Jul 05, 2007

死者に捧げる詩

   (遥かに崇高な君たちよ、今はすでに
    君たちの墓を厳粛な苔が覆っている。
             クロプシュトック 轡田収訳)

わたしたちに届いていたこの声、それは彼女だった
悲痛な叫びの中のわたしたちの世紀
アンナよ、きみを知っていればよかった。
きみの町の名前をわたしにくり返し言ってくれ、《ピーテル。》と
弔いの雪ひらが弔いの岸辺に降る
それ以来、地獄の町々をわたしたちは歩き回る――
この買いと売りの地獄を。
詩人の部屋で、きみは厳しい氷の上を滑る女神のようだ。
ああ、きみの名がまだ時代の苦しみではなかった時の
あなたがたの香り、いや
ツァールスコエ・セローの鶯の澄んだ歌を聞こう!


詩集の最後の章は、四つの短い追悼詩から成っている。最初の詩は詩人プーシキンに捧げられた詩。
ロシアの北の都市レニングラード(旧称ペテルブルグ)で、プーシキン博物館を訪れた際の、37歳で非業の死を遂げたロシア最大の詩人プーシキンへの思いを歌ったものだろう。
クロプシュトック=Klopstock フリードリヒ・ゴトリーブ・クロプシュトック(1724~1803) ドイツの詩人。ドイツ近代詩の祖。古代ギリシャ詩形をドイツ語の抑揚のなかへ移し変え、さらに自由律の頌歌(オーデ)を創造し、ゲーテ、シラー、ヘルダーリンらに大きな影響を与えた。叙事詩『救世主』(1748)、自由律オーデ『春の祝い』(1759)他。ここの献辞に用いられているのは「早く世を去ったひとたちの墓」と題する4行3連の詩の最終連の出だしの2行である。轡田収訳によるこの詩の全行は以下の通り。
  「早く世を去ったひとたちの墓」
まちうけた銀色の月よ。
 美しくおだやかな夜のともがら、
  おまえは逃げゆくのか、急ぐな、とまれ、冥思の友よ。
   見よ、月はとまり、雲のみが漂い去った。

春五月の目ざめは
 夏の夜よりもさらに美しく、
  露は光に似て明るく、若芽の巻毛よりしたたり、
   丘からは陽が赤味をさして昇りくる。

遥かに崇高な君たちよ、今はすでに
 君たちの墓を厳粛な苔が覆っている。
  ああ、ぼくは幸福だった。まだ君たちと
   日が赤み、夜がほの光るのを見ていたころは。

アンナ=ピヨートル大帝の姪アンナ・イワーノブナ女帝のことか?
《ピーテル》=ピヨートル大帝の名を冠した都市ペテルブルグ
ツァールスコエ・セロー=Tsarkoie Selo ペテルブルグ(現レニングラード)近郊の皇帝村。ロシア皇帝の夏の宮殿として建設された。1811年ここに開設された寄宿制の貴族学校リツェイに、12歳のプーシキンが第1期生として入学し、、6年間の在学中におよそ150篇の詩を書いた。この村は現在プーシキン市と名を改め、プーシキンを偲ぶ観光都市となっている。
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