Jul 27, 2006
ひとの声が聞こえる
ワールドカップテレビ観戦の余波で、夜の睡眠時間が元に戻らなくなった。夜の1時、明け方の4時に始まる試合を半分うつらうつらしながら見ていた体内時計の狂いは12時間飛行機に乗って帰国した後の狂いに相当するだろう。元に戻るまでにゆうに1ヶ月はかかる。明け方の3時4時ごろ眠れなくて輾転反側する。眠るまいとするWC派と眠ろうとする日常生活派がせめぎあう。そのうちに眠るらしいが、よくひとの声が聞こえる。その人の声の独特なニュアンスが鮮明に聞こえる。音の体感残像らしい。自分がひとの声をどういうふうに受け取っていたかが手に取るようにわかる。聞こえるのは、2,3日自分にとって何らかの理由で気がかりだったひとの声。そのひと自身にはまったく関係ないことだが、夢枕に立つといわれる現象に近いと思う。そういう幻視はもっぱら見るほうの主観だというのが自分の考えだが、はっきりした意志の自覚が薄いので、受身に考えやすい。明け方の夢うつつの中であなたの声をはっきり聞きました。と言われたら、あら、わたし電話していないわよと言えばいいのか、あまり気持のよいものではあるまい。Jul 21, 2006
映画「母たちの村」
岩波ホールでウスマン・センベーヌ監督の「母たちの村」を見た。西アフリカ、セネガルの風景と人びとの衣装が美しい。背景も芝居の書割のような鮮やかさで、あまりに美しすぎてやや現実感が乏しく思われる。だが、描かれているテーマはショッキング。ありえないショックではなく、自分の問題にも近いと感じる恐ろしさのショック。要約すれば、映画の終わりの文字データに重なって流れる歌の「それは書かれていない」に尽きるだろう。物事の肝心なところは「書かれない」。われわれの家庭でものが言われないことに共通する。言うものは罰せられる。発言を禁じているのはしきたり。裏にあるのは隠微な暴力。この物語でいちばんひきつけられたのは、主人公の第2夫人の性生活だ。性の快感を幼いときに奪われているから、夫婦生活は労働のような汗をかく行為で、牛や馬がくびきに付けられて働かされるのに似ている。それを受け入れて暮らしている。だが、たった一人の娘の身の上からはそんな残酷な状況をとりさろうとする。タイトルの「母たち」の意味はそこにある。わたしはうちの2匹の猫の避妊手術のことが頭から去らなかった。Jul 16, 2006
ジダンの言い訳
半分眠りながらワールドカップの決勝をテレビで見ていて、例の事件のところで、ぱっと目が覚めた。とにかく、離れて行きかけたジダンが振向いて戻ってきて、頭突きした動作が綺麗だと思った。無駄がなさ過ぎて、演技のような感じがした。古代ローマのコロッセウムに意識が飛んで、死の極限状況に追い詰めておいた生き物の切羽詰った行動を楽しもうとは、なんと隠微な贅沢だろうと、自分が皇帝の宝石で飾り立てた妾のような気分がした。暇つぶしにテレビを見すぎた。Jul 04, 2006
有斐学舎はE.N.A.に似ていたのだろうか
有斐学舎の120周年記念誌ができて、総会を兼ねた記念会に招待していただいた。熊本で6月の始めに開かれ、30日はその東京版。舎歌のCDができ、熊本会の記念写真を伊藤晴雄さんから見せていただいた。昭和17年、文京区の細川邸の一角に新築された有斐学舎に引越すための馬が来たのを、茗荷谷の舎監の家の廊下から見ていたのが、当時3歳の記憶の始まりである。昭和20年の敗戦をはさんでのことだから、もっとも貧しく、飢えていた時代だったが、記憶の中で有斐学舎はますます輝いてくる。あそここそ、自分に恵み与えられたアルカディアだったのだなあと、あらためて気付いた。ほぼ半世紀ぶりに体感する有斐学舎、学生時代の舎生さんたち。志木にある現在の有斐学舎の学生さんたちも来ていたが、半世紀前の弊衣剛毅の風貌はがらりとかわり、ほっそりときゃしゃで、私にはお人形さんのような気がした。ちっとも実感がなかったが、細川家の庇護の下で運営されたエリートたちの学生寮だったのだろう。集まったOBの人たちは、立派で、会長は日弁連会長の平山さん。宮本秀人さんもなつかしい。熊本の男性は美しいなと思った。私も熊本の人と結婚していればよかったのになあ、何を血迷ったか…逃がした魚は大きいぞ!
目下は細川家の援助を離れ、経営が難しいらしい。不要論もあり、また男子だけに限るのも今の時代にどうだろう。記念誌を見ていると楽しいが、前途多難の有斐学舎である。