Sep 12, 2007

仕事を終えて、外に出ると夕焼け空だった。

「秋がきたんだ・・・」と思った。

夕刻6時頃、空を見るときが好きだ。
あと30分もすればこのハイライトシーンは終わり、
空は夜の色へと急ぎ始める。

この時刻、亡き父親が「黄昏」「誰がそれ」と教えてくれたひととき、
以前は自転車に乗ってどこかに向かっていることが多かった。

空を見ながら自転車に乗っていた。
帰宅途中のときもあったし、夕方からの仕事のときもあった。
空を見ながらゆっくりとどこまでも走っていたかった。
どこへも行きたくはなかった。
秋を纏い始めた雲と空に身を委ねてしまいたかった。

いまは、デスクを離れて、公園の出入り口に鍵をかけに行く。
朝は「長いな」と思っていた勤務時間を終え、
外に出ると空が待っている。
約束をかならずまもるひとのように、、、。

でもわたしは、いつだって空のもとへはいけなかった。
自転車は目的地を目指したし、
今だって空を見上げた少しあとにはデスクに戻り、
ロッカーで制服を脱いでさっさと帰り支度を始めている。

バス停に着くまでに決めなければいけない。
今日は娘の病院へ行くかどうか、今夜のご飯は何にするか、、。
それから、それから、、そう、いろんなこと。

果たされなかった約束の苦さや、信じることの難しさで、
空は濃度を深めていくようだ。
Posted at 13:32 in nikki | WriteBacks (2) | Edit
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たそがれ

私のうろ覚えでは、黄昏時は「誰(た)そ彼」時のことで、人の姿や面貌があやめもつかなくなる時刻のことと記憶します。対するに、まだ日も上がらぬ暗い頃のことを謂うに「かわたれどき」というのがありますが、これは「彼(か)は誰」時というようです。
と、まあ余計なことを申しましたが、以下の言葉、秋の夕焼けの感じとして、共感を覚えます。

果たされなかった約束の苦さや、信じることの難しさで、
空は濃度を深めていくようだ。

Posted by 解酲子 at 2007/09/14 (Fri) 12:20:56

たそがれ

解醒子さん、こんにちは。
はい、わたしも父に同じことを話してもらいました。
「誰そ、彼」と。。。
「彼は、誰」もそういえば聞いた気がします。
もっと素直に耳を傾けて、たくさん聴いておけば
よかった、と思いますが、時すでに遅し。。。

Posted by すみれこ at 2007/09/14 (Fri) 15:41:50
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