んでいるときに、友人の来訪、という事態に見舞われる。そこで気づいたことだが、どうも私はすっかりくつろいでいるさなかに人と会ったり話したりする事が苦手になってきているらしい。そしてどういう訳なのだろうか、このHというふるい友人にかんして、感情の(ごく小さな)部分を壊しながらでなくては喋れないという奇妙なじぶんの傾向にも気がつく。
7・27
テレビで、フェリーニの『道』をみる。ジュリエッタ・マシーナ演ずるところの数か所の場面で不覚にも目頭を熱くする。筋道(ストーリー)のしからしむるところでそうなるのではない。この映画のもつ「世界」の雰囲気がときどき避けることのできない遣り方でそういう「場面」を結露させるのだ。たとえばいくつかのシーンで「ジェルソミーナ」にまといついて離れぬ「子供」という「世界」は、ひとつひとつの場面の終わりごとにふかく切断させられている。「サーカス団」との別れ、またいくぶん「はみだした」気味を持つ「尼僧」との別れを下に敷いた「綱渡り師」の若い死が、この切断を同質のいっそう深い色合いで見せているはずだ。
7・28
たぶん書くことが億劫なのではない。何であれ、書くということにまつわる「駆り立てるもの」がひどくけうとい存在なのだ。けれどけうといだけで一人の人間の実在を抹消することができないように、そしてそいつとつき合ってゆかねばならないように、書くことを停止することは、へんにむずかしい。止めることも勇気ならば止めないことも勇気にちがいない。両者ともあえて暴挙というべきか。
造成地は泥の海だ。私にはよく理解することのできぬ或る冷えた情熱がたしかにここにはそそがれている。手近な例で、安東次男氏の筆法をもってしていえば、「一企業体の能くなしうるところではない」。むかしから同一性を繰り延べつづける或る奇妙な自然観がそうさせている、と考えてしまいたくなる。自然観を殺すのもまた自然観に他ならない。
7・29
人はみんなどこかしら「変」な部分を持っている。どう「変」なのかと反問されると困るのだが、そこには、小出しに出していってなしくずしにされた奇蹟、といった側面がある。
7・30
夜の道路は距離を感じさせる、昼の道路が時間を感じさせるのとは反対に。それでいて、前者から見た光景のほうがいっそう深いのだ。「目的地」が近ければ近いほどこの感じ方がきわだってみえる。
ねむるべき時間をすぎてもはたらきつづけているとき、私の中のいちばん親昵な部分が他人の口吻をまねてひっきりなしにしゃべりかけてくる――ような気がする。それが却って他の人間の現実の声を、内部からする呼び声のように聞き取らせてしまう。
7・31
今日「児童文学研究者」というものがテレビの画面でケストナーのことを話していた。例示して映された本がどうも小学校の図書室などに(必ず)一、二冊は備えられていたのと同じものであるらしいことにあとで気がつく。そこにはある独特な匂いがあって、それはたとえば「学校」の中でも保健室とか林間学校(私は行ったことはないが)とか、朝の体操とか、いわば「課外」の時間に共通する匂いだ。いまも決して好きになれないが、それらの本の印象――私には図書室の棚に並んだ背表紙の題字とむすびついている――をわりあいに、忘れていないのは、案外、熱心に読んでいた一時期があったためではないかと考えている。それにしても本棚をよこに眺めていって『点子ちゃんとアントン』というところにくると、いっきょにポテンシャルが落ち込むという経験はかなりありありと記憶している。
8・1
「造成地」のマンホール内で作業中、「ちいさな」止水栓が破裂する。それでも耳のうちがわで巨大な梵鐘を一度、まともに撞かれたようなあんばいだ。右から左へ(ちょうどそういうふうに顔を向けていたので)ひかりを浴びたような感じになる。爾来、いまに到るまで数時間、顔の左半分はなみだと鼻水をすこしずつ垂れ流して止まない。ぶん殴られたあととそっくりなのがあまり笑えないが可笑しい。べつに泣き言を言おうとしているのではない。アクシデントというものがその深浅はあれ、つねに発生している日常なのだ。それを普通だとは考えないが、同時に異状をも覚えない「時間」が確かにあるということだ。
