Feb 24, 2006

同じ記憶を探して歩く

学生の頃や青春時代を一緒に過ごした人と話していて、あれっと思うことがある。自分の記憶といわば正反対のことが、その人の記憶領域にはインプットされているのだと気がついたとき、背筋に寒気が走る。こうやってひとは過去から崩れていくのか。崩れるのはこのひとか、自分か。ずっと、戦いは未来に向かっていると思っていた。過去だって崩壊するのだ。そのとき即座に悲鳴を上げて、その人の記憶と戦わなければいけない。だが、それができない。さっと、意識が内向してしまって、ああ、この人と話しても無駄だ、という、諦念じみたものに逃げ込んでしまう。あるいは、まあいいや、あとでじっくり、独りになって考えてみようとか。要するに自分の得意分野まで退いてしまうのだ。あるいは、実生活の上で、その人との関係が悪化するのは避けたいという状況判断もある。あとで、自分がいやになることもしばしばである。人の生きていくことは、戦いなんだとつくづく思わせられるこの頃である。
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