表現について
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表現について     



 このフリーペーパーの編集発行者である杉中昌樹さんから、何か詩論のようなもの、あるいは広く文学についてのエッセイを、とのご依頼があった。さて、あらためて詩について、文学について考えを述べよということになると、いまその真っ只中で読み、書き、思いを巡らしている身としては、なかなかこのことを対象化しにくい。同じく茫漠たるものの、そんならもっと根のところに思いをひそめてみたらどうか、というのが一文のタイトルの発端であった。
 人にとって表現とは何か、という問いのうちにある表現とは、むろん詩も物語も音楽も美術も当然のことながら、舞踊も演劇も、また日本のことでいえば、華や茶、聞香その他を含み、背後にはさまざまな地誌歴史が想定されるのだけれども、これを文化的活動と考えれば、数学や手品や賭博などもその範疇に入れることが出来ると思う。なかなか一言では片がつかないのは事実だが、共通する根底に近いものについて、ある目測がはたらいてきたような気が、このごろ、私にはする。
 数学や手品や賭博などが、たとえば文学とか美術などと共通する範疇だと言えば、いかにも奇矯なふうに聞こえるかも知れない。だけれどもそこに、かつてわれわれのはるかに遠い、あるいはごく最近までの祖先の生活に生きて存在していた、神々や霊の時間の介在を想定すれば、それほど乱暴な放言だとは思えない。このうち数学は、もとをただせば神々への讃歎に起源する数理の術(占星術や易経など)であるし、手品は文字どおり魔術(magic)で、ことは論理による非論理的イリュージョンではなく、人の手業を通じてもたらされる厳密に論理的な幻影ともいえる。ここに論理の仲介がなければ驚きはありえず、神秘はまさに論理のさなかに顕現するのである。
 さいごの賭博については、古代インドの叙事詩『バガヴァッド・ギーター』のなかに次のようなストーリーがある。

 ドゥルヨーダナはそこで数々の失敗をして嘲笑され、怨恨を抱くとともに嫉妬に苦しんだ。彼はユディシティラと賭博をして彼を滅ぼそうと企て、ためらう父王を説得した。
(…)賭博の達人であるシャクニがユディシティラと勝負をした。ユディシティラは負け続け、全財産と王国を取られ、弟たち、自分自身、ドラウパディーをも賭けて取られた。(…)ドゥルヨーダナたちは老王の処置を不服とし、再度ユディシティラに賭博を挑んだ。今度は、敗者は十二年間森で暮らし、十三年目には人に知られぬように生活しなければならない、という条件であった。ユディシティラはまたしてもシャクニに敗れ、妻や弟たちとともに苦行者の身なりをして森へ出発した。(岩波文庫版「まえがき」の要約より)

 これを見るとユディシティラは懲りないやつだと思うほかに、賭博が古代から恐らく世界中に行われていたものであるのが分かるけれど、単なる史料として『バガヴァッド・ギーター』を扱うのでないとすれば、この賭博という行為に宗教的意義をみとめることができるのではないか。いわば道徳の系譜の彼岸にあるものとして。
 賭博がもともと神意を問う卜占に淵源を有することはいろんな事実がこれを指し示している。賭けに負けつづけるユディシティラが、ある大いなるものの意思によるdestinyのもとにあることは想像に難くないけれど、それは彼がこのことを乗り越えて何か大きな成功に導かれるごとき、近代小説を読むような気持ちでいると躓くことになる。この叙事詩は諸王、諸王子、諸聖者、勇士、また高貴であったり下賤の身だったりする女たちが登場し、子を生み、遊び、闘争し、国が出来ては滅び、といった複雑なタペストリーみたいな物語の末に、最後の戦争があって、すべての登場人物の絶滅でもって幕が下ろされる。すべては存在したのであり、それは同時に非存在であったのであり、無はなく、無がないということもない。このような現象として、現象それ自体の属性(高さ)でもって、世界は祭祀されるべきものだという思想が『バガヴァッド・ギーター』を含む『マハーバーラタ』という大叙事詩の根底にはあると思う。負けが込んでも懲りないユディシティラは、赫々と炎えつづける世界に投げ込まれた祭祀の香木のようなものではないか。
 この祭祀の時間というものが、後代になっても、表現のうちに影のように内在しているのを、私たちは多くの局面で見ていると思う。われわれの周りを考えてみてもハレとケがあり、日常の時間と祝祭の時間とがあり、男と女、大人と子供の、またそのいずれでもないということそのものの、いずれかに属する時間があり人間がいて、そういう意味ではわれわれが「何者でもない」存在でいるということは、実はかなりの程度、考えにくい。百年や二百年どころではない長い間、この祝祭と言い祭祀とも言いうる核(コア)の時間を中心にして、われわれの祖先は飯を喰い、労働し、子孫を残してきた。飾らない日常のなかに安んじているのは「何者でもない」ことではない。人間存在を生体そのものに還元できないように。また、プライベートだから何をやってもいいというわけでもない。日常が日常であり得るのは、そうではない祝祭や祭祀に根拠づけられているからである。またアメリカ的な成功物語のごときではない日常の有意味性のなかにいるからこそ、日常の言葉ではない(例えば)歌や祝詞や託宣などの表現が、ある迫力を持つ詩であり得るのだ。
 言葉に「それ自体」を表すすべはない。いささか旧聞に属するが、ヴェーゲナーという学者がいて、その人の説によると発生時代の言語はすべて喩であったそうだ。なるほど、われわれは机を指し、グラスを指してその実体を一義的に言ったつもりでいるけれど、言われた言葉はその実体、「それ自体」を直接示すものではなく、本当はいわく言い難い「ある物」の必ずしも一義的でない表現形、いわば喩に過ぎない。言葉が対象それ自体を直接に示すものではないとすれば、「ある物」を別の非限定的な幻に置き換える表現である喩の、そういった多義性、多様性のうちに世界は構想されるべきなのではないか。言葉はいわば人からも世界からも「浮いている」のであり、それは実体と直接の関係はない。かなり進んだ形ではあれ、この問題を日本の詩に探れば、次のような例に隠見していると思う。

 狭井(さゐ)川よ 雲たちわたり 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
 
 これは神武天皇后のイスケヨリヒメが詠じたと伝えられる歌で、一見すると風景を描写した叙景歌に見えるけれど、実はこれは神武天皇亡きのちの皇子たちに危急が迫ったことを知らせる諷喩の歌として『古事記』に載せるところのものだ。日本の歌や句には、いわば一木一草に至るまで心がまとわりついて離れないという特性があり、例えば雲という一語にもその「客観性」を疑わせるものがあって、このことは詩歌の時間を溯れば溯るほど顕著にあらわれかつ解読困難なものになってゆくが、同じことは大なり小なり、帝国主義が世界を席巻する以前のあらゆる地域の詩に共通する特性でもあるのではないか。そういう意味で「現代詩」も大きく読み替えてみる必要があると思うのだが、ここで紙数が尽きた。  (04/4/6)

*フリーペーパー『ロックと詩の輪』第十号掲載予定。


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