8・2
灰うちたゝくうるめ一枚 凡兆
この「うるめ」は実にうまそうにみえる。句の前後にはさまれているせいか。句を作った当人はどうであれ、読む方にかすかに「飢餓」の感情をさえわたらせる働きをもっている。
8・4
昨日一日の記事を欠く。今日は本屋めぐり、「配達」にかこつけて、新宿、大久保、高円寺とわたりあるく。「本」をもとめて。おりから雨。沢山の小銭をもてあます。べつべつの場所で『ハイウェイ・スター』(大友克洋)、『近世の村』を買う。
8・5
『近世の村』を読みおわる。著者木村礎。「行政単位」としての村と、「共同体」としての村と。「側面」をもちだしてきたり「機能」があったりしたのでは、この両者をなかなかむすびつけることはできまい。私には後者――「共同体」――の側からの視点に深い関心がある。
8・6
『オルレアンのうわさ』を深切な関心をもって読みはじめる。もしかしたらそこに「童謡」(わざうた)の流行していた様相をみることができるかも知れないから。だがいまのところ「関心」はそれ以上のものへと高められてはいない。社会現象のなかに折りにふれて古代があらわれるというばかりでなく、その古代のなかにも確実な現象として社会は現存していたのだ。集団心理という概念そのものがきわめて曖昧な「概念」なのだが、心理が深層心理と殆ど等価でむすびつけられ、現代と古代とが喚び合う地点は、この本の論旨とはもう少しべつの「場所」にもとめられるべきなのではないか。
8・7
『オルレアンのうわさ』を読みおわりかける。後半に収められている声明(ステートメント)類や似たような出来事の記録の例示等によって、事態の像はかえってくっきりとしたかたちで浮かびあがる――ただし陰画(ネガ)の明晰さでもってであるが。それはまだ概念を与えられていない。報告書はそこに「仮」の概念を与えることによって、事態のあくまでも運動的な特徴を私たちにむかって表そうとしている。記述のつみかさなりによってある全体像がもたらされる、といった文章では決してない。一本調子な事実報告の重複のうちにふいに報告書の「観点」といったものが躍如として述べられる(ここには、協力者のうちで大きな存在であったと思われるベルナール某の批判的な「観点」がむけられている)。
人はオルレアンの事件を偶然の出来ごとと受けとめることもできる。これは偶然のことなのだ。だがすべてのことを一瞬にして明らかならしめてしまう。(……)私たち自身についていえば、この私たちの生活している現代社会をその発展において理解する。つまり、今なおアルカイスムの残留物を含むひとつの社会としてでなく、新しいアルカイスムをつねにひきおこしていく社会として、合理的な説明のなかに組み入れてしまおうと神話を追っている社会としてでなく、新しい神話と新しい非合理的なものを生み出しつつある社会として、さまざまな問題や人間性(人類)の危機を決定的な仕方でのりこえてゆく社会としてでなく、新しい問題と新しい危機をはらんでいく社会として理解する。オルレアンの事件は現代社会のなかでの、中世の後遺症とか陰画といったものでなく、現代における中世(Moyen Age moderne)のひとつのあらわれなのだ。(152頁―153頁)
8・8
云いあらわすことのできないもどかしさ。しかし一方ですべての人に表してゆきたい真理と、すべての人の眼から匿しておきたい「真理」とがある。後者について云えばそれは「匿れた」真実ではない、「匿す」ことによってはじめて真実そのものの運動をおこすような一真実であるのだ。
8・10
「読書ノート」なるものをつけ始める。「読む」体験と活きて直接にはたらく「体験」とのあいだに存する一種の「空間」に気がつく。一回目は橋本進吉の『古代国語の音韻に就いて』。いくつかの要旨の部分を書き写すにあたって、何故か少年時代の「夏休み」の感触がたちあらわれてくる。この筆記がたとえば知識のための索引や備忘録のようなものにおち入ることを恐れる。かつまたこのことがどこまで私の濫読――数多く読むというのではなく少しも系統立っていないという意味での――に耐震するか。試みて、そのゆくすえを見てみたい部分もあるのだ。
