Dec 04, 2007
「未知」
このまま「詩を書かないひと」になるかもしれない、とふと思うときがないでもない。それはべつにコワくはないけれどさびしい。好きだったひとに別れを告げるみたい。好きだったトモダチや恋人や家族や猫を失うことに似ているかもしれない。でも、書かなくても詩はわたしのそばにあり続ける。
そのことを再確認する今日この頃。
アーサーさんの講演の次に、谷川俊太郎さんのお話を聞きに行った。 10代の頃からずっと読み続けてきた谷川さんにこのタイミングで会えたのは嬉しかった。
持っていないと思う詩集を買って帰った。「未知」という詩に再会した。本当にすごく懐かしい再会だった。初出を見ると長女が生まれた頃なので、わたしは若い主婦で、年子のこどもたちの世話をしながらたまには図書館に行ったり、そしてなかなか返しに行けなかったりして、 毎日が慌しく過ぎていた頃だった。
未知・・・・・・・・・谷川俊太郎
「昨日までつづけてきたことを
今日もつづけ今日つづけていることを
明日もつづけるそのあたり前なことに
苦しみがないと言っては嘘になるが
歓びがないと言っても嘘になるだろう
冬のさなかに春の微風を感ずるのは
思い出であるとともにひとつの予感で
昇る朝日と沈む夕陽のはざまに
ひとひらの雲が生まれまた消えうせるのを
何度見ても見飽きないのと同じように
私たちは退屈しながらも驚きつづける
もしも嫉妬という感情があるのなら
愛もまた存在することを認めればいい
足に慣れた階段を上り下りして
いくたびも扉をあけたてしごみを捨て
ときには朽ちかけた吊橋を渡って
私たちは未知の時間へと足を踏みこむ
どんな夢も予言できぬ新しい痛みを負いつつ」
この詩を読んだ頃も、わたしは殆ど詩を書かなくなっていた。
でも読んでいたのだ。なんだ、いまと同じか・・・。
詩を読む。「すごいな」と思う。またしばらくはこれでいくのかな。
ふと去年の手帳を見ていたら、去年の今ごろは松下育男さんとお会いしていた。わたしの詩集のためにわざわざ時間を作って下さったのだ。嬉しくてドキドキして出かけて行った。渋谷で迷子になって早い時間に家を出たのにぐるぐる歩いてようやく指定されたお店に たどり着いたら松下さんはやっぱりもう先に到着していた。12月の都会の夜が二階の窓でキラキラしていたのを覚えている。
去年の手帳と今年の手帳を並べる。
「昨日まで続けてきたことを今日も続けて」いる。誕生と喪失の年だったかもしれない。拙い自分の詩集が生まれ、娘の抱えた欠損に衝撃を受けた。その季節も過ぎようとしている。
朽ちかけた吊橋だってどうにか渡ってきたのかもしれない。
だいじょうぶ、あるいていける。
何度でも「未知」に再会するために、週末には新しい手帳を買いに行こうと思った。
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