Aug 16, 2011

黙祷しなかった66年目

昨日は11時34分のバスで外出したので、夕方帰宅してテレビをつけてはじめて、12時に黙祷しなかったことに気がついた。街ではその種のことはなにも耳にしなかったし、目まいのする暑さのあまりすっかり忘れていた。これまではたいてい家にいて、ひとりで正午に黙祷していた。疎開先の九州の伯父の家での8月15日正午の玉音放送の記憶があったから。
もうしてもしなくてもいいやと思う。6歳なりの戦争の記憶は生きている限り消えることはないし、作品にもちょくちょく書いているが、そういったたぐいのことを周りの人に話しかけても重い反応しか返ってこない。夜のテレビで80代の元日本兵が泣いていた。全員死んだといって。可哀想だといって。こんな風に老人を泣かすなんて、何千人集まって黙祷なんてしたってしょうがない。いやむしろそれも恐ろしい気がする。
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Aug 07, 2011

KANの音楽の浸透力

ちょっとしたきっかけがあって、シンガーソングライターKANの音楽にはまっています。とはいっても、資金不足等々で、ツアーライブを追っかけに行ける訳じゃなし、U-TUBEと街の中古CD屋さんを漁っているだけですけど。「愛は勝つ」フィーバーからもう20年以上経っているでしょうし、当時、その歌のあまりのシンプルさに、若気の一発は、詩の世界でもあるなー、ぐらいの耳しか持っていなかった。現時点で聞くと、まず、歌の合間のメロディーラインの叙情性に驚かされる。水面に跳ねた魚をふと眼にして水辺によると、その水のあまりにも透明度の高さにめまいを覚える、といった感覚。そしてこのシンガーの大きな個性の1つが、日常性のうえにそのポエジイがしっかりと根を生やしていることで、ほとんど作品がその人自身、その人の今まで、その人の現在の意識のありようを余さず反映しているとおもわされること。ずっとキヨシローが、そのスレンダーな果敢さがすきだった。はからずもここで幽明を分けてしまって、こちらはまだこの世をさまよって迷っている。KANは同時代を生きていて、若くて、といっても映像で見る限り若いときの顔じゅう口だらけの青い蛙がぱくぱくしているような愛らしさがきえて、これほど風貌の激しく変わったタレントも珍しい。そしてもう一つのこのシンガーの個性は社会人としての理屈っぽさだ。こんな音楽家もめずらしい(と思う)。おもしろいな、と思い、息子ぐらいの音楽家のポエジーに負けていてはだらしが無いなあ、と自戒している息づまる熱暑の夏です。
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