8・11
今日、渋谷駅でマンガ雑誌を拾ってよむ。鏡とゴミ箱とが一体となっている設置物の上に置かれていたものだ。こういう場合にいつも感じることだが、拾った「物」とその周囲の人間たちに非常な抵抗感を覚える。拾った「物」のうちになにかしら捨てた者の個性的な刻印、たとえば爪の跡とか折り目とか、一部分破られたページ、正体不明性の濡れたページ等々をみるときにおおくこの「抵抗」は膨張してゆくようだ。じっさいにページを披いて人の粘液を見てしまうような最悪の場合をのぞいて、ことはもっぱら、実際の汚濁とは異なる或る観念的な、「見えない」汚濁とかかわっている。極端に短絡すれば「ひとの目」が気にかかるのもそのことに根ざしているのだ(――けれど、私たちが駅で拾うのは大抵、さらの、買われて一時間もたたない「本」であるのだが)。これを「捨てる」ものが私であるとしよう。誰の眼にもつく場所に「捨てた」ばあい、私には――それが私の意志とは関係なく――誰かが確実に「拾う」であろうという実感がある。いわば「行市に瓦を投げる」とか「未必の故意」とかの都会特有のアトモスフェアからなるさまざまな連想に誘われるのだが、注意していいことは、それがたしかな現存の認証のもとで行われることではないということだ。わりあいにふるい(?)時期にたてられたマンションとか、大きな団地などのエレベーターの内部にさまざまな形で圧しつけられる煙草の燃えさしの跡や、また電話ボックス、地下道にある日恬然と置かれている劇毒入りの甘味類の存在は、あるサインへの欲求とも、サインそのものの拒否ともうけとれる。都会の(運動ではなく)その分泌といえるだろう。
8・12
おととしの秋に詠み棄てておいた「短歌」の幾つかに気になって仕様のないものがある。死んだ児の年を数えてみたいのだ。「定型」であるからそれが許されるという云い方よりも、許されていいのはそれが「歌」であるからだ、という云い方を私ならば択ぶ。いやしくも「歌」という形をとる以上、書いているうちは三十一文字のことなど念頭の外にある。詩ならばそうはゆかない。「歌」はいま「屋内」で書かれたり破られたりつぎはぎされる。詩はいま密閉された場所で書かれたうえで、同時に気狂いのようになって「屋外」を遊行(ゆうこう)している。それは必ずしも詩という形をとっていない。また必ずしも顕在してはいないと思う。以下、この改案はうまくゆくか。
1.ラジオより洩れ来るものか幻聴を精しく聴けり恋唄のごと(1978・10・7)
2.ラジオより洩れ来るものかさなきだにひと恋ほしとやはやり歌きく
3.ラジオより聴く一株のまぼろしの蘭の花割れてしかすがに濃き
8・15
「谷川健一」―『鍛冶屋の母』を読んだ。問題意識を俎上に据える以前の、或る圧倒的な報告書、という印象が、前著『青銅の神の足跡』にひきつづいて抱かされる。この人の魅力は、なにものかに憑きうごかされる部位を絶えず失わずにいる叙述自体の初原性にもとめられるだろう。否、叙述からうかがわれる「無為」ではげしい実行動のなかにもとめられる。解明されるべき対象を、それ以前にはからずもつきぬけてしまう、といった場面を、この本でも、前著でも、私たちは少なからず経験する。この人も、またおだやかではない。じつのところ、『鍛冶屋の母』で私は説話のテーマの発展や消長をみたかったのだが、それは見事にうらぎられた。ここで説話性のようなものは匂いほどにも問題にされていない。むしろスタンダールのように、物語外的なものが重要視されている。
8・16
