Feb 23, 2009
精神が自律運動しつつ行く――池田康詩集『星を狩る夜の道』
2005年日本詩歌句協会刊。3部に分けられた全74篇中、第Ⅲ部の長編の物語詩1篇の他は日常的なテーマの短い詩。読み始めると引き込まれていく。最初はチューリップの花の中に落ちた天道虫の眼に映った初めての青空から。それから、例えば、「悲しみがあるか/ない」ではじまる、第Ⅰ部最後の「割礼」と題する詩。「風呂に入りみかんをむきテレビを見る」と生活を描き、それから「しかし奥の奥の奥/立入禁止の芯のところで/私は無傷である」と歩行し、その道すじはやがて世界情勢にまで敷衍していく。たましいがあり、現実があり、状況と切り結ぶ精神がある。言葉だからできる、とうそぶくものには、ではきみの精神を詩にしてみたまえ、と言おう。なかなかここまで自己を言葉になしえないだろう。見事だと感服する。他の作品でも、この歩行のリズムがいい。「外出禁止」
帽子が風で飛ばされるように
ときどき魂がなにかにもっていかれそうになる
あわてて両手でとりおさえると
ああん行きたかったのにと此奴泣くのだ
能狂言の素養を感じさせる、トントンと木の床を踏む乾いた音が聞こえそうだ。
「灯」
…
窓から外を見るに
家々の灯は星
はるかな不可知の炉心である
やはり詩は天性の資質ではないかと思う。
精神の覚悟が違うのだ。
物語詩「星狩」は、戯曲を数篇持つキャリアを思わせる。太平洋戦争終戦直前に書かれた加藤道夫の戯曲「なよたけ」に近いものを感じた。
Feb 05, 2009
モルポワの講演会
パリ在住の友人Nさんが、去る1月28日にパリプチパレ会議場で一般向けに開かれたモルポワ氏の詩に関する講演を聞きに行ってくれて、その様子を知らせてくれました。先日『青の物語』のドイツ語訳版が出たことを知ったので、しばらくごぶさたしていたモルポワ氏のニュースが新鮮でした。パリはそのあと雪も降ったようで、寒い朝、がんばって出かけましたとのこと。テーマは「詩は何のためになるか」。かなり一般向けの主題ですが、大学の先生の義務でしょね。19世紀から現代までの詩人10人以上の言葉が引用され、とりわけミッシェル・ドウギイの引用が多かった。「詩は経験である」との言葉が印象に残ったとのことでした。このテーマは先年の山口の詩のフェスティバルでの講演と共通なので、2002年12月号の「現代詩手帖」での講演要旨を見てください。2002年11月号には、ミシェル・コローのモルポワ論も載っています。このシリーズはその後、
2月18日ドミニク・フールカール、3月18日エドウアール・グリッサン、4月29日ヴァレ・ノヴァリナと続くそうです。
3月には恒例のプランタンデポエットもあるでしょう
。 モルポワの詩集をもう一冊出したいと思っていますが、なかなか。