Feb 26, 2007
夜寝る前に
苦しいと思うことが近頃よくある。体調のことではなく、昼間、自分の周りがシーンと静まり返っているのを、一日が終るに当たって思い返し、切なくなるのだ。たとえば、今年の夏に、また詩の会を町田でやろうなどの話があったりするが、そんなことは一時しのぎに過ぎないと思う。この苦しさは人に訴えるものではなく、自分の中で解決するべきもの。苦しさの敵は何か?やっぱりそれは異文化だと思う。自分の身内にいる敵。敵であり、相棒であり、生きがいであり、ほとんど自分自身である敵。明け方にこんなイメージを持った。阿古屋貝は、殻の中に進入した異物を自分の内側の皮膚をふやして覆ってしまおうとする。それに目をつけた人間が、貝を死なない程度に開いて、異物を挿入する。そうやって何万個も紐につるして海に吊下げておく。貝の悲鳴が聞こえる。貝は異物を抱えさせられたまま、生かされ続ける。残酷な拷問だ。
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有働さんの言葉を読んでいて、「在るようで、あらざる者、エトランゼ。」という言葉を思い出します。
私も、京都ではその土地に伝統を持たないエトランゼでした。でも京都という昔の「中央」は、エトランゼも含んで「京都」だったんです。いまも状況は、私なりにそうかも知れません。
明治以来の文化も同じように、社会に満足に受け入れられない、同調できない人たちが築いてきたという話はあります。
内的な理由もあるわけですから、外も内も「エトランゼ」。笑っちゃいましょ。
けっこう豊かな笑いになるかも知れないです。
Posted by とみざわ at 2007/02/26 (Mon) 12:05:04
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