『苗字の歴史』(豊田武)を読んでいる。野に在る、ということの意味が「歴史」と無関係にみえて実はそうではない、ぶあつい現存であることが資料類の迫力を通して思い知らされる。しかしこの「迫力」は、事実の重厚な積み重ねに起因するものであると同時に、事実の厖大な未整理状態――錯綜そのものに起因していると云えなくもない。「姓名」の動き方はじつは歴史の動き方と同じように、私たちにむかって決して透明にはならない部分を含んでいる。たとえば往昔はいまの常識をはるかに越えて、人が遠隔をてもなく行き来したことが明らかにされている。しかしこの伝統社会の内部を好むと好まざるとにかかわらず、てもなく縦横断していった人々のぬきがたい「本貫」意識をどう解すればいいのか。「家の系図」なるものの大部分があやしげなものだということが、却って「本貫」意識がいかに普遍的であるかという「事実」を指し示している。ここであらわれてくるのは「事実」自体の迫力でなく、「事実」が含んでいる――そして執拗に繰りかえされる――非現実の迫真性だ。或いは人は「姓名」というものをそのように(非現実の部分を含みながらのものとして)解して自らを名乗ったのかも知れない。他方、この本を読んで感じられたことは「地方」の鬱勃たるエネルギーと云うべきものだ。任意の歴史的事件を演劇と見立てれば、「中央」は舞台を合わせたひとつの劇場であるが、「地方」はその劇の公演を可能にさせる必要条件――あつまって見る観客や、劇場設備、それに投与される資財、それを可能にする隠然たる根拠と、または「制作」に専従する黒子たち――の役割を果たしている。それらが中央の舞台に自ら登場することはないが、そしらぬ顔で一票を投じ、かつ一札を入れさせている。
8・18
今日、三戸街道を北上して石岡へゆく。むろん仕事でだ。地名も地勢も、この幹線道路からする眼にはつぎつぎに移り過ぎてゆく記号のような存在として傍受されるにすぎない。地方から地方、地域から地域、さらにその内側の集落から集落へと隣接されてゆく「運動」のうちに、物質の交換にも似たおもくて遅い「内容」物を認めるべきなら、幹線道路はそこをつらぬく一本の真空にたとえることができる。出発点と目的地との間にはさまれる「過程」で出合うさまざまなものは完全に無性格である。少なくとも幹線道路の属性がそうさせている。この充分に非人間の匂いのする幹線をすこしはずれれば、またちがった(性格の)人間が匂ってくるのではないか。しかし私は黙って行き来しながら、あたかも「ラング」のように地勢や地名の瞬間の切れ端を助手席にいて貪る。そいつらは大小も深浅もないのだ。帰宅して、寝る間際にあわい残骸のようなものが漂う。今日、上下した「街道」の曲線だ。
8・19
きっかいなことに、私はじぶんが現在借りている部屋に満足といっていいほどのものを覚えている。部屋というより環境というべきか、しかしそう言ったところで何程も言いあらわしたことにはならない。この間の事情を、もっと細しく、実感的に述べれば、私はまず第一に、ここに「愛着」を感じたことはない。第二に「庭」に似て非なるものがあるということ。私が引っ越して来る以前はどうやら「庭」であったらしいが、この二年間、私の眼のまえで、当初の「庭」らしき原形はみるまに、ここいら一帯の住宅街にとり残された一点の「ジャングル」に変貌して来ている。この放恣なありさまを、たとえ借りものとしてにせよ、「庭先」に見ることは決してわるい気分ではない。むろん私がそこに手を加えようなどとは思いもよらないことだ。第三に、たとえばここで私が「蚊遣りを焚いてとびらを開け放つ」ことをひそかに特権的な行為だと思ううらはらに、ここに在る時間が非常に具体性のうすいものだという感覚は殆ど確信に近い。「具体的」にいつひっくり返されるかも判らぬ、いわばアジールなのだ。到る処に他人を何げなく傷つける「無意識」を待機させている――。
8・21
