Jul 30, 2008

小川三郎『流砂による終身刑』2008年7月思潮社刊

 小川さんもわたしも詩誌「ル・ピュール」に作品を発表している。世代は親子ほど隔たる。第1詩集『永遠へと続く午後の直中』は2005年10月の出版で、小田急線玉川学園前駅の踏切りを渡って左に曲がったところにあるコーヒー店で読み終えた。コーヒーを飲むのにちょうどいい季節だった。今回もまたあのコーヒー店で読もうと炎天下に家を出たが、月曜で閉まっていた。いつも行くスーパーが斜向かいなので、おかずを買って、詩集は読まずに帰った。
 きのう、町田図書館のテーブル席が空いていたので、持参していた詩集を開いた。結論から言えば、この人はテーマを持つ必要がある、という思いだった。例えば渋沢孝輔の断念、井伏鱒二の無色に通じるものが読み取れる。第1詩集でも感じたが、この人は決して傍流ではなく、本人の自覚はさておき現代詩の主流を流れていっているに違いないと思わせる骨太さがある。それは何だろうか?自己意識を追い詰めてゆくエネルギーだろうか。小説家の作家魂だろうか。例えばわたしたちの兄さらに父に当る世代の、国に殉ずるという断念。その哀しい目標が崩れたところに残照する意識。それならテーマが無いことこそが、この人の詩の美ではないかと、反対の思いも浮き上がる。
作品「段差」からはじまる負け戦の予感。負けるとはこまごまとした現実感からも切り離されること。生きていくはしごを外される。現実が自分を支えてくれなくなる。そこから《胡散臭い話だ。》《茶番と責務だった。》と切り返して危うく戻ってきて、心底ほっとする。さらに作品「小鳥」の出だし《死人の/気分になったので…足元に小鳥が降り立ち/小さな顔で/私の目玉を見上げている。》は、生の際に立ったときの生との交歓を思わせる。後半の連の言い回しが、渋沢さんの口調を髣髴とさせる。詩集の後半、歴史物を感じさせる作品に入ると、わたしはあまり感心しない。書けすぎて核が柔いと思う。だがその後《私たち移民》という言葉に出会って、この人の書きたいものが見えてくる。やはり詩は夏の朝の露草の青と同じ、たちまち薄れる定めなのだろう。
Posted at 12:19 in n/a | WriteBacks (2) | Edit
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ありがとうございます

ご無沙汰いたしております。
拙詩集をお読みくださったこと、そして感想をブログにアップしてくださったこと、
心より感謝いたしております。
この詩集は、丁度有働さんと知り合えた頃から以後の作品がメインになっています。
合評会に参加しながら詩を書き続け、
気がついたらこのような色合いを醸し出す作品群が出来上がっていました。
後半の数篇も、自然と自分の中から出てきたものです。
これらを収録すべきかどうかは迷いましたが、
やはり詩集は自己そのものであることを考えますと、
収録せざるを得ないものだったと思います。
テーマということは私も時折考えることですが、
あるいは書き続けることによって、後から着いてくるような気もしています。
またお会いしてお話したいと思います。
どうぞ今後とも、ご指導ご鞭撻のほどを宜しくお願いいたします。

Posted by 小川三郎 at 2008/08/07 (Thu) 08:07:03

書き込みありがとうございます

小川さま
読んでずっしりと手ごたえを感じ、率直に自分なりに書かせていただきました。こう読んだものもいるということで、どうぞ気にしないでくださいね。
ところで裁判員制度は70歳以上のものは辞退できるそうですね。同級生に教えられました。そーなのか…やっぱり社会って時間の箱なんだなあ、とちょっと悲哀がよぎりました。

Posted by at 2008/08/07 (Thu) 09:59:58
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