Jun 09, 2006
ふくやま文学館行事・その2
宮尾登美子の小説「陽暉楼」の舞台となった ここ「得月楼(とくげつろう)」は明治3年から創業103年で 現在5代目の社長です。昭和20年7月1日しょうゆ弾で1回焼けました。その当時の建物を示す絵が 玄関あたりに飾ってあります。おかかえの芸子の数がこのあたりでは一番多かったらしい。料亭であって遊郭ではありません。建坪が300坪ほどあります。特に2階の大広間の天井はヤナセ杉が使われ 有形文化財に指定されていて 今では手にはいるものではないそうです。![tenjyou](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/tenjyou.jpg)
梅の時期には 各部屋に 梅の鉢植えが飾られます。
![ume](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/ume.jpg)
お庭も 綺麗です。
![niwa](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/niwa.jpg)
さて お食事の後には 物理学者および随筆家として知られる 寺田寅彦記念館(℡;088-873-0564)に行きました。「天災は忘れられたる頃来る」という言葉は有名です。
![terada2](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/terada2.jpg)
![terada1](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/terada1.jpg)
![terada3](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/terada3.jpg)
この家は寅彦が4才から19才まで暮らした家です。「庭の追憶」というエッセイの中に出てきます。
![ie1](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/ie1.jpg)
![ie2](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/ie2.jpg)
![ie3](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/ie3.jpg)
石の灯篭には 表に月 裏に太陽が彫ってあります。灯篭のそばのリュウゲツランは40年に1度咲く花で 寅彦のお姉さんからもらったものだそうです。庭には柏の木をはじめ
いろいろな草花が咲き乱れていました。
![ura](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/ura.jpg)
建物の裏手です。
そして これは離れの 寅彦の勉強部屋です。
![ie4](/~shimirin/blog/tisato/entries//20060609232034.files/ie4.jpg)
寅彦が とても情緒豊かに育った様子が 住居のあちこちに 垣間見られます。
Edit this entry...
wikieditish message: Ready to edit this entry.
A quick preview will be rendered here when you click "Preview" button.