このごろ、帰りしな、戸口へ曲がる暗い場所で、きまってしたたかな花の匂いに襲われる。たいていは日が落ちて空気が夜の湿りけを有ちはじめる時分からそのことに気づく。いちめんに匂うというのではない。ある決まった「曲がり角」の小区画で匂いはいきなり濃密になり、続く数瞬間で確実なあしどりのように消滅する。戸口に着いたときには一箇所脱けおちた「色環」に似た不完全な感覚を抱かされる。だいたいの当たりはついている。ここのところつぎつぎに凋れたり咲いたりしてなかなかおとろえを見せない大きなオシロイバナの株が傍らにあるのだ。しかしそれをたしかめた訣ではない。今夜、風呂へ行く出ばなにその小花弁をとらまえて鼻にあてたとき、うかつなことだが「オシロイバナ」が芳香をもつ「花」であることをはじめて知った。この「匂い」は香水の原料にふさわしい揮発性を欠いている。私が傍らに在るフィジカルな「花」と、何かくらやみを思わせる「匂い」との間に、なかなか連絡をつけられなかった――というより断定をさし控えた――のは、この「匂い」が葛の花のそれに酷似していたからである。「それ」はほとんど「花」ともいえず「匂い」ともいうべからざる代物ではなかったか。ここで私はたしかに何かを忘れているようだ。
8・21
男たちはいっせいに食い物へ奔る。メニュー。「サラダ菜のうえにハム入り炒り卵をのせたもの」、「アラハマチ塩焼き大根下ろしの添えもの」(狂言の外題みたいだ)、「大根下ろし付きサツマ揚げゴボウ入り」(既製)、「大根下ろし付き鰯一塩」(六匹)――「サラダ菜のうえにハム入り炒り卵をのせたもの」ふたたび、さいごは「しいたけ雑炊」。以上名づけてはみたものの人に喰わせてどうか、ということになると判らない。「サラダ菜云々」ではビール、以下は球磨焼酎。もって瞑するか。
8・22
明日からはたぶん数日間、「ここ」での記事を欠く。「旅行」に出るからだ。とはいえ得体の知れない憂鬱な気持ちにつつまれる。「一週間」に満たない休日が、何に代えてもうずめられぬ空白を、私にむかって象徴しているような気がする。絵日記のように、それを独力で塗り潰してゆかなくてはならない――。まえまえからわかっているのに、いざ眼のまえに来るとそれはいつでも「突然の」休暇だ。
8・29
旅行をおわる。名古屋、四日市とまわって、土肥に到る。帰途、三島まで行くバスの中でねむりに襲われる。めざめたときに、バスは狩野川沿いに走っており、川べりは暮れかけていた。しばらく景色を眺めて気がついてみると、由来の判らない火のような憂鬱のただ中に落ち入っている。しかしその感情は徐々に、ちょうど覚醒に対応して淡くなってゆくように思われた。まちなかに入るにしたがって暗い一角がつきくずされてゆく。
8・31
終日、決して透明にならない空を見続ける。雨が降ってくるというのでもない。夕刻、どこかみえない場所での日没によって、窓や庭先からみる「全景」がまるでクレヨン画のような「赤色」に染められる。光はどこからもやって来ない。ただ、すべてが「それ自体」で発光している。眼の識知としてでなく心の識知として、どこか白夜を思わせる数刻だ。
9・1
一週間弱の空白をおいて埴谷雄高『内界の青い花』を読みおわる。「表題」どおりの感触をもって読みえたのは結局、今回読みおえた部分「以前」の前半部である。げんみつに云えば「表題作」と、前後する数篇(――なかんづく「潔癖症」について)に非常に好もしい印象を有つ。ここには或る「書き方」の原型が触知される。というよりも或る「在り方」がはるかな像をむすんだかたちで想起される。冒頭、表題作の一文は鮮明である。
9・2
ひるのあいだ、いわば曇天の見せかけのなかに光が推移する。それは私の内にとめどない継続の感覚を押して流れる。雨は降らないだろう……というつよい予定が、風や路面に、毛筆で擦りつけられた色彩のような実在感を付属している。ときおり空の一隅が、透度とも冷気ともつかない視覚像で私たちの地平に迫る。しかしそれでも現実の雨は降らない。雲が払拭されることもないのだ。殆ど夕暮れちかく奇妙な形が空の中央にあらわれる(さいしょ、浮き出たレリーフ状のものとして感得されたそれが、深い雲の裂け目であると認めるまでに私はいま、ここに「書く」という作業を必要としている)。ひとつの合図のように、風や気温の逆転……のような事態が夜にむかって沸きおこる。つまり日没が始まったのだ。私たちは決して焼き付けられないネガの流動をみることになる。いわば「晴天」の見せかけがこの世界の一隅の、特定の時間のなかに満たされる。その部分を残して他の世界は夜になる。当初、私たちの真昼間の眼に現実ならざるものと映った「かたち」は夜にもなお、或る非現実のかたちとして空に滞留する。むしばまれたものとして。
