Nov 20, 2006

「私という濾過器」

『碧い眼の太郎冠者』1976年 中公文庫
『このひとすじにつながりて』1993年 朝日選書487
『私の大事な場所』2005年 中央公論新社
 ここ1ヶ月ほどの間に、ドナルド・キーンの本を3冊読んだ。そして11月7日には御茶ノ水のホテルで1時間30分の講演をまじかで聴くことができた。講演後、ご一緒に写真も撮ってもらった。先日、一生の宝物と言ったのはこのこと。楽しい一夜だった。
怠慢なことにキーンさんの本を読んだのはこの度がはじめて。関連して『源氏物語』の訳者アーサー・ウエーリー、初めて芭蕉の名を教えたコロンビア大学の日本文学教授角田柳作、そして米海軍日本語学校の同窓で東京大学のサイデンステッカーのことも詳しく知ることができた。初めて日本語で書かれた著書『碧い眼…』を読み始めて、肩が凝ると思った。多分達者な文章の奥の隙のない論理性が自分には辛かったのだろう。若いときに読むべきだったと悔やんだ。それは、この人の目はどうやったってごまかせないぞ、という畏怖の念に怯えたのかもしれない。そして、それは6才の時の九州の疎開から東京へ戻る途絶しがちの汽車の中に踏み込んできた銃剣をかまえた若葉のようなGIに怯えたときと共通しているかもしれない。だが、今年84歳のキーンさんは穏やかで微笑を絶やさず、音楽的なソフトな声音の人だった。仏詩をやっているものにとっての、いまはもうトウルーズに戻られているイヴ=マリー・アリューさんと同じような位置に考えていた人だった。
 この3冊の本から、文学にかかわるものの感受性として深く共通するものを感じ、さまざまな貴重な示唆を受けることができた。例えば、写真は亡くなった人の影と思って懐かしいが、録音された声はその人の声そのものの感じで不気味、という感覚、3年前に他界した長兄について言えば、写真は見たいと思うが、声を録音して置けばよかったとは少しも思わない、可愛がってくれた伯母についても同じ気持だ。また終戦直後アメリカで日本文学を教えていた恩師角田柳作について、2つの国を愛する者の悲劇、と謹厳に職務に励んでたゆむことのなかった先達を労わっておられるのも共感を呼ぶ。またまつゆき草が待雪草だと教えられたり、「クツネ・シルカ」が虎杖丸(いたどりまる=アイヌの英雄ボイヤウンベの愛刀)の曲を表すものであったり、オートクレール(高く清らか)の持ち主オリヴィエはシャルルマーニュの12騎士(バラディン)のひとりだとか。大学教授は他に何もできなくても、1時間ほどしゃべることなら朝飯前の仕事である。というようなユーモアとか
 なんだか、欲しかったおいしい食事にありついたあとのように舌なめずりをしたことである。いつまでもいつまでもお元気でいらして欲しい。
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