9・3
おそらく、大部分の人たちが感じるのと同じ感覚でもってこの夏を過ごしているのだと思う。四季から夏を区別するために、私たちはそれほど多くの努力をじぶんの生活から割いていない。「夏」という概念にたいしてはむろん惜しみなく費用や労力をつやすとしても。「夏」が来なければ店終いする。私に即して云えば、そんなものはどうでもよい。すごしやすく、また、愉しいこともたいしてなかったいつもの八月である。
9・6
書こうとすると何も思いうかばない。日録のような記憶ばかりが並列的に頭蓋を通り過ぎてゆく。ゆうべは外泊。今夜、短い雨の後、深更に至ってもむしあつい。姿の見えない虫がしきりに窓ガラスに衝きあたる。何となく「面白くない」雰囲気がたち込めている。
9・9
高速道路の下をはしる街道の、幅ひろい中央分離帯を形づくっている植物群に、スプリンクラーがいちめんに水を撒いていた。曇天の下で見るそれの印象は殆ど揮発的なものを含んでいない。しぶきは空中になじまず、そのまま落ちてきて冷たい路面のうえに水溜まりをつくる。空気の流れの関係で、どうかすると車の中にその「はね」がとび込んでくる。そして決して乾かない汗の感触が皮膚にしるされる……。
9・10
断続的な雨。しかしなまやさしいものではない。降らぬ間はすっかり忘失しているが、降る段になるとすべてを閉ざしてしまう。そういう質だ。いよいよ烈しくなってきたところではじめて私は「雨!」と頭を挙げて、それを記憶する。零時を過ぎてやや気温あがる。雨もいまは小康している。
9・11
昨日にひき続く天候。猛烈な湿気。昼間の空は、遠くの颱風を映写機で実況しているかのような迫真的な雲塊の移動を容れている。地上の雨や風とは不思議に無関係だ。しかしおそらくは、それらの断続的な雨や風、また日のひかりでさえも、はげしく屈折して地上にとどいているのだ。そしてとどけられたものだけが私たちの周りで現実となる。零時半をすぎる頃から再び降雨。部屋と外を区切るもののあらゆる隙間から「水」がとび込んで来るように思う。真に徹底的な土砂降りと言って良い。波状をなす。
9・13
外泊する。昨日、今日と雨の痕跡をとどめない。夜遅く帰還。気温は上がったままであるが、湿度のめざましい低下がいくぶんか意識を「脅しつけて」いる。昼のあいだ、二日酔いのあたまでずっと青空を感じつづける。まるで擦りつけられたような高層雲を遍在させている高度に襲われる(しかしこの「めまい」は地上的なものだ。常に空を意識するということは、この自分を客観的に見ようとする欲求にもとづいている。欲求はふたたびじぶんに還流してくるのだが)。
9・15
まる三日間晴れ。窓や戸を開け放って寝る。目覚ましを十五分すすめる。灯りを小さくすると、いくぶんか虫の襲来がおさまる。しかし蚊遣りは絶やさない。明け方にひどい目にあうから――。
9・16
私に、もしも実体と名づけうる部域があるのなら、それは外に出ようと欲求している。むしろ、外に出ることで実体であろうと欲する何ものかが存在している。連想。どこをつついてもとうてい一般性をもちえず、かつまた現世に置けばただちに「一般的」な判断の何れかのカテゴリーに必ず収容されてしまうであろう個的なある種の確信がある。それを信憑と言っては全く適切でない。敢えて言うならば、それは私という全体の、あるいちじるしい傾きと考える他ない。私という個体が「収容」を拒むように、私の個体によく似たその観念も、それぞれ最奥の場所ながら「収容」を拒否している。
9・18
仕事の帰り、夜、隅田川を渡る。直前に「業平橋/錦糸町」「言問橋/日本橋」という道標のプレートがあって、いつものとおり後者の道路を択ぶ。ときならず奇妙に感じられたのは以下の印象だ。つまり「いまじぶんが見ている光景から一千年前のおなじ場所のありさまを思いうかべることはとても出来ないが、いま見ている光景がある時点の一千年後の光景であるということは疑いない。それはさまざまな[比定]の如何にかかわらない、不気味な確実性をもっている……」と。
9・19
神話が私たちを撃つのは、ほんとうはその初原性に依ってではない。私たちにもし、初原という概念がゆるされているとして、神話が私たちにもたらすものは、それの、さいしょの破綻である。神話というのはじつに注意ぶかい眼をひとつ持っているのだ。それ以前からの隔絶として、何気なくとりあげた歯ブラシ一本からでさえ、世界の崩壊が準備され、それ以後の記憶となる。
9・21
なか二日おいて二晩、酒宴をひらく。それも、詰まったスケジュールのうちの一項なのだ。明日、あさって、ようやく休息の日となる。十七、二十日、じつに久しぶりの酒席らしい酒席。つまりみんな退屈しているのだ。じぶんの現今の生活に、現実的に「満足していない」からなのではない。ただ何となく「事」に飢えている。それがときどき露出する。「現場」をよく記憶していないぐらいは飲むが、翌日の朝日に立ちむかうだけの元気はある。
9・22
完全な休日。煙草がきれるまで一歩もドアの外に出かけない。軽いけれども執拗な咳につきまとわれる。起きているときよりも、身体が水平になる就寝の状態のときの方がひどくなるように感じられる。午後一時頃に起きて、三時過ぎからまた夕寝をする。近所の大工仕事(?)の槌の音が「就眠時イマージュ」のなかで私の咳き込みと対応している。しかし睡眠という行為がこんなにも厭世的におもわれてしまうのは何故か。夕刻にかけて寝ること、それはひとつの欲求に根ざしているはずであるけれども、とても自然な欲求とは云えない。眠りが、すこしも快いものだとは感じられないのだ。
9・23
コイン・ランドリーに洗い物をあずけて、超過すること一時間余、ちょうど放映されていた、武満徹の『秋庭歌一具』というものをきく。ほとんど昏睡しながら。眼をあけて。
9・24
昨日の「秋庭歌一具」について面白かったのは、「秋庭歌」の平行した題名として在る「in an autumn garden」という英語が非常に鮮明な印象を与えたことだ。何か、私たちの決定的な退屈さのうちにひそむ虚を突かれた思いがする。
9・25
ひびの入ったグラスで酒を飲む。見る角度によって殆ど割れかけているようにも認められる、深い清澄な線。しかし、まだそれはグラスの縁をえぐりとっていない。曲線は中途でおわっている。一本の細い、不潔な糸くずのようにも(見る角度によっては)感じられるひとすじの線によって私たちの世界が区切られている。
9・27
眠りたいという欲求がないのに、たとえば仕事帰りの私鉄の席でそのまま寝入ってしまうという現実はたいへん不愉快なものだ。この手の「自然」はおのずから自尊心を傷つける。したがって「部屋」に帰ってからは、いくらでもねむれる。
9・28
(母へ行く私鉄の席の冷ゆれどもまどろみの夢かがやきて去る―岡井隆)
身のうちをはつかにきざす冷えありてつよき秋日のかがやきて去る
夕まどひ店閉めかけし髭面へしめじ高しといひにけらしも
9・30
白川静「中国の古代文学(一)―神話から楚辞へ」を読みおわりかけている。こんなものはとても読めないという感想と、(私とは別の人が)読めないものを読破してゆく迫力と。たとえていえばこれが、じっさいに土くれをぬぐってあらわれてくる得体の知れないものの形象を実見するような気がしてくるのはなぜか。恐らく、目にみえるものと、そうでないものとの区分けがきびしくはたらいているからである。骨片蒐集家のエートスをそれほどひくくしていない。
10・1
ここのところ、何かを書きしるしておくことに少々嫌気がさしている。考えることが殖えるほど苦痛である。「考える」ことの繁雑さが殆ど書くのを気後れさせる。何も書くことがみつからぬというのは一面では本当だ。何故「本当」なのか。あとの一面が完全に嘘であるからだ。じつに、嫌なことばかりを執拗に考えさせられている。ex.n,n1,n2,n3……
10・7
ここ一週間ほど酒を須(もち)いる。まだ人格は崩壊しない。他人の手、じぶんの手を借りてどんどん飲む。まだ飲んでいる最中だが底が見えてくるのは当分さきのはなしのようだ。しかしまいにちのように遅刻を行使する。金はなくなってくる。部屋はむきだしの砂漠の観を呈してくる。あるいは一週間も風呂にも洗濯にも行かずにいると、さすがにじぶんが人間とは少しちがった境位にあるのではないかとおもわれてきて、これでは「お仲間」に入れてもらえないという気持がするどく自覚されてくる。肉眼につきだされるものこれみな嫌悪の団塊である。しかし依然として底が割れない。不可思議だ。そろそろ肉体がへたばりかけている。そして精神(!)が先行するありさまがみえる。はるかかなたにか、手近にか、まだまだやれという指令が下る。さるは、精神の方はそれほどでなくても、肉体の方は潰せるだけのスペースが存分にあるという訣か。底は割れないが先が見えてくる。そして突然、弱くて優しくてかつまた深い冷酷さを湛えたものの側に断固として着けという声をきく。きいてはいるが従ってはやらない。平均値の極限を装って行きたい。底を割るまでどんどん歩いてゆかなければならない。
10・8
じつによく喰らう。酒もきびしく飲みつづける。今は深夜の南風も吹いて良い気持ちだが、すこし馬鹿なのではないかという疑いも湧く。「新日本紀行―淀川に夢を追う(?)」をみてしみじみとする。これもアホウのくちか。現在午前一時二十分。すべてを肯定するには程とおいが、なにものも否定することのない中空(なかぞら)の心持ちに襲われる。襲われるのにやぶさかではないが、侵されてしまっては困るのだ。従って以下に喰ったもののメニューを記しとどめる。ぜんぶ台所に立ってやったものだ。サンマ塩焼き小一本オロシ添え、ラム百六十グラム、モヤシ付き焼き、黄味納豆、スパゲッティ・ナポリヤン(イタリアンとナポリタンをカケたもの)一皿、タラソテーにんにく利かし。――以上の他、ビール(ロング缶一本)、ウィスキー(ホワイト半本)。就寝時刻午前二時。飲み食いの量や時間は身にこたえない。恐ろしいのはその事実だ。
10・9
昨夜に続いてメニュー。ラムもやしオイル焼き(八十グラム)、ホタテバター焼き小三個、野菜棒一束。其他。鱈ソテー、ハタハタ五匹、卵黄納豆、うるか一グラム。久しぶりの考えごと。休日まえだと精緻をきわめる。全くどうしたことか。つけ忘れたことがある。バーボン半分。もう書くことはないか?
10・10
もう喰いもののことは書かない。もう頬づえはつかない、という訣だ。一昨日あたりに見た魚の夢を気にかけている。どこかの神社の周(ぐる)りにめぐらされた暗渠からそいつは釣りあげられた。緑が主調の虹色の体側、けれどそこいらにうじゃうじゃいるベラとはちがう。虎の鱒、略してトラ・バスというそうだ。大切にとっておいたのが消えたので、私たちはもちうるあらゆる手段をつかい、執拗に捜索をつづけるがどうしてもみつからない。……おおよそ以上のような内容のものだが「何処」に消えたのか、今でも依然として判らない。ほとんどくやしい気さえしてくるのだが。
10・13
白川静「中国の古代文学(一)」以降、ふたつの本しか読んでいない。山下洋輔「ピアニストを笑え!」、石川淳「狂風記(上・下)」。後者はほとんどくるしみながら、前者はくりかえし読む。何故そうなるのか判らない。逆であっても良い筈ではないか。しかし実際はごらんのとおりの有様だ。バンド・マンと小説書きに神経を逆撫でされつづけている。
10・17
長い橋をわたり、「広小路」に踏みまよったように出てくると、霧だ。街燈が支柱をかき消されてともっている。歩いてゆく右がわ、左がわの店から洩れてくるだみ声を聴くと、そこだけ精(くわ)しい世界が実在しているかのようにおもえてくるのだ。だが私の他にこの「広小路」を歩くものはいない。
